第7話 本物の勇者様
「そろそろ四層目だな」
階段を下りながらアーサーが言う。
「……そういえば、誰ともすれ違いませんね。最初に出発したグループなんかは、既に十五層目から引き返していてもおかしくないと思いますが」
単純な疑問でした。
一度もモンスターに鉢合わせないのもそうですが、誰ともすれ違わないのはもっと不思議です。
通路がわかりやすく示されていて、上下左右の道順がはっきりしているモルドのダンジョンでは迷うなんてあり得ないのです。
講師の方々の姿も見かけませんし……変ですね。
「確かにな」
「モンスターが出ないのであれば演習の意味がありませんね」
しんとしたダンジョン内は不気味さがありましたが、何が起こるかわからないということを加味すると不思議ではないのかもしれません。
突然たくさんのモンスターが現れることもあれば、現在のようにパタリと鳴りを潜めることもあるのでしょう。
「イレギュラー……」
楽観的な私とは違い、アーサーは顎に手を当て考え込んでいました。
「どうかしましたか?」
「……まずいかもな」
アーサーは怪訝な顔つきで鼻を鳴らしていました。
低い声色には柔和な雰囲気が全くありません。
「急ごう。血の臭いがする」
「ま、待ってください!」
「風が少ないから気付くのが遅れちまった」
アーサーは突然走り出しました。
血の臭い? 意味がわかりません。
ただ、焦燥感に駆られた彼の後ろ姿を見ていると、どことなく嫌な予感がしてきて自然と鼓動が早くなるのがわかりました。
私は少し遅れて彼の後を追って、先の見えない緩やかな長い階段を駆け下りていきました。
そして、あっという間に四層目に到着しました。
「やはり……」
アーサーは階段を降りてすぐの場所で立ち止まっていました。
「はぁはぁ……い、いったい急にどうしたのですか!?」
私は呼吸を整える間もなくアーサーに尋ねた。
すると、彼はこちらに振り向き、険しい面持ちで首を横に振る。
「見ろ」
「え?」
アーサーに言われるがままに目の前の光景を見た私は、思わず言葉を失いました。
「……ど、どうして?」
楕円状の広いフロアには四体の亡骸がありました。
勇者コース、賢者コース、僧侶コース、戦士コースに所属する生徒が一人ずつ倒れ伏していました。
どれもこれもが残虐非道な亡くなり方をしています。
賢者コースの女性は私の知り合いでした。彼女は非常に優秀な方で、非の打ち所がないくらいの実力者だったはず。
他にも、勇者コースの男性は公爵家の跡取り息子ですし、僧侶コースと戦士コースの男女も相当に位の高い家柄で優秀な方だったと記憶しています。
そんな彼らを中心にして、周囲には真っ赤な血が散らばっています。もはや誰のものなのかもはっきりしないくらいで……まさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい光景でした。
「イレギュラーが起きたのかもしれない」
驚愕して固まる私を尻目に、アーサーは四体の亡骸の元へ近寄り、息絶えて動かない彼らの姿を見下ろしていました。
酷く冷静な形相で、先ほどまで手を震わせていた人間とは別人のようでした。
「ちょ、ちょっと待ってください! 彼らは、ここにいる四人は、皆揃って優秀な成績を収めていたはずです!
