第2話 勇者候補アーサー

「なぜ貴方は毎日剣を振るのですか」


 ハイエルフである私が人間に興味を持ったのは初めてでした。

 まして、こうして声をかけるのは普通ではありえません。


 ですが、気になってしまったのです。


 どうして、彼はそれほどまで剣に執着しているのか。

 ひと気のない寮の裏手で、毎日欠かすことなく剣を振る彼の姿は傍目からは異常にしか映りませんでした。


 表情は真剣そのもので、今も滝のように全身から汗を流しています。

 また、剣のグリップからは鮮血が滴り落ち、縦横無尽に振られる剣は小刻みに震えており、既に限界を超えているのがすぐにわかります。


「……まだだっ……」


 彼は私の声なんて全く届いていないのか、剣を振る手を止めませんでした。

 むしろ、より凄みを持った顔つきに変わると、尚も力強く剣を振り続けます。

 布切れのような黒い衣服はところどころが擦り切れていて、丁寧に手入れされたであろう剣は銀色に光っています。。

 容姿はごくごく普通。少し見窄らしい黒髪に黒目、平均的な身長。何ら特徴のない人間です。


 いったいどういう想定をして剣を振っているのかわかりません。

 あまりにも大胆な剣の振り方はお世辞にも優れた太刀筋には見えませんし、バタバタと地面を駆け回る様子は見るに堪えません。


 霊体とでも戦っているのか……そう思うくらい、がむしゃらな彼の姿は滑稽でした。


「無視ですか?」


 彼の姿を見て呆れた私は続けて声をかけてみますが、そんな私に全く興味がないのかまたも無視されました。


 私のことを見る殆どの方は邪な感情を孕ませた好奇の視線を浴びせてくるのに、彼は剣にのめり込んで見向きもしません。


 別にそうしてほしいわけではありませんでしたが、少々不服です。

 私の容姿や家柄は誰よりも優れているはずですから。

 こんな扱いを受けたのは生まれて初めてです。


「貴方のような田舎者が、ハイエルフである私のことを無視するだなんていい度胸ですね」


 癪に触った私は語気を強める。

 もちろん本気で言ってるわけじゃない。私は庶民を見下す器の小さな方々とは違うのです。


「……はぁっ!」


 しかし、彼は一瞥すらくれずに、尚も剣を振り続けます。


 賢者を志す私には剣のことなど理解が及びませんが、今の彼は何を相手取っているのかわかりませんでした。

 彼は勇者候補に選ばれた稀有な存在のはずですが、その姿はまるで、乱雑に棒を振り回す子供のようにしか見えません。


「もういいです。貴方と話すことなんてありません」


 辟易した私は一つ息を吐いて踵を返しました。


 あれほどまでに美しさに欠けた太刀筋は見たことがありません。


「……あんな剣では魔王には届かないでしょうね」


 一人でに呟く。


 あの人間の名前は、アーサー。

 家名も何もない、ただのアーサー。


 名家の生まればかりが在籍するアカデミー内において、彼だけは唯一の一般庶民でした。

 それも、勉強の小さな村の出自です。

 講師の方の話によれば、一般庶民から勇者候補が生まれた前例は一度としてないのだとか。

 私からすればどうでもいいことですが、階級を気にする方々からすれば、彼が在籍しているのは問題なのでしょう。


 そんなことよりもです。

 私が気になっていたのは彼の身分なんかではなく、彼自身のことでした。

 

「勇者候補なのに……てんでダメでしたね」


 勇者候補は生まれながらにして凄まじい特殊能力を持つ他、身体能力や知性が他者よりも目に見えて高い事実は広く知られています。

 ですが、あの剣の太刀筋はそんな風には見えませんでしたし、噂によると魔法を使えないとか。

 確かに全く魔力を保有していなかったので、きっとその噂は真実なのでしょう。


「なぜ、あんなにも必死になって剣を振り続けているのでしょうか?」


 考えれば考えるほど、彼が剣を振り続ける理由がよくわからなくなります。


 まさか、自分が勇者様になれると本気で考えているのでしょうか? 

 

 私はその夢を否定するつもりはありませんが、他の勇者候補の方々からすれば失笑ものでしょう。

 必死に努力を続けてあの太刀筋だなんて、既に才能が枯渇しているとしか思えません。


「とにかく、観察を続けてみますか」


 寮へ戻った私は自室で息をつく。


 明日からは彼のことをより深く観察してみることにしましょう。

 たまたま寮の私の部屋からは建物の裏手がよく見えますしね。


 意味のないアカデミーでの生活に嫌気がさしていたので、これはほんの興味です。

 貴方がそれほど必死に剣を振り続ける理由を教えてください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る