第3話 克子はすべてを暴露する覚悟を決めた

 あれほど、非人道的な仕打ちをしておきながら、退店の意志を伝えると

「別に構わないよ」という素っ気ない返事しかなかった。

 噂によると、田代店長はサラ金いや闇金が膨れ上がり、自暴自棄になっているという。

 だから、仕事中も毎日、アルバイトに奢らせた缶ビールをあおるようにして飲んでいるのだろう。

 

 克子は、仮名を使って、会社に田代店長の事実を告げるメールを送信した。

一、労働時間をごまかして、五時間も余分に記入していたという詐欺的行為。

一、アルバイト店員(克子のこと)から、食事代を徴収するといって二千円だましとった行為。

一、毎日、年配アルバイト女性に缶ビールをおごらせている行為。

一、ビールケース3ケースを持ち上げろ、さもないと時給を下げるぞという強迫。

 いずれもパワハラ認定必須である。

 それでも店長というのはまだ、売上がよく、客からの苦情がないうちは、陰ではどんな詐欺的行為やパワハラをしていても、優秀店長として認められる。

 田代店長は、日を追うごとに借金が降り積もり、それに比例して飲酒量も増加の一方を辿っているという。

 こんな不幸な境遇の田代店長を責めるのは、少々気の毒な気がするが、嘘というのはいずれは暴露するものである。

 それなら今のうちに、会社に通告した方がまだ犯罪というところまではいかないだろう。犯罪を抑止するためにも、今のうちにすべてを露わにする必要がある。

 一応、この店は田代店長が船頭であるが、こんな船頭についていけば、いずれ船は撃沈し、もう浮き上がることはあり得ないはずだ。


 克子が自宅でそんなことを考えているとき、報道ニュースが飛び込んできた。

 居酒屋の雇われ店長が、自分の働いている店に強盗に入ったが、すぐ見つかったという。

 そりゃそうだろう。バイトならともかくも雇われ店長の存在を知らない人はいない。また、元雇われ店長もそのことを承知の上で、強盗に入ったに違いない。

 多分、闇金で多額の借金があり、闇金業者からの取り立てを免れるために警察に逮捕されるという自暴自棄の道を選んだのだろう。

 ちなみに、闇金で借金する人はギャンブル狂だという。


 犯罪も非行も、ボタンの掛け違いから生じるものであるが、田代店長のことを黙認してると、ますます図に乗るだけである。

 借金だらけのアルコール依存という同情の余地はあるが、同情だけでは人やこの世を救うことはできない。


 克子が会社に田代店長の事実をかいた用紙を郵送してから三日後、エリアマネージャーが店にやってきた。

 まずチーフにこのことは事実なのかと問われた。

 アルバイトはチーフに、田代店長のパワハラー例えば、自分は九時に退店し、就業時間の十一時半までは、なんと高校生アルバイトに仕事をさせていた事実ーを訴えていた。

 チーフは、呆れたような顔で店長が残るべきであると言ったが、アルバイトが語るには、常日頃から

店長曰く「チーフのお陰で客からの苦情が増え、売上が下がり、困っている」などとアルバイトに愚痴っていたのを、チーフ本人に暴露したのだった。

 この一件でチーフは怒りを感じ、店長を敵視するようになった。


 今までは自己保身から店長を庇っていたチーフも、アルバイトと共に店長の悪事を認めた。

 もし隠していれば、それが暴露したとき、隠匿罪、詐欺罪に問われかねない。

 

 田代店長は謝罪証明証を書いたあと、即刻解雇を申し渡された。

 チーフは転勤、そしてアルバイトは、一か月契約満了ということで、二週間後解雇を通告された。

 まったく田代店長の悪事のお陰で、下のチーフやアルバイトなど店全体が解雇され、新しいチーフやアルバイトが入店することになった。

 