剣技演習や魔法演習では常に上位でしたし、頭だって良くて、ダンジョンやモンスターに関する知識はたくさん持っていました! そう簡単にやられるとは思えません! それに、イレギュラーが起きるなんて……」
「アカデミーのお遊びと戦場は別物だ。これまでの生易しい演習に意味があると、本気で思っているのか?」
「っ!?」
途端に私は我に返った。
モルド様の手で整備されているとはいえ、ここはれっきとしたダンジョンでした。
何が起こるかわからない。そんな場所。平和なアカデミーとは訳が違うのです。
「確かにこの四人が優秀だったのは紛れもない事実だ」
アーサーは一呼吸置いてから言葉を続ける。
「だが、油断しすぎた。こいつらも、上にいる講師も、そしてヴェルシュ、お前もだ。全員がこういう事態になることを想定していないのが何よりの問題だろうな」
「……ごめんなさい」
咄嗟に言葉がこぼれると同時に、名指しされたことで心臓が大きく跳ねる。
アーサーは私が慢心していた事を見破っていたみたいです。呆れたような視線をこちらに向けています。
「仮に警戒の念を張り巡らせていても俺たちには気付きようがなかったし、既に起こってしまったことだ。謝る必要はない。今回に限っては敵が悪かったのもあるからな」
「……どのようなモンスターが現れたのか分かるのですか?」
「強いってことくらいはわかる。現に四人とも喉元や首元、脳天と心臓部なんかを的確に抉られているし、きっと苦しむ暇もなかったはずだ。勇者候補の男なんて、能力の使用はおろか抜剣すらできていないみたいだしな。そして、それをやった元凶は下へ向かっている」
アーサーは四体の亡骸を見下ろして息を吐くと、地面に付着した血痕を頼りに四層の奥へと足を進め始めました。
呆然と立ち尽くす私を残して。
「ま、まさか後を追うつもりですか?」
「当然だ」
アーサーは足を止めず、こちらに振り向く素振りすら見せませんでした。
彼だって怖いはず。
だって、あんな程度の剣の腕しかないのですから、強大なモンスターには到底敵わないはず……。
「ま、まってください、確かに私も含め亡くなられた四人が油断していたのは事実かもしれません。ただ、最も容易くやられたのですよね……? 私は一週間も貴方の剣の鍛錬を見させていただきましたが、その実力ではどんなモンスターにも敵いません!」
私は叫びました。
賢者を志す私に剣技の心得はありませんが、彼の剣技は酷いものだったと記憶しています。
たとえそれが仮想の敵を想定した意味のある剣技だったとしても、あのように無闇矢鱈に動き回りながら乱雑に剣を振るう姿は、とても優れた太刀筋ではありません。
むしろ、他の優秀な勇者候補の方や戦士コースの方を見ていると、剣技の美しさはまるで比にならないのは明白です。
実戦を意識していると話していましたが、やはり彼の実力とその考えを信じきれない部分がありました。
私は続けて叫ぶ。
「アーサー! 講師の方々も、今回参加している生徒の方々も、皆揃って貴方のことを馬鹿にしていたのですよ! そこに命をかける必要はありません! 引き返してください!」
あまりこんなことは言いたくありませんでしたが、私なら自分を虐げてきた方々を助けたいとは思えません。
勝手に死ねばいい……とまではさすがに考えませんが、そんな方々に進んで手を差し伸べる気にはなりませんでした。
そんな私の叫びを受けたアーサーは、ようやく足を止める。
「ヴェルシュ。俺は勇者になって魔王を討伐するんだ」
静かな語り口でしたが、その言葉には確かな覇気が込められていました。
空気が震えて私が口を挟む事が許されなくなる。
「っ!」
「俺は守るべき対象を限定することはしない。誰であろうと救う。それが勇者だ」
アーサーは振り向き様に剣を抜き払う。
その瞬間。辺りには突発的な暴風が巻き起こり、彼の全身には身の毛がよだつほどの神々しい光が宿り始めました。
これはおそらく、私が彼との圧倒的な力の差を感じたことで見えた幻覚の一種。
直感的に理解させられました。
私は、彼には敵わない……と。
それは力量だけではなく、心の器の大きさまでも。
「俺は負けない」
アーサーはそれだけ言い残すと、フロアを抜けて私の前から姿を消しました。
あれが……勇者候補?
