第4話 勇者候補の実情

「アーサー」


 豪雨が上がると同時にアーサーが鍛錬を終えたので、私は待ち伏せて声をかけました。

 雨に濡れた彼にハンドタオルを投げ渡します。


「……っ」


「やっとこっちを向いてくれましたね」


「……俺に何か用か?」


 アーサーは呆れたような顔つきでした。

 もしかすると、私のことを他の生徒たちと同じだと勘違いしているのかもしれませんね。

 安心して下さい。私はそんなひどい真似をするつもりはありません。

 ただ、貴方のことが気になっているだけですから。


「なぜ貴方は毎日剣を振るのですか」


 それは一週間前と同じ質問でしたが、私が胸に秘めた思いはまるで違いました。


「魔王を討伐するためだ」


「そういう意味ではありません。なぜ身を削ってまで剣を振り続けているのですか? そう聞いているのです」


「……俺は皆が使うような魔法は何一つとして使えない。だから、剣を振るしかないんだ」


 アーサーは溜め息混じりに答えてくれました。


「貴方が魔法を使えないのは知っています。ですが、それ以前に貴方は選ばれし勇者候補なのですから、特殊能力を持って生まれたのでしょう?」


 勇者候補の呼ばれる方々は、例外なく特殊能力を持っています。

 聞いたところによると、彼は自身が持つ特殊能力を誰にも明かしていないのだとか。


 何もかもが不思議で仕方がありません。


「……確かに、俺も特殊能力を持って生まれた」


「勇者候補なので当然です」


「それを踏まえて一つ聞くが、あんたは勇者コースに所属する勇者候補の奴らを見たことがあるか?」

 

