18 / 宵星アカリの戦い(後)
「——セイッ! ヤッ! ハァッ!」
「はっはっは。見事な演武だ。……いいや、舞かな?」
「あーモウ! また避けル!!」
武闘派のリリネットに対し、ヘルメスは意外にも肉弾戦で応じた。つまり、相手の得意とするフィールドで戦うことを選択したのだ。
「これでも……少しは武術も……嗜んでいてね」
ヘルメスのラメ入りネイルでデコった爪が、リリネットの腕を引っかく。
見た目の上では傷は深くない。むしろ浅い。だが、引っかかれた側のリリネットはというと顔に脂汗を浮かべ、顔を歪めていた。
「——————
「痛覚増幅の呪詛だ。私の攻撃を受けるたび、君の身体が認識する痛みは大きくなる——!」
ならば、とアカリは血の門をヘルメスに向けて放った。
「
血の門は形状によって接続先を変更することができる。☆はライラプス用、◇はリリネットを連れてくるのに使った。そして今アカリが選択した形状は○。
あらかじめこの山中に設置しておいた、門単体での攻撃用を想定してのものである。
ヘルメスの右腕を囲うようにアカリの血が円をなしてセットされる。
同時、血の門をくぐり抜けた先のヘルメスの腕が消える。ヘルメスの腕は今頃、あらかじめ設置した方の門のあるところに出ていることだろう。
「————っ」
そして。
「
こちら側の門を消すことで、即座に空間の接続を絶つ。
ヘルメスの右腕が切断され、血飛沫が上がった。
「ほう——————」
ヘルメスは興味深げに目を細めた。
「なるほど。そのような使い道もあると。血の門で囲った範囲を空間ごと切断……己が異能をよく研究していると見える。——だが」
慌てず焦らず。リリネットの追撃をひらりと回避して、ヘルメスはアカリを一瞥した。自分の右腕を抑え、膝をついているアカリを。
「少々迂闊だったのではないかな? 私に、直接攻撃を仕掛けるだなんて」
「………………っ!」
腕は、ある。あるのだ。なのにまるで自分の腕が切断されたかのように——いや、それ以上に痛い。
「……なるほど、ね。自分が受けた痛みを増幅させて、他者へ返す呪いってわけ」
「そういうわけだ。
言ってるうちに、ヘルメスの右腕が再生する。ネイルも何もついていない腕を見て、嘆息する。
「むぅ……せっかくのおしゃれがこれでは台無しだな」
「余所見……してる場合じゃ、ないッヨッ!」
そこに、リリネットが蹴りの一撃を入れた。だが、ヘルメスはびくりとも動じない。
「顔を蹴られる趣味も……ないのだがね」
ニィと口の端を釣り上げてヘルメスは言う。
次の瞬間。ヘルメスはリリネットの足を掴み、リリネットを地面に叩きつけた。
「————ぐッ!」
「やれやれ。二人がかりでインドア派ひとり倒せないとは情けないものだね。……というかリリネット。君、なぜ異能を使わない?」
「使ってるケド打ち込み全部避けるんだモン!」
「ふ——。驚いたな。己の異能の真価に気付いていないとは。事前に、教えてあげるべきだったのではないかな、なあ宵星アカリ?」
「……っさいわね」
ちっと舌打ちする。
腕の痛みは収まり、立てるまでには回復したものの、アカリの右腕から先は動かない。まるで、身体が「そこに腕はない」と誤認しているかのように。
感覚そのものが消失してしまっている。
——ギガントグールに仕込まれてたのも、きっと同じ呪詛ね。
アカリは理解する。ライラプスが一斉に気絶したのは要するに、彼らの精神が錯覚してしまったからなのだ。自分が対物ライフルの餌食になってしまったと。
それもおそらくは脳を経由してではなく
——呪いなら、解呪の専門家に依頼すればなんとかなるだろうけれど……それまではこのまま、か。
想像以上にこのヘルメスという男は手強い。
だからこそ。プランCに切り替えて正解だった。
「リリネット。今よ」
「ほう? まだ何か手が——」
その瞬間だった。
――
アカリの脳裏に聞き覚えのある少年の声がして、足元に扉が現れる。
「――来た! 出席を拒否するわ!」
即座に宣言すると、アカリの足元の扉は消える。
だが、真祖の断片は強制参加だ。ヘルメスの扉は、たとえヘルメス自身が拒否しようとも消すことはできない。
唯一の懸念点としては、自分だけは例外となるようにシステムに手を加えているかもしれない——ということだが。どうやら、そんな細工はしていなかったらしい。
心底想定外だったのだろう。真顔で、ヘルメスは呟く。
