第6話 怖がり
初めて入るダンジョンの内部は広々としていて開放感がありました。
無骨な壁面と薄ら濡れた天井は不気味さを漂わせており、どこか湿っぽい空気感は呼吸を苦しくさせます。
今にもどこからともなくモンスターが現れそうな雰囲気が漂っていましたが、既に三層目に到達したというのにモンスターは全く現れません。
「退屈ですね」
「良い事だ。モンスターなんて出ないに越したことはない」
「どうしてですか?」
「戦わずにダンジョンを踏破できるのなら、それが一番だ」
やや前方を歩くアーサーは非常に淡白な反応でした。
勇者様を目指す者として、このような情けない言動は許されるのでしょうか。
「……これはモンスターを討伐する為の演習ですよ? もしかして戦うのが怖いのですか?」
私は茶化すようにしてアーサーの背中を指で突く。
感情の起伏が少なく、真剣になりすぎている彼を少しでも和ませてあげたかったのです。
ですが、彼は少しの沈黙を置いてから、予想だにしない反応を見せました。
「怖いよ」
「え?」
「俺は勇者候補として生まれたおかげで魔王討伐に対する使命感は誰よりも強い。でも、戦うのは怖いし、死ぬのはもっと怖い」
アーサーは澱みない口振りで吐露しました。
しかし、両手は細かく震えていました。
震えを誤魔化すように、腰に携えた長剣に手を添えている姿が印象的です。
こんなの彼らしくない。がむしゃらに剣を振って、敵を見つければ突撃する。私が勝手に思い描いていたアーサーは無鉄砲で命知らずの人間でした。
あの剣の太刀筋を見ればそう思うのは当たり前です。無闇矢鱈に剣を振る姿は、とても慎重に事を進めるタイプには見えませんでした。
でも……本当の彼はそうじゃなかった。
周囲が彼の事を身分階級だけで判断するように、私もまだ彼のことを知らないだけなのでしょう。
「だから……負けないように、死なないように努力を続けるんだ。そうすれば全員を守ることができる」
「全員を守るなんて中々難しいのでは?」
「現実的には難しいのかもしれないが、俺が強くなればなるほど相対的に周りは俺よりも弱くなる。つまり、守ることのできる対象が増えるってことだ。
努力を惜しまず、可能な限り全てを救い出す。たとえその身を犠牲にしようとも。
勇者っていうのはそういうもんだ。自分の犠牲を厭わず、困っている誰かを守ったり、助けてあげられる救世主なんだよ」
その表情を背後から確認することはできませんでしたが、強い意志の込められた言葉に嘘や偽りは一切ありませんでした。
ただ、正直なことを言うと、アーサーがここまで気張る理由が私には理解できませんでした。
他の方々と同じく油断するのは間違っているのかもしれませんが、ここはたかがモルドのダンジョンです。
イレギュラーだって、そうそう起こりません。
「……まあ、それほど深く考えなくても、今日のところは私が一緒なので大丈夫ですよ。モルドのダンジョンに現れるモンスターの実力は知れていますし、私の魔法で簡単に討伐できますからね」
私一人で何とかなるので、アーサーが弱くても何も心配はいりません。
優秀な私にかかれば何も問題無いのです。
「だといいんだがな」
「それにしても、アーサーはてっきり怖いものなしの性格だと思っていたので意外でした。失礼ですが、剣の振り方を見るに強そうには思えませんでしたし……」
「滑稽だったろ?」
「いえ……そういうわけでは……」
咄嗟に誤魔化しましたが、図星を突かれて肩が跳ねました。
「隠さなくていい。実際、傍からはおかしな太刀筋に見えるだろうからな」
アーサーは見透かしたように鼻で笑いました。
「わざとやっていたのですか?」
「わざと……というと少し語弊がある。俺は常に仮想の敵を想定して剣を振っているだけだ。対人戦に特化した綺麗な剣技演習に意味はないからな」
「仮想の敵?」
「モンスターや魔族、魔王のことだ。生ぬるい対人戦とはまるで違う相手だろ?」
はっきり答える様子からして、本当に無闇矢鱈に剣を振り回していたわけではなさそうでした。
むしろ、私の思考が愚かに思えるほど、達観した口ぶりで答えています。
彼の底が見えません。本当に何を考えているのか理解が及びません。
もしかしたら……本当の彼は強いのでは?
そう思い始めてきましたし、尚更特殊能力を隠す理由がわからなくなりました。
「能力を隠しているのも、使うのが怖いからですか? それとも、まともに扱えないとか?」
「いや、どうだろうな」
打って変わって、今度は何とも不透明な返事でした。
能力の話になるとのらりくらりと躱されている気がします。
「それほどまでに自分の能力を言いたくないのですか? もしも自分では敵わないモンスターや魔族が出てきたらどうするつもりなんですか? 万が一の時に能力を使えないのはまずいのではありませんか?」
私は矢継ぎ早に問いかけます。
質問ばかりで不躾なのは理解しています。ただ、それ以上にアーサーが能力を隠す理由が気になるのです。
「そんな瞬間が訪れないように、俺は剣の腕を磨き続けているんだ。俺が持つ能力は他の勇者候補のように、いつでも縋り付けるほどの代物じゃないからな」
「……勇者候補の方々は例外なく優れた特殊能力を持っているものだと勝手に思い込んでいましたが、アーサーの能力はそういうわけでもないんですね?」
「ああ」
ここで会話は途切れました。
しかし、沈黙は苦ではありませんでした。
アーサーが醸し出すピリついた雰囲気のおかげで、私たちの間にはどことない緊張感が走っていて、おちゃらけた空気なんて一切ありません。
さながら本物の勇者パーティーのような雰囲気でした。
彼が勇者で、私は賢者。後は僧侶と戦士がいれば完璧です。
単なる妄想に過ぎませんが、不思議とシンパシーを感じて心地良いと思えていました。
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