19 / チヨとの対面
冬の風が木々を揺らす。木の葉のざわめきは、まるで私達の到着を歓迎しているかのようだった。
石段を上り終えた果て、拝殿の前で二人は私達の到着を待っていた。
「お疲れさま♡ シズクちゃん、ここまで来るの大変だったでしょ◇」
「…………」
栗色の三つ編みを風になびかせこちらに向かって石段を降りてくるコート姿のチヨ。
その後ろに続く形で歩いてくる、黒髪ロングのセーラー服を来た女の子。身体こそ炎ではないが、ジンの作った【ミメシス・深紅の血のクローディア】そっくりの姿。
「……チヨ。クロちゃん」
「シズクちゃんはやっぱり、ヴァレンタインと契約したんだ。あの状況ですぐに契約できる真祖の断片といえば、そいつだけだもんね♤」
意図して作っているとわかる、和やかな声。そして隠しきれない恨みの感情。
チヨの憎悪が矢のように私たちに向けて放たれているのを感じる。
一方でその隣。チヨから一歩下がったところに立つクロちゃんは私を見ない。何も、視線を向けはしない。
私に、助けを求めてくれない。
この状況が彼女の意に沿わないことは、明白だというのに。
「チヨ。やっぱりあの『シラノ』を貸してほしいって言ったのは……」
「うん。【無名の霊札】——セラちゃんの心臓が目的♡ どーせアカリちゃんから聞いてるでしょ? あの【無名の霊札】が元々、セラちゃんの心臓だったって話は♧」
「……普通、【無名の霊札】は奉魂決闘が終わったら形を維持できなくなって砕けてしまう。なのに砕けないということは——その心臓の持ち主がまだ生きているからに他ならない……つまり、」
「奉魂決闘が終わっても砕けない【無名の霊札】は、上級屍食鬼の心臓ってわけ◇ そして、それを持ち主の身体に返せばご覧の通り」
チヨが手でクロちゃんを示す。
クロちゃんは少しも顔を上げず、俯いたままだった。
……それにしても、なんなのだろう。この濃密な血のにおいは。チヨとクロちゃん、どちらから漂っているものなのかは分からない。
ただ、たぶん二人のうちのどちらかは人を殺している。それも大量に。そんな気がする。
「……計画には本来不要、というかなかったことなんだけどね。5年前の再現をするならセラちゃんにはセラちゃん本来の姿を取り戻してもらったほうがいいかなって思って」
「再現?」
「そっ。再現♡」
チヨはにこりと笑って言った。
「5年前、私は参戦こそしなかったけれど概要なら知ってるんだ。シズクちゃんが、そこの金髪に唆されて奉魂決闘に参加したってことくらいなら、ね」
チヨがヴァレンタインを指差す。
「ああ。……暁シズクをみすみす上級屍食鬼にしてしまったのは、この私だ」
苦虫を噛み潰したような、とでも形容すべきか。その表情を見ればわかる。
予想はしていたが、やはり。
私の上級屍食鬼化は、彼にとって人生の大きな汚点なのだ。恥ずべき失敗だと、彼は感じている。
「だから当然、」
チヨが言う。弾んだ声から一転、地の底を這うような声で。
「その男も私の復讐対象だよ」
クロちゃんを指差し、
「こいつや、」
私を指差し、
「お前と、おんなじ」
ふふっと肩を揺らして笑う。
「でも安心して。死ねとは言わないから。ただ、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん……たっくさん! 苦しんで、私のシズクちゃんを奪ったことを……私が苦しんだ分以上の苦しみを、味わってほしいだけだから!」
言葉を失う。
毎日会っていたはずなのに、大切な友達のつもりだったのに、どうして私は、チヨのこういう感情に少しも気付けなかったのだろう。
今にも泣き出しそうなチヨの顔を見ていられなくて、目を背けたくなる。
けれど、見なかったことにしてはいけない。
ここはそういう場面だ。
視界から消えたからって、それが存在しなくなるわけじゃない。
だからこそ、向き合わなくては。
「……ごめん、今まで気付けなくて」
「なに、また人間ごっこ? 私が欲しいのは本物のシズクちゃんだけなんだけど」
「月代チヨ、君は」
「ロン毛は黙ってて」
しかしヴァレンタインは続ける。
「我々を、どのようにして苦しめるつもりだ?」
「えっ? 知らないよそんなの」
チヨが自分の首筋の霊徴紋からカードを引き抜く。
「……それはさ、これに負けて、私の奴隷になったあなた達が自分で考えることなんだから」
まずい。合図がまだなのに、このまま決闘を始められるのは――。
◇◇◇
桂月神社に行く前に行ったアカリたちとの作戦会議では、状況に合わせていくつかの計画を用意していた。
「プランAは私、宵星アカリがライラプスとともにヘルメスを無力化して儀式の書き換えを阻止する。『アカリのA』で覚えておいて。
プランBは最強の黄泉路守り、
……そして最後、プランCは断片会議を開くことでヘルメスを強制的に現実世界から一時退場させること。断片会議を可能な限り引き伸ばしてもらって、その隙に私が儀式の書き換えを阻止するってわけ。『カンファレンスのC』と覚えておいて」
「……プランAがダメならプランB、プランBがダメならプランCってことだよね?」
「ええ。ちなみにプランDはないわ。プランCに失敗したらどうすることもできない、そう考えてちょうだい」
『つーことは、僕にすべてがかかってる、そういうことだな?』
タブレット端末に写る少年――断片会議で見た姿そのまんま。お風呂にちゃんと入ってるのか心配になってくる男子、倉見シュウは真面目なトーンで言った。
「そうよ。倉見くん。シズクかヴァレンタインがタイミングを指示するから、その時になったら会議を開催してちょうだい」
『ああ了解した。了解したが……それはつまり、僕に霊札を1枚消費させるってことだ』
アカリは頷く。
「ええ。わかってるわ。消費分の霊札1枚の補填を約束する」
『……そんなのは当たり前だ。それとついでに、貸し1つってことにさせてもらう。いいだろ?』
「強欲ねえ。構わないわ。……そうね。そういうことなら、ある意味朗報よ、倉見くん。展開次第では貸し2つになるかもしれないわ」
『……?』
◇◇◇
「――待った!」
ユイさんから連絡はもらっている。プランCだ。
ゆえに、今ここで決闘を始めさせるわけにはいかない——せめて、会議が始まるまでは。
私が声を張り上げると、チヨは訝るような視線をこちらに向けた。
「なに? 珍しいね、人間ごっこ大好きちゃんがそんなに大声出すなんて」
人間ごっこ大好きちゃんってなに?