「……なるほど。これはやってくれたものだ」
「運営なら、さっさと会議がまとまるよう努力しなさい。……もっとも、こちらに戻ってきた瞬間、あなたは私の奥の手を味わうことになるでしょうけれど」
ヘルメスの足元の扉が開く。ヘルメスは笑みで扉の中へと落ちていった。
「それは楽しみだ!」
ヘルメスの全身が完全に決闘空間へ落ちると、扉がひとりでに閉じて、その場から消える。
リリネットもヘルメス同様に断片会議への参加を強制され姿を消した。残るはアカリのみ。
「…………さて。時間はないわね。ちゃっちゃと永続化術式を中断させちゃいましょうか」
ギガントグールの体の脇を通り抜け、アカリは森の奥、暗闇に包まれた洞窟の中へ入っていく。
霊脈を辿り、辿り着いた終着点。奉魂決闘の中心地はそこにあるらしかった。
ひんやりした冷気に包まれた洞窟の中。急いで、しかし慎重にアカリは歩を進める。
ヘルメスは洞窟内部には罠を仕掛けなかったらしい。
拍子抜けするくらいにあっさりと、アカリはその中心地――儀式場へ至った。
儀式場には壁面に沿って蝋燭のが置かれており、そのいくつかには火が灯されていた。
おかげで、アカリはその光景の意味を瞬時に理解することができた。
「……………………うそ、でしょう」
それは、この国の魔術師ならば誰もが知るはずの、絶対の
車座になって五体投地の姿勢で中心に向けて頭を下げる人々——否。彼らに頭はない。
そのすべてが首切り死体だった。斬られた頭部はどこにも見当たらず、おそらくはこの生贄の儀式により呼び出そうとしているモノへと捧げられたのだろうと察する。
「なにを、なにを考えてるのよ! 月代チヨ!!」
当たり散らすように叫んでから、アカリはその光景に背を向けた。
その光景を見て理解した。
すべては手遅れだと。
この場所で、自分にできることは何もない。
ヘルメスは、アカリがここに来るよりずっと前に永続化術式を完了させている。今は、効力が現れるまでのタイムラグ期間というわけだ。
だって、そう考えなくては奉魂決闘の中心地――心臓部と言っても過言でないあの場所で
……市内全域に霊異が発生しているとの報告を受けた時から、ずっと疑問だった。
ヘルメスはなぜ、そうまでしてチヨに手を貸すのだろう——と。
霊異とはいわゆる妖怪変化のたぐいだ。
ヘルメスほどの魔術師ともなれば屍食鬼をはじめ、三級相当の霊異ならたやすく作り出してしまうだろうが、狙いが退魔組織の人員を足止めすることともなればそれだけでは力不足。
二級相当の霊異が複数体は欲しいところだろう。けれど、そんなものはホイホイ作れるものでも、出現するものでもない。
すなわち、ヘルメスはおそらく貴重なコレクションのすべてを放出する勢いで市内全域に霊異を放ったのだ。
それも、たかが足止めのためだけに。
ヘルメスがそこまでチヨに入れ込む理由。投資する理由が見えなかった。けれど。
――ああ。アレをやると決めたのがチヨなら、ヘルメスが手を貸す理由もわかる。
禁忌を犯すと言われたなら、そりゃあ、あの永遠の子供のような男は
やっちゃいけないことをやりたがるのが、子供なのだから。
息を切らして再び元の位置へ。ギガントグールの周辺には、まだ誰もいない。
インカムに通信が入る。
『あかりん。境内の方に飛ばしたドローン映像から扉の出現を確認したよ。会議が終わったみたい』
「オーケー。ありがと、ユイ」
――本音を言えば、迷いがあった。
本当の奥の手、これを使われた相手がどうなるのか——どのような末路を迎えるのかは、アカリ自身にもわからないのだ。
一つ確実に言えることは、この奥の手を使われた対象は、この世界から消えるということ。
つまりは、殺すも同然だ。
——相手があのヘルメスであろうとも、果たして殺しても良いのか。葛藤があった。
空中、ヘルメスの頭より少し高いくらいの位置に扉が生じる。
——けれど、アレを見たらそんな葛藤は自分でも驚くくらいにあっさりと吹き飛んでしまった。
アカリはその封を解く。
「――
宵星アカリの異能、【
血で囲った範囲の内側を門とすることができる。
壁に血で円を描けば、その円の内側の壁を通り抜けることができるようになり、
複数箇所に円を描けば、血の円がある場所同士を繋げることができる。
それらはすべて、自分の身体から出た血を使って図形を描いた場合の話だ。
では、身体の中の血をそのまま門とした場合は?
