26 / 夜が明けて(後)

「あっ。おかえり、クロちゃん…………アカリは?」


したら一人になりたいって言いだして、どこか行っちゃいました。まあ、そのうち戻ってくるでしょう」


「なんの話したらそうなるの……」


「内緒です」


 クロちゃんがにっこり笑顔で言う。


 どうやら、深く突っ込んだらいけないやつらしい。


 清音さんのことをアカリに相談するつもりだったのだけど、この感じだと当分無理そうだ。


 クロちゃんが自分のベッドに座ると同時、病室の扉が開いた。カオル兄さんだった。


「おまたせ。あんまり来ないから自販機さがすのに苦労しちゃって……あれ? 宵星さんは?」


「ええと、外の空気を吸いに……?」


「そう。……あ、こちらお水です」


 キャップを開けて、カオル兄さんは清音さんにミニサイズのペットボトルを手渡す。清音さんはペットボトルをまじまじと見つめてから、水を飲んだ。


 そうだ、と呟いてカオル兄さんは私たちの方へ振り向いた。


「君達二人に言っておかないといけないことがあったんだ」


「……?」


「実は、僕が施した穢れの循環術式は完全とは言えなくてね。仕上げにやってもらわないといけないことがあって————」


◇◇◇


 ここなら誰にも見つからないだろうということで、私たちは病室から出た通路の先、階段を少し降りた踊り場にいた。冬の朝の冷気ただよう階段の踊り場は肌寒く、さっそくベッドの温もりが恋しい。


「……また契約をするってだけなのに、こんなところに来る必要あった?」


 カオル兄さんいわく、私たち二人の間に通したパスを契約によってより強固なものとしてはじめて、術式は完全なものとなるらしい。

 このままではそのうち、私たちの身体から穢れが漏出してしまい、周囲に死を撒き散らしてしまうことになるかもしれないのだとか。想像すらしたくない話だ。


「じゃあシズクさんは、清音さんに吸血されてる時の顔見られても良いって言うんですか?」


「………………私、吸血されてるときって人に見せられないような顔してるの?」


「私に訊かれても。今度、動画撮って確かめてみます?」


 なんだかそれはそれでインモラルなような……ていうかこれ吸血の話だよね?


「な、なんかえっちな感じがするし、やめとこっか」


 私は病院着の襟元を緩くする。契約には真祖の断片からの吸血が必要で、吸血場所は太い血管の通ってる首が一番やりやすい——ヴァレンタインと契約するときに受けた説明を思い出した。


 身長は私の方がちょっと高い。姿勢を安定させるためにクロちゃんが私の肩を掴む。


「……あ、そういえばなんだけど」


「なんですか?」


「…………なんで、あの時私にキスしたの? ほら、最初の契約のとき」


「………………」


 ヴァレンタインと契約する時に聞いた話では、契約に必要な行為は「真祖の断片からの吸血」と「契約者が真祖の断片の血を飲むこと」の二つだけらしい。


 つまり、キスは必要ない。


「そういえば、チヨと契約する時もキスしてなかった?」


「………………シズクさん、そういうのノンデリって言うんですよ」


「せめて私の顔見て言って」


「シズクさんだって私の胸ばかり見てるくせに」


「…………………………」


 返す言葉がなかった。


 膠着状態だ。仕方ない、こちらが引き下がるとしよう——と思ったその時だった。


「……してみたかったんです」


 クロちゃんの顔を見ると、顔が赤い。

 能力で血流を操作しているとはいえ、無意識でやっているからか、恥ずかしがるときは普通に顔が赤くなってしまうのだろうか。

 だったら良いな。


「キスを?」


 クロちゃんはこくん、と頷く。


「じゃあ、チヨにまでしたのはなんで?」


「…………私が聞いた話は嘘だったとはいえ、上級屍食鬼が真祖の断片を殺しうる存在になれるって話は本当なわけじゃないですか」


「うん」


「だから、本音を言えばシズクさんに取り戻しに来てほしくて……チヨさんにもキスすれば、シズクさん、私を取り戻したくなってくれるかなって」


「………………要するに、チヨを当て馬にしたってこと?」


「そうとも言いますね」


「……………………そっかぁ」


 なんだろう。この人、以外とふてぶてしい気がしてきた。なんなら、そんな理由でファーストキスを奪われたチヨがかわいそうに思えてきた(チヨに彼氏ができたという話は寡聞にして知らない)。


「嫌、ですか? 私とのキスは」


「えっ。またするの?」


「舌も食べていいですよ」


「なんも良くない!」


「あはは。冗談です」


 本当に冗談で言っていたのかな。なんだか覚悟の目をしていた気がするんだけど。


「ちゃんと、口移しで血を飲ませるだけに留めますから」


「……いや、キスでする必要ないという話を……まあ、いいか」


 頭を下げて、クロちゃんの唇に自分の唇を触れさせる。


 口を少し開けると、あたたかなものが私の口の中へと運ばれてくる。少しだけ、味が落ちた気がしないでもない。けれどちゃんと美味しい、クロちゃんの血。


 それを口のなかでたっぷり味わって、嚥下する。


「では、失礼しますね……」


 口づけの余韻もほとほどに、クロちゃんが私の首筋に牙を突き立てる。


 首筋に走る鮮烈な痛みと、煙のように広がる快感。心地よい脱力感。


 ジンやヴァレンタインに血を吸われているのとは違う。安心感とでも言うのだろうか。なんだか、頭がぼーっとする自分を素直に受け入れられるような、そんな感覚がクロちゃんにしてもらう吸血にはあった。


 この時ばかりは、私の食人衝動もなりを潜めるようで、クロちゃんの大きな胸が身体に当たっても、食べたいとは少しも思わない。


 ぴりぴりとした甘い痺れ。快楽に酔い知れるようで。


 もっと深い快感を味わいたくて。この気持ちよさに身を委ねたくて。目を閉じる。


 ああ、この時間が永遠に続けばいいのに————。


 なんて思うけれど、そんな時間ほど、大抵、長続きはしないもので。


「シズク?」


 名前を呼ばれて、目を開ける。


 同時、首筋からクロちゃんの牙が引き抜かれる。


 階段の上、私たちがいた病室へ続く通路のところで、その人は私たちをじっと凝視していた。


 黒のスーツに几帳面に剃った髭。苦労の耐えない仕事ゆえか、白髪の混じった黒髪。手にはお気に入りの缶コーヒー。


 クロちゃんに手を吹き飛ばしてもらうまでもなく、私の意識は覚醒する。


 よりによって。よりにもよって。私の一番無防備で恥ずかしい顔を、この人に見られてしまうだなんて。


「お、叔父さん…………なんで、ここに」


 私の叔父——桜木マサヨシは気まずそうに私たちから視線を逸らして、言った。


「ああ……実はな。刑事というのは方便というか建前で……本当は公安の霊異対策室の所属なんだわ。所轄署勤務ってのも嘘で、本当の勤務地はでな……」


 勤務地? あれ、それじゃあここって病院じゃなくて——


「霊異対策室特別課烏森支部——ここが、おじさんの職場、というわけだ。だからその……事情はあらかたカオルくんから聞いているが、うん。あんまり、ここでそういう真似はしない方がいいぞ? 誰が通るか、わからないから、な……?」


 今はとにかく、この死んでも死ねない身体が恨めしい。クロちゃんの気持ちが、少しだけわかったような——そんな気がした。


(続く!)

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