「そっちは、本当にそれでいいの?」
「何が言いたいの?」
「この境内の近くには、アカリが呼んだ他の契約者や真祖の断片がいるかも知れない。チヨなら知ってるでしょ? 決闘空間には、決闘開始が宣言された時、その周辺にいた契約者と真祖の断片も巻き込まれるって」
実際、アカリは倉見と何か追加で打ち合わせしてたみたいだし、あの巨乳チャイナドレス美女がここに派遣されてくる可能性は十分にある。
「まあね。で、それが私にどう不都合があるわけ?」
「決闘ってさ、挑まれた側は絶対に参加しないといけないと思ってたんだけど、そうじゃないらしいね。決闘を挑んだ側は絶対参加、だけど決闘空間に巻き込まれた者がいる場合、挑まれた側は決闘に参加しなくても良い可能性がある」
「…………なるほど? つまりこう言いたいんだ――このまま私が決闘空間を展開したら、シズクちゃんは決闘せずに誰かと私の決闘の観戦に回る可能性があるって」
といっても、実際のところあの巨乳美女が行くならまずアカリのところだろう。ここにはまだ来ないはず。
私は一歩、チヨの方へ足を進める。
「そういうこと。だから、決闘の開催は私が宣言するよ」
「…………なんだか、小細工のにおいがするなぁ。セラちゃん、【瀝血燎原】、周りの林にお願いできる?」
「!?」
クロちゃんが目を見開き、顔を上げた。
「本気ですか?」
「うん。もちろん。盛大な山火事になるだろうね。でもさ、もしシズクちゃんの言う通り誰か潜んでいるのだとしたら、これで炙り出せるだろうから」
にこりと微笑む。自分の家の神社だというのに、きっと彼女にとって思い入れのある場所であるはずなのに――それが喪われることについて、なんとも思っていないかのような。
「だから、ほら。……ん? ああ、ちゃんと命令形で言わないと駄目かな。【瀝血燎原】、周りの林に——」
その時だった。
――――
脳裏にその声がした。
私は動く。チヨに向かっていく。
一番良いのは、私がチヨとほぼ同じ位置にいて、私の扉からチヨを決闘空間に引きずり込むこと。
チヨをフリーにして、アカリの仕事を妨害されるのは困る。
「へえ」
チヨの顔がぐるんとこちらを向いた。
「アカリちゃんを自由に動かすためか」
チヨの視線が下を向く。扉が発生した。
「――参加拒否」
拒否の意志を宣言した。これでチヨの足下の扉は開かない。そして、私の位置はまだチヨに手を伸ばしても届かない程度。
最善の展開は無理。
だけど、これだけ近付ければ、十分だろう。
右手の人差し指の先を噛みちぎり、捨てて、照準を合わせるように断面をチヨに向ける。
溢れ出る血に意識を集中させる。イメージするのはそこに魔力が乗っかる感覚。魔力の感覚は、何枚か霊札を食べて理解した。できる。
——アカリが言うには、異能は思い込むことが大切なのだと言う。
これは私の
そして、名前という呪いで
この
「【
溢れ出る血は重力に逆らい、真っ直ぐに伸びる。ワイヤーのように固くしてかつ流動性を持たせた、そんな糸——というより紐として血を射出する。
映画や漫画で見たようなやり方だが、これが一番イメージしやすかった。
「——っ! これは」
ぐるぐると血がチヨの身体に巻き付く。私がこうしてくることは予想外だったのだろう。
チヨの踏ん張りは間に合わない。
ぐっと力を込めて引っ張ればたやすくこっちへと持って来られる。
右手の、人差し指以外の指でコートの襟を掴む。
浮遊感。
重力に従っての落下する感覚がにわかに生じて、私は右手により力を込める。
「付き合ってもらうよ——私達の時間稼ぎに」
私はチヨと共に、扉の中へと落ちていく。
見上げる空は冬の夜空——星々の輝く世界から黒の絵の具で塗り潰したような漆黒へ。
空を泳ぐ血の魚たちの横を通り抜け、落ちていく。
決闘空間の中を。
(続く)
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