自分自身の肉体の中を流れる血――血管という名の
宵星アカリは語るべき言葉を持たない。
ただ、直感はしている。
――ヒトが、行ってはいけないところだと。
「…………見たようだね。アレを」
扉から降り立ったヘルメスがアカリの顔を見て言う。
次の瞬間。アカリの身体が前方につんのめって停まる。
胴が縦に割ける。
老若男女様々な肌の色、様々な太さ、肉付きの腕がアカリの腹から出ている。健康な皮膚のもの、日に焼けたもの、爛れ崩れたもの、腐ったもの。その様相も様々だ。
それらは無秩序にヘルメスの髪を掴み、ローブを掴み、顔を掴み——中には眼球を潰して目に親指を突っ込むものさえあった。
「これが、奥の手か」
たくさんの腕にもみくちゃにされながら、ヘルメスは言った。言葉に歓喜の色を滲ませて。
「やはり無尽の蔵の娘だな」
少しの身じろぎも許されず、夥しい数の腕に拘束されたヘルメスは、そのまま腕たちの根本——アカリの腹の中へと。
収まるようにぺきぺきと。ぱきゃぱきゃと。身体を腕に潰されて。
収められてゆく。
「君もいつか、ここに来る」
腹の奥——身体の門の向こう側からそんな言葉が聞こえた気がした。
「…………
血の噴出が止み、身体が閉じる。
アカリはその場に膝をついた。顔面に脂汗をにじませ、肩で息をする。
「うっ」
込み上げてきた吐き気に堪え切れず、その場に嘔吐する。真っ赤な吐瀉物の中には、いくつか骨が紛れていた。魚でもなければ牛や鶏のそれでもない。
人骨だろう、とアカリは思った。
「ともかく、これで……ヘルメスは排除できた」
もっと他に方法はあったかもしれない。この先、ヘルメスを排除してしまったことで様々な不都合が起きるかもしれない。それでも。
アカリは信じる。今はこれが最善だったと。
「うわァ!」
と、驚く声に顔を上げてみれば、青ざめた顔のリリネットがそこにいる。
——そっか。そういえば彼女もここから会議に参加したんだった。
「エッ……? な、なに今の……」
「ごめん……秘密に、して……」
「ていうか、ソノ、目……」
「目……?」
言われ、気付く。
どうやら走ってるうちにカラーコンタクトが外れ、落ちてしまったらしい。生まれついての本来の瞳の色——赤と黄色のオッドアイが露出していた。
「この目のこと、も……ナイショで。あと、伝言、頼まれてくれる?」
アカリを立たせようとするリリネットの手を払い、伝言の内容を端的に伝える。
決闘が始まってからでは遅い、ということは理解していたのだろう。リリネットは即座に境内へと向かってくれた。
独りになって、ようやくアカリは倒れ込むことを自分に許した。
吐瀉物を避けるように倒れたつもりだが、髪くらいにはくっついてしまったかもしれない。
ああやっぱり。奥の手を使ったあと行動不能に陥るのは、契約者になっても変わらないかと心の中でため息をついて、アカリは自分でも一応、念話を用いた伝言を試みる。
意識を強く集中させ、即座にヴァレンタインに——シズクの真祖の断片としていま、まさにチヨと闘おうとしているであろう自分の
あるいは、すでにリリネット経由で聞いているかもしれないが。
今、伝えるべき情報は二つ。
——ヘルメスの無力化に成功した。
そして、
——シズクの霊札は、すでに使われている。
(続く!)
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