27 / 八官会議

 時は遡り————シズクたちが目を覚ます、数時間前。


 そこは薄暗い部屋だった。灯りと呼べるものは部屋の奥に設けられた御簾の向こうにしかなく、そこからこぼれるわずかな光が、この部屋にいる者達の顔をぼんやりと照らしていた。


 いや、顔というのは正確ではない。なにせ彼らは顔を隠している。顔の前に垂れ下がらせた和紙と、そこに記された壱、弐、参……という大字の漢数字。それらが顔の代わりだった。


 こここそが、霊異りょうい大国・日本の中枢にして枢要。この国の霊異りょうい関連事案のすべてを決定づける場。霊異りょういという文明の光届かぬ闇を衆目より隠匿するを第一とする特務機関。


 席に着くは八人の神祇官。そして御簾の奥にはいと尊き方。


 それは、八官会議と呼ばれた。


 いま、八官会議の場に一人、参加を許された者がいる。


 彼は神祇官ではなく、不遜にも面を着けず参じている。


 首に、腕に、耳に。無差別にあらゆる宗教・民族のお守りをぶらさげ、カジュアルな服装に身を包んだ場違いも場違いなその青年。


 神祇官の「壱」が彼のやごうを呼び、問う。


穢前あいざき。その言葉は真実か」


「無論。この僕が間違いを申したことがありましたか。今一度、申し上げましょう——『まこと』の復活、これは現状では止めようがありません」


 しんと重苦しい空気が会議の場を支配する。


 穢前は気にせず続けた。


「復活の首謀者は月代の後継者。まだ年若い娘ですが——彼女の師は他でもないヘルメス。そう、大生たいしょうの大霊禍れいかを鎮め、我ら黄泉路守りに真の魔の新たなる封印術式を授けた男」


「——ゆえに、封印にあなを穿つ術にも知悉していると。ただ生贄を捧げただけではなく精妙かつ緻密に術を編み上げ、容易く崩せぬようにしている……そう言いたいのだな」


 神祇官の「捌」が忌々しげに言った。


 穢前は神祇官の「捌」に一礼して、その推察を肯定する。


「僕が視たところ、こいつがとんでもなく厄介な代物のようでして。下手に修復を試みれば、術式が暴走し、霊脈を伝って日本各地に黄泉への入口が開くやもしれません」


 神祇官たちの間に、にわかに緊張が走る。


「なんと…………!」


「そのようなことが起これは、この国は終わりだぞ」


「やはりあの男の言葉に耳を貸すべきではなかったのだ」


「しかし、当時の我らに『真の魔』を封ずる術がなかったのも事実」


「存在するだけで死を招く災厄なれば。あれを放っておけば我が国は今頃日に千の産屋が建ち、日に千五百が死ぬ国となっていたであろう」


「首謀者の小娘を殺す。それも危ういか?」


 神祇官の「伍」が穢前に問うた。穢前は首肯する。


「術式の核は奉魂決闘と月代チヨです。月代チヨを殺せば、術式は暴走する。仮に完璧なかたちで術式を止められたとしても、月代チヨの身体に溜め込まれた穢れが周囲を汚染する。……いずれにせよ、大きな被害は避けられないでしょう」


「…………ふむ。つまりは彼奴あやつの予言どおり——か」


 神祇官の「伍」が言う。


 その時。八官会議の場に参ずる者がもう一人。


 ヒールを鳴らし、入ってくるは女性だ。

 アッシュブロンドのロングヘア。伸ばしっぱなしの髪を簪やらヘアピンやらで整え、どうにか見られるようにしている。

 顔は半分が髪で隠れており、見えるのは片目だけ。翡翠の瞳に分厚いクマ。

 服装は公的な場にふさわしい黒スーツなれど、姿勢は猫背。それも186cmという長身で。

 ウェリントン型の眼鏡を指で直して、女性は神祇官らに頭を下げる。


「遅参仕りました。80年ぶりの再会となりましたが、相変わらず皆様ご健勝のようで何よりでございます」


「噂をすれば——だな」


「おや。私の話をされていたところで?」


 女性の言葉に、穢前は首肯した。


「ああ。ちょうどいま、あなたの予言の話が——」


 女性の目がキリッと鋭さを帯び、穢前を睨んだ。


「————失礼だが、君は?」


「僕は今代の穢前。灰崎カオルだ。以後、お見知りおきを」


「そうか。私は————だ。男の私の西洋趣味には業腹だが、どうやら今はこう名乗るより他にないらしい」


 言って、女——ヘルメスはぎりと歯噛みした。


「……なるほど。忘却か。我もその方の真名を思い出せぬ」


 神祇官の「壱」が言った。ヘルメスは悔しげに首肯する。


「して、私の予言の話をしていたということはやはり、あの男がしでかしたのですか?」


「そういうことだ。月代の家に取り入ることも、真祖を利用して儀式を開始することも、月代の娘を唆して依代とすることも。すべて、その方の遺した予言の通り」


「…………もっとも、その予言も封印の解除に成功したのがほんの4年前。対処しようにもそのほとんどは、既に手遅れではあったがな」


「とはいえ、彼女を責めるわけにも行きますまい。彼の者はまさに神出鬼没。予言書を彼の者に万一でも盗み見られれば、彼女の対策もまた無効化されていたに違いないのですから」