「……いえ、本物の勇者様……?」
取り残された私はアーサーの背中に勇者の影を見ました。
鳥肌が収まらずに全身が小刻みに震えています。初めての感覚です。
ただ、今はそれに浸っている余裕がありませんでした。
「——は、はやく戻って助けを呼びに行かないと!」
私はまるで生まれたての小動物のような覚束ない足取りで階段を駆け上がり、来た道を逆方向に進んでいった。
膝はガクガクと震え、荒い呼吸は落ち着くことを知らない。
情けない話ですが、私はアーサーのように脅威に立ち向かうことはできそうにありませんでした。
「助けて下さい! イレギュラーが起きました! 今すぐに応援を呼び下層へ向かって下さい!」
三層、二層、一層、地上へと順に戻っていく私は、下を目指す方々に漏れなく警告を促し、点在している講師陣に助けを求めていきました。
それから、私は気がついたら数多くの応援を率いて十五層にまで到達していました。
混乱と恐怖に頭が支配されていましたが、アーサーが成し遂げた功績だけは忘れることがありません。
アーサーは私が応援を呼んで駆けつけた時には、既にイレギュラーモンスターの討伐を終えていました。
十五層の開けたフロアの中央には漆黒の物体が横たえ、その周辺には十数名の生徒と講師たちが倒れていました。
辺りには悍ましいほどの赤黒い血の海ができていて、応援に駆けつけた方々が思わず吐き気を催す程の残酷な光景でした。
そんな中、アーサーは無数の亡骸の中心に堂々と佇んでいました。
地面に剣を突き立て、瞳を閉じていたのです。
まるで死者を弔っているかのように。
さながら至極当然の行いをしたかのように。
誇らしげな表情など一切見せませんでした。
救うべくして救った……英雄とはこうあるべきだという認識を抱かせてくれます。
その姿を見て私は確信しました。
アーサーこそが本物の勇者様なのだと。
彼以外にその役目が務まるはずがないのだと。
栄誉を与えられて然るべきなのだと。
誰もがそう思うはずでした。
しかし、そうはならなかった。
私以外の全員は、アーサーのことを戦いから逃げた臆病者と罵り、他の生徒を踏み台にしてトドメだけを刺した卑怯者だと嘲笑し、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたのです。
原因は明らかでした。
アカデミーでは平々凡々、あるいはそれ以下の成績だった田舎者が脅威を討ち取った……そんな現実を信じられなかったのです。いえ、信じたくなかったのです。
私以外の誰もがアーサーの実力を疑っているのは明白でしたし、何よりも彼のことを見下す醜い心が優ってしまい、先入観のない評価ができていませんでした。
『お前が逃げずに戦っていたら、他の皆は助かったんじゃないのか!』
『お前が皆を殺したんだ! 優秀な奴らに嫉妬してたんだろ!』
『だから貴族でも何でもない田舎者は信用できないんだ! ヴェルシュ様を唆して仲間に引き込んで何を企んでいたんだ!』
異様な光景でした。
この場で多くの命が失われたばかりだというのに、責任の全てを彼一人に押し付けようとしているのです。
事実関係などつゆ知らず、脅威を打ち滅ぼしたアーサーが非難に晒されていました。
しかし、当のアーサーは、不思議なことに自らの功績を何一つとして語ろうとせず、瞳を閉じたまま口をつぐむだけでした。
まるで祈りを捧げているかのように、地面に突き立てた剣のグリップを固く握りしめています。
彼は何を考えているのでしょうか……彼は、アーサーは、どうして何も言わないのでしょうか?
本当は、私がアーサーを守ってあげられる言葉を、一言でも口にできれば良かったのですが、それは叶いませんでした。
並々ならぬ緊迫した空気感と大勢が犠牲になった恐怖によってそれを憚られてしまったからです。
その後、一頻りの罵詈雑言を吐き出した彼らは、アルス王国から呼び寄せられた調査隊に有る事無い事を報告すると、ダンジョン内にアーサーの味方は完全にいなくなってしまいました。
結局、王都にはイレギュラーモンスターの脅威とその強さ、及ぼした甚大な被害と、亡くなった多くの方々の名前が喧伝されたのです。
当たり前のように、そこに功績を上げたアーサーの名前は含まれておらず、アカデミー内での彼の立ち位置は更に良くない方向に進んでいきました。
あらましの訳を知る私が何もできないばかりに……アーサーは格好の標的として酷い扱いを受けることになってしまいました。
帰還後、私は決意しました。
賢者として、アーサーと共に魔王を討伐する……と。
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