 やはり隠していてことは、いずれは暴露するものである。

 また、隠匿に協力していた部下も、メリットが無くなれば正直に告白せざるを得ない。

 メリットがあるから嘘をつくのであって、そうでなくなれば良心の呵責を感じ、苦しくなるだけである。


 皮肉なことに、一見非常識極まりなく、無能な克子が、田代店長のパワハラを受けた挙句、すべてを暴露するという快進撃を成し遂げたのであった。

 克子こそが、真実の人だったかもしれない。

「見よ。隅に葬られた石が、頭の石になった」(聖書)の御言葉通り、一見役に立たず葬られた石が、リーダーの役割を果たすようになった。

 このことは、イエスキリストのことであるのであるが、現代の社会でも通用する。

 克子のように、一見まわりと合わない無能な人が、正直さゆえにまわりの状況を一転させることもある。

 また、隠し事というのは、いくら大きなことを隠し通していても、ほんの少しのほころびから暴露することが多い。


 イエスキリストは、決してユダヤの王になるために降臨されたのではなく、人類の罪をあがなうために、処刑道具である十字架に架かられたのである。

 イエスの十二弟子も最後にはイエスを裏切ったが、それすらもイエスが予感していたことであった。

 罪(エゴイズム)をもった人間は、やはり都合が悪くなったとわかった途端に、裏切るものである。

 確かに克子は、無能な人であるが、同時に正直者の真実な人でもあったのだった。

 

 いくらチーフの命令とはいえ、店全員のアルバイトが自己保身のためとはいえ、エリアマネージャーに嘘をつき、だますとはあってはならないことであろう。

「自己保身ばかり考える人はい自分の生命を失い、私(神)のために生命を賭ける人は、大切な生命を得るであろう」(聖書)

 だまされたエリアマネージャーは自分が無能者扱いされていることに、怒りを感じるであろう。

 それでなくとも、エリアマネージャーというのは、監視カメラがあるわけでもなく、現場の実態を知らないので、常に自分はだまされていないかという不安にかられるという。

 エリアマネージャーがだまされたとしたら、被害者というよりも、自分の見る目のなさを疑われ、その地位さえ奪われかねない。

 克子の告白のおかげで、その一歩ギリギリのところで、救われたのである。


 この世は、赤ずきんちゃんのように、無垢な子供が狼に食べられる危険性をはらんでいる。

 しかし正直さだけは、失わないでおこう。

 自分の心に嘘をつくのは苦しい。

 嘘は必ず暴露するものなのだから。

 暴露したとき、自分の存在すらも忘れ去られてしまう危険性をはらんでいる。


 そんな一件のあと、私は、念願の海にいくチャンスが与えられた。

 寄せては返す波は、私の心がピュアなときは、私を優しく包み込んでくれる。

 地平線の彼方に、まだ見ぬ未来を感じることができる。

 しかし、私の心に曇りがあるときは、白い波は急に荒波に変わり、

 私を呑み込んで、海底へと沈めてしまう予感にかられる。

 海は 私の心を計るバロメーターである。

 今の私にとっては、海は優しく未来へと連れて行ってくれる

 おだやかな白い波である。


 海も地球もそして私も、神によって造られたものだから、

 いつかは滅びるときが訪れるだろう。

 しかし私は、そのときまでピュアな心でいたい。

 たとえ、身体と経済が瀕することになっても、心だけは悪魔に売り渡すことなく、ピュアなままでいたい。

 神と一緒にいる限り、私はこの世の闇に呑まれ、海底に沈むことなく生き続けることができるだろう。

 海の向こうの地平線に新しい時代を感じさせ、私を未知の世界へと呼んでいるような気がした。

 克子にもこの海を感じさせることができたら、

 そして田代店長もこの海を眺めていると、心が落ち着くかもしれない。


 私は、いつしか克子だけでなく、田代店長をも思いやっている自分が生まれていくのを感じていた。

 好きな人を愛するのが愛だけではなく、愛しにくい人を愛するのが愛だというが、今の私はその言葉がわかりかけてきたばかりだった。


  完

 

 

 

 

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ヤンキーまがい困ったバイトの暴露話 すどう零 @kisamatuma

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