 アーサーは酷く無気力さを感じさせる表情でした。


「詳しくは存じておりませんが、少々傲慢で厄介な方々が多い印象ですね」


「傲慢とか厄介とかそういうことじゃない。俺が聞いているのは、あいつらがアカデミーでどんな風に過ごしているのか、その姿を見たことがあるかどうかだ」


「……そういうことであれば、見たことがありません」


 勇者コースの方々のみならず、他のコースの方々も含めて、皆がアーサーを虐げているという事実は把握していました。

 ですが、それ以上に詳しくは知りませんでした。


「じゃあ教えてやる。勇者候補なんてもんは、魔王討伐に行く気なんてさらさらないんだよ」


「どうしてですか?」


「勇者候補が魔王討伐への使命感を持っているのは事実だが、奴らはそれ以上に自分が勇者になるまいという思いが強いんだ。

 座学は居眠りし放題で、演習はヘラヘラしながら無駄な時間を過ごすだけ……本当は誰も魔王討伐なんていきたくないんだよ。誰一人として真剣な奴はいない」


「……そういうものなのでしょうか」


「勇者に選ばれることは名誉でもあるが、それは魔王討伐を成し遂げて世界を救えた場合に限られる。

 結局は死ぬことが決まりきった外れくじでもあるってことだ。

 他人の骨折よりも自分の指のささくれの方が痛いって思うだろ? それと同じだ。

 誰かのために自分を犠牲にしようとするなんて、酔狂な奴のすることだからな」


 虚空を見つめるアーサーは静かに語る。

 アカデミーの育成環境が緩くて脆弱なのは大前提として、それを学ぶ生徒たちもあまり勤勉とは言えません。少なくとも、私が所属する賢者コースの方々の殆どはそうでした。

 しかし、まさか勇者コースまでも同じだとは思いませんでした。

 彼らは特有の使命感を持っているので、比較的勤勉に過ごしているのかと勝手に思い込んでいましたが……全くそういうわけではないみたいです。


「……貴方はどうなんですか? 使命感は相当に強いように見えますが?」


「使命感は他の奴らよりも遥かに強いだろうな。それは日を追うごとに、剣を振るごとに実感してる部分だ」


 アーサーは瞳を閉じながら自分の胸に手を当てていました。

 鼓動を聞くことで生を実感しているように見えますが、力の入った口元は小刻みに震えており、どこか怯えているようにも感じ取れました。


「私は勇者候補ではないのでその感覚はわかりません。ただ、賢者として魔王討伐を成し遂げたいと思っています」


 皆、死にたくないのです。

 名家の生まれであるアカデミーの生徒たちは、裕福で充足感のある今の暮らしを手放したくないのです。

 自らの命をかけて魔王討伐へ赴くなんて嫌なのでしょう。


 その気持ちは十分にわかります。

 しかし、誰かがやらないと、人類が滅びるのは時間の問題なのです。


「大層な目標だな」


「魔王討伐のために剣を振る貴方に言われたくありません」


 私は眉を顰めて反論する。

 アーサーに比べると、優秀な私の方が魔王討伐を達成するに相応しい存在なのは明白です。


「そうかい」


 アーサーは気にも留めない様子で鼻で笑う。

 ただ、少しだけ上向いた口角を見るに、私と話すのが嫌というわけではなさそうです。


「……貴方は本気で魔王討伐を成し遂げようとしているのですか?」


 私はアーサーの心持ちが気になりました。


「当たり前だ」


 アーサーは芯のある声色で即答しました。


「剣の腕を磨くのも、他の方々からの酷い扱いに耐えているのもそのためですか?」


「そうだ」


「では、特殊能力を使用しないのはなぜですか?」


「……さあな」


 アーサーの顔つきは曇っていました。

 詳細はあまり語りたくない……そんな感じです。


 ただ、気になった私は臆せず問いを重ねる。


「参考までにお伺いしますが、どのような能力ですか?」


「……自慢できるような能力じゃない」


「内緒ですか?」


「ああ」


「なぜですか?」


「使えないからだ」


「え? 生まれ持った能力なのに使えないのですか?」


 私は驚きました。

 もちろん、すぐに見破られる単純な嘘をついた彼の言葉に対してです。


 勇者候補は生まれながらにその宿命が決まる存在なので、誰がどう見ても勇者候補は勇者候補なのです。

 アカデミーの賢者コース、僧侶コース、戦士コースなどは、高貴な家柄の基に大金を積めば簡単に入学できたりします。


 しかし、勇者コースは違います。私たちとは一線を画す存在です。

 選ばれた者しか所属が許されていない、正真正銘の特別な存在なのです。


 勇者候補の方々は、例外なく一人一つの特殊能力を持ち、その全てが攻撃的な能力と言われています。

 彼らにとって特殊能力は一種のステータスであり、誇らしげに自慢してくるのが当たり前です。

 

 しかし、どういうわけか、アーサーは視線を逸らして答えようとしません。


「俺には皆が持つような特殊能力は使えない」


「意味がわかりませんね。勇者候補の方々は虚空から無数の剣を召喚したり、聖なる光でモンスターを斬り裂くことができると文献で読んだことがあります。使えないなんてことはあり得ません」


「……皆と同じくは使えないんだよ、俺にはな。話はそれだけか? レミーユ・ヴェルシュ」


 レミーユ・ヴェルシュ。それは私の名前です。

 エルフの中でも優れた血筋を持つハイエルフである私は、そんなハイエルフの中でもトップに君臨する最高峰の気品と風格、そして長い歴史と魔法の才能を持つ家系に生まれました。


 それがヴェルシュ家。エルフの一国を担う大貴族であり、私はそこの三女になります。


「私のことをご存知なのですね」


「有名だからな。生まれながらにして五属性全ての魔法を扱える稀代の天才魔法使いだったか。髪色も目立つし、その白いローブの仕立てはかなり上質だ。周りがよく噂しているのを聞くよ。

 容姿端麗で成績優秀……こんな場所で学ぶことなんてないだろうし、何も楽しくないだろ?」


 確かに私の髪は淡いエメラルドグリーンの色合いなので目立つでしょうし、ローブだって祖国から預けられた一級品です。家柄も相まって、アカデミー内で目立つ存在なのは自覚しています。


「国を率いていくお姉様方とは違い、三女の私は勇者パーティーに所属して、魔王と戦い世界を救うことが求められているのです。

 まあ、貴方と同じく、私も慎重すぎるアカデミーの教育と、周囲との温度差にがっかりしているのは事実ですが……」


 お父様の指示もあってアカデミーに留まっていますが、本音を言えば、もうここで学ぶことは何もありませんでした。

 今は目の前の彼に興味が湧いていますが、その他には何も唆られません。


「ふーん」


 アーサーは自ら聞いてきたというのに、心底興味がなさそうな反応でした。


「貴方は楽しいですか?」


 逆に聞き返す。


「楽しいとか、楽しくないとか、そういう感覚で過ごしていない。俺は勇者候補だからな」


「見たところ、ずっと一人ですよね? 寂しくはありませんか?」


 続けて尋ねてみます。


「寂しくない。辺境の小さな村で勇者候補として生まれた時点で、普通の人間の暮らしはできないんだ」


「……なぜですか?」


 アーサーはごく当たり前かのようにそう言いましたが、その表情はとても悲しそうに見えました。


「簡単だよ。俺は忌み子なんだ」


「忌み子、ですか?」


「ああ」


 彼はポツポツと語り始めました。


 本来、勇者候補というのは奇跡の存在と称されています。

 勇者候補は周囲から持て囃されて愛されて育てられますが、彼が生まれた辺境の小さな村は閉鎖的な暮らしをしていて、生まれた瞬間から‘忌み子’として扱われたとのこと。

 村から虐げられる彼のことを彼の家族だけは守ろうとしてくれたそうですが、結果的には五歳になる頃に村を追い出されたそうです。


 それから、奇跡的にアルス王国へと辿り着き、路地裏での生活を始め、そこから十年間も死に物狂いで生きてきたとのこと。

 

