第5話 大切な尊厳
今日は屋外演習の日。
アカデミーの生徒たちは、講師陣に率いられてモルドのダンジョンまで足を運んでいました。
私はアーサーと二人で順番待ちの列に並んでいます。
あの日以降、アーサーとは接触していませんでしたが、今の彼の様子を見る限り、いつも通り剣に時間を捧げて過ごしてきたようです。
顔が青白く、目の下には薄らと隈があり、気怠げな雰囲気を身に纏っています。相変わらず不健康そうな出立ちです。
ただ、服装はいつもと異なり、今日は演習だからか身軽そうな革鎧を装備していました。上からは黒いローブを羽織っています。
腰元に携えている剣は、今日も輝きを放つほど美しく磨き抜かれています。
「アーサー、よく眠れましたか?」
「ん……いつも通りだ」
「また三時間くらいしか寝てないのでは?」
「どうして俺の睡眠時間を把握しているんだ」
「実はこの前まで貴方と同じ生活をしていたので、どれだけ過酷な生活をしていたのかはわかりますよ」
「……よく変わり者だって言われないか?」
「いえ、全く」
「そうか」
テンポよく会話が進む。
変わり者扱いされるのは不服ですし、それはアーサーの方です。
ただ、そんなやり取りすらも少しだけ心地よいと思っているのは気のせいではないのでしょう。
私と会話をする方々は、その殆どが下手に出て敬語で接してくるので、こうしてフランクな口調でやり取りしたのは初めての経験です。
「ニヤニヤ笑ってどうかしたのか?」
アーサーが横目で一瞥してきたので、すぐに私は平静を取り繕います。
「何でもないです。ところで、本日の演習の舞台となるモルドのダンジョンについてはご存知ですか?」
「モルドっていうのは百年前の勇者パーティーに所属していたハイエルフの賢者のことで、ここはそいつが踏破した地下十五層からなるダンジョンだろ?」
「ええ。ハイエルフであるモルド様は、私たちのような未熟者が少しでも成長できるように、ご自身で踏破なされたダンジョンの内部を独自に整備、改良してくださったのです」
モルド様はエルフの英雄です。
賢者モルドという名を知らないエルフはいないでしょうし、皆が憧憬の対象としています。
人間であるアーサーからすれば、モルド様自身にはあまり興味がなさそうですが。
「ここに現れるモンスターの強さは初心者に丁度いいって、本で読んだことがあるな」
「その通りです。ダンジョンごとに現れるモンスターの強さが変わってくるのは当然ですが、中でもモルドのダンジョンは、私たちのような未熟者が立ち入っても問題ないレベルだそうですよ」
「……だが、ダンジョンにはイレギュラーが付き物だ。油断はしないようにな」
アーサーは全く浮き足だっておらず、むしろ冷静すぎるくらいでした。
「わかってます。授業で散々教わりましたし、講師の方々も口酸っぱくおっしゃられてましたから」
ごく稀に、ダンジョンにはイレギュラーと呼ばれる変異が生じ、突如として強大なモンスターが出現したり、大きな地盤変化が起きたりすることがあります。
これはアカデミーに通っていれば誰もが知る一般的な知識です。
イレギュラーが発生する原因は未知ですが、相当危険な状況に陥るとされています。
しかし、イレギュラーが発生する確率は極めて低く、ベテランの講師の方ですら遭遇したことは一度としてないそうです。
今回もイレギュラーが発生するとは考えにくいでしょう。
他の方々の意識の低さやアカデミーの教育の慎重さを揶揄していた私ですが、やはりこの程度のダンジョンであれば問題ないと思っている節がありました。
なぜなら、私はエリートですから。
魔法の練度もさることながら、若干十六歳にして五属性全ての魔法を満遍なく扱えて、アカデミー内における成績は常に最上位です。
弱いモンスターでは相手にならないでしょう。
それは周囲にいる他の方々も同じらしく、誰もが柔和なリラックスした雰囲気で和気藹々としていました。
まるでピクニックに来た子供のようです。
アカデミー内で行われる演習の時よりも、誰もが緩い空気感で臨んでいるように見えます。
ずっとピリピリしているアーサーは完全に浮いてました。
「——次、準備はいいか?」
そうこうしているうちに出番が回ってきました。
私たちは入り口付近まで歩みを進めます。
「何度も説明している通り、ダンジョン内の各所には腕の立つ講師たちに点在してもらっているから、もしも困ったことがあれば無理せず声をかけるように。このダンジョンに現れるモンスターはお世辞にも強いとは言えないが、くれぐれも単独行動はしないこと。優秀な人材に死なれたら困るからな。いいな?」
多くの生徒への度重なる説明が億劫になっているのか、男性講師はつまらなさそうな口ぶりで淡々と説明しました。
「はい」
返事をしたのは私でしたが、隣に立つアーサーは依然として真剣な顔つきでした。
そんな彼の姿を見た男性講師は悪どい笑みを浮かべると、胸の前で腕を組み、偉そうにアーサーのことを見下ろしていました。
「魔法を使えない無能、アーサーか。特殊能力の使用経験もなく、剣技演習は常にドベだったな。おまけに学力も平均以下ときた。
このダンジョンの中にいるモンスターはどれもこれもが雑魚ばかりだが、お前だけはあっさりやられてしまいそうだな。
しかも、アカデミーの歴史上、トップクラスに優秀なハイエルフのヴェルシュとペアを組んでいるとは、まさにおんぶに抱っこってやつか? アカデミーの落ちこぼれと高貴なハイエルフ様が一緒にいるだなんておかしなことがあるもんだ」
「そんな言い方は——」
「——ヴェルシュ、行こう」
私は口出ししようとしましたが、アーサーが言葉で制してそれを止めてきました。
彼は表情を変えることなく先んじて歩みを進めていき、地下へと続く階段を下っていきます。
「はははははっ! 見たか? あの強がり方! 情けねぇなぁ!」
男性講師は大きく口を開けて品性の欠けた笑い声を響かせます。
周囲にいる他の講師や生徒たちもつられて失笑していました。
異様な光景です。差別や侮蔑を当然だと思っていて、アーサーのことなんて何一つとして考えていない。
私は彼の後を追って詰め寄りました。
「悔しくないのですか? 貴方は馬鹿にされているのですよ? 本当にそれでいいのですか?」
胸中に湧き出た数々の疑問をそのままぶつけます。
私なら悔しいです。生まれながらの出自をバカにされて、偉そうに言われたい放題なのは黙っていられません。
ただ、アーサーは私とは違う心持ちらしく、一つ息を吐いてからぼそりと口を開きます。
「もう、慣れた」
アーサーはそれだけ言い残すと、私のことを置いて行ってしまいました。
大切な尊厳を傷つけられることには絶対に慣れてはいけないはずですが……彼は勇者候補なので、本当に気にも留めていないのかもしれません。
ただ、無機質な彼の感情を知るたびに、私の心は悲しくなっていきます。
いつかはその身を投げ出してしまいそうな儚さがそこにはありました。
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