「ならば————」


「ええ」


 穢前が頷きで応じる。


「あなたの予言通りに生じた、上級屍食鬼二人、こちらの手駒とし運用する用意ができています。穢れの循環術式についても完成させ、まさに先刻用いてきたところでして」


「……そうか。よくやってくれた」


 ヘルメスが安堵の息をこぼす。


「して、穢前。報告の続きを」


 神祇官の「捌」が言う。穢前は頭を下げ、一礼すると指を三本立てた。


「三つ、良いニュースが。予言にはなかった、細部の話です」


「申してみよ」


「一つ。月代チヨは、玉兎市から——正確には、永続化が施されるより以前の——の術式の及ぶ範囲の外には出られません。そしてもう一つ、現世に復活する偽魔もまた、玉兎市の中にのみ現れるようです。ゆえに恐らくは、真の魔も復活の際は玉兎市に」


「玉兎市に対策本部を設ければこと足りると。それは確かに朗報であろうな」


「して、最後の一つは?」


「月代チヨは、おそらく契約者を辞めることができません。つまり、彼女との決闘に勝利することで、魂の欠片——霊札のみならず、彼女が偽魔から簒奪した穢れをも奪える可能性が高い」


「なるほど。月代の後継者の目論見が我らの考える通りであれば——」


「あやつから穢れを奪うことで時間稼ぎができる、と」


「ならば穢前、貴様はそこのヘルメスと共に奉魂決闘に参加し、月代チヨから穢れを奪い続けよ。遊戯の勝敗など貴様の力あればいくらでも捻じ曲げられるであろう」


 神祇官らの言葉に穢前は笑みで応じた。


「残念ながら、ヘルメス——無論、男性の方の——は僕をひどく警戒していたようでして」


「奉魂決闘には参加できない、というわけだ」


 ヘルメスの言葉に穢前は首肯する。


「では、如何する」


「僕から、推薦したい契約者と真祖の断片が」


「……なるほど。私が予言した上級屍食鬼2人、か」


「ええ。契約者は上級屍食鬼、暁シズク。そして真祖の断片は半上級屍食鬼、黒沼セラ」


 瞬間、場を沈黙が支配した。言葉はなくとも、この状況こそが神祇官たちの内心を雄弁に語っていた。


 不安、恐怖、葛藤、侮蔑。さまざまな負の感情が、彼らの口を重くする。


 であればこそ、御簾の奥のいと尊き方。名もなき君は口を開く。


「穢前よ」


 高貴な声だった。男性とも女性ともつかない——中性的な声。聞くものすべてを心酔させるがごときカリスマを帯びた。


「我と汝の約定、忘れてはいまいな」


「彼女らが世にあだなすことあらば、両名を討伐したのち——大人しく、この座を妹に譲る。無論にございます」


 それはすなわち、いま穢前を名乗っている青年、彼自身の死を意味した。


「僭越ながら、わが君」


 と神祇官の「弐」が口を挟む。


「やはりこの者が腹を切れば良いと云うのは——護国を宗とする立場でそのような考えを是とするはできませぬ」


 ピク、とヘルメスの瞼が動いた。


「だが、今の今まであなた方は黙認してきたのでは?」


「ああ。しかし、それこそが誤りであったのだ。貴様の予言の価値は認めよう。しかし、なにも自由を与える必要はない。意志なき傀儡くぐつとして運用する——その方が安全ではあろう。そして、穢前、貴様の力があれば、それも不可能ではないはずだ」


 穢前は反論をしない。何も言わずとも良いと、分かっているかのように。


「……ふむ。諫言かんげん大義である。その忠心に免じて無礼を許す。して穢前、これには如何する」


「ならば、ひと月ばかりお時間を戴きたく」


 穢前は言う。


「その間に、この穢前が上級屍食鬼グレーターグールたる彼女ら二名から食人の衝動を消し去ってみせましょう。それができねば、神祇官の皆様のお好きなようにするがよろしい。なんとなれば、この穢前に討伐を命じてくださっても結構」


 その場の誰もが、押し黙った。

 動揺が走っているのだ。穢前の言葉に、皆が彼の正気を疑っていた。予言をしたヘルメスでさえも。

 それほど分の悪い賭けに、彼は挑もうとしている。


 神祇官の「肆」が嘲るように呟く。


「痴れ者め」


「よく言われます。して、沙汰のほどは如何に」


「——よかろう」


 御簾の奥の声が告げた。


「2週間与える。為し遂げてみせよ。それが叶わねば、汝の手で、暁シズク、黒沼セラの両名を意志なき傀儡くぐつとせよ」


「はっ。寛大なご処置に尽きぬ感謝を」


 かくして、この時。暁シズクと黒沼セラの命運は決定付けられた。


 食人衝動が消えるか、自我が消えるか。


 二つに一つだ。


——To be continued in Chapter 2

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