 喉が乾けば泥水を啜り、お腹が空けばゴミを漁り腐った臭い飯を食らう……そんな生活を続けてきた、と。


 一切の危険が生じない環境で育てられてきた私とは大違いでした。

 

「悪い。聞きなくなかったよな、こんな話」


「いえ、そんなことありません」


 私は咄嗟に否定する。

 アーサーのことを知りたいと思っていたのに、いざ彼の過去を知ってしまうとかける言葉が見つかりませんでした。

 歴史ある高貴なヴェルシュ家の三女に生まれて、生易しく育てられた私とは正反対の生き方です。


 どこか……悲しくなってしまいます。


「なんで泣いてるんだ?」


「え?」


 アーサーに言われて気がつきました。

 どういうわけか、私の瞳からは涙が溢れていました。


「……ごめんなさい。気にしないでください」


「ならいいが……顔色が悪いから休んだほうがいいと思うぞ」


 顔色が悪いのは私よりも貴方でしょうに。

 毎日の過酷な生活のせいで、貴方の風体は重い病を患っている病人のようですよ?


「お気遣いありがとうございます」


 私は頭を下げた拍子に涙を指で拭う。

 そして、続けて問いかける。


「アーサー、あなたは家族に会いたくならないのですか?」


「……会いたいが、それは難しい」


 表情は僅かに翳りを見せていました。

 村の方々はどうであれ、家族は最後まで彼のことを守ろうとしてくれていたのでしょう。会いたいと思うのは必然です、

 家族を大切に思う気持ちは痛いほど分かります。


「唯一の家族ですよね。私も故郷の皆様方のことが時折恋しくなる事があるのでよくわかります。いつか会えるといいですね」


「……そうだな」


 私と彼では重ねてきた努力の数や歩んできた道のりの険しさがまるで違います。

 ただ、家族に会えない寂しさだけは共有できました。

 

 彼は何を思っているのでしょうか。

 悪人ではないというのは少し話しただけでわかりましたが、彼の本質は見抜けません。


 もっと、アーサーのことが知りたい。


「来週末はコース合同の屋外演習がありますよね」


 私は思い切って話を切り出す。


「ダンジョンが舞台だったか?」


 アーサーは眉を顰めて首を傾げました。


「ええ。よろしければ、私とペアを組んで参加してみませんか?」


「確か、一人じゃ参加できないやつだよな……」


「はい。必ず他のコースの方と二人以上のグループを編成しなければ参加できません。ダンジョンを舞台にした演習はそう多くないと思いますし、どうせ相手は決まっていないのでしょう?」


 相手が決まっていなければ、問答無用で欠席扱いになると講師の方が話していました。

 アーサーの成績や評価を見るに、あまりこういった演習を欠席することは望ましくありません。


「まあ……そうだな。相手は決まっていない。ただ、あまり参加したくないな。どうせ意味のない演習だろうからな」


「せっかくの実戦の場ですよ? いざとなったら私が守りますから怖がらなくても大丈夫ですよ」


 アーサーはあまり乗り気ではなさそうでしたが、私が瞳を捉えて見つめると、しばしの沈黙の後に首を縦に振りました。


「……わかった。だが、付き合うのは今回だけだ。俺は仲間を作るつもりなんてないからな」


「仲間がいなければ魔王は倒せませんよ? そのための演習でしょうし」


「そうとも限らない。一人の方が良いこともある」


「そうでしょうか? 勇者、賢者、僧侶、戦士、四人が揃わなければ魔王討伐は不可能だと思いますよ?」


 パーティーを組んだ方が格段に勝率が上がります。

 それは、かつての勇者パーティーが示してくださった冒険をする上での最適解でした。

 

「さあ、どうかな」


「……よくわかりません」


 惚けるアーサーの反応は私の理解に及びませんでしたが、深追いする必要はありません。

 そもそも彼の実力に期待しているわけではありませんし、今回の演習を経て将来的に仲間になる可能性は限りなく低いでしょう。


 私が気になっているのは、秘密にしている能力の正体だけです。

 能力を他人にひけらかして悦に浸る勇者候補が多い中、どうして彼だけはひた隠しにしているのでしょうか。

 きっと、剣を一人で振り続ける理由はそこにあるはずなんです。


 勇者候補は特別なんです。

 生まれた家柄だけが良いだけの私たちとは訳が違うんです。


 だって、普通は魔王を殺しうる特殊能力を隠す意味なんてないのですから。


「俺はもう帰る」


 私が長考していると、アーサーはそれだけ言い残して立ち去りました。

 気がつけば、ハンドタオルは折り畳まれて側の手すりにかけられていました。


 掴みどころのない感じはしますが、やはり悪い方ではないのでしょう。

 きっと無愛想でぶっきらぼうで不器用なだけだと思います。


 さて、来週末の屋外演習で貴方のことを私に教えてくださいね?


 特殊能力を隠す本当の理由を。

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