01 / 契約(後)
私とクロちゃんは屍食鬼の死体を一旦校門裏に隠した。通りすがりの人に見つかったら、大騒ぎになってしまう。
その上で学校にパトカーでも来ようものなら、チヨを襲った犯人との対決に不都合が生じるかもしれない。それは避けたかった。
目撃者がいないことを願って、向こうが指定してきた神秘探求部の部室へと急ぐ。
といっても、部室の場所を知ってるのは私で、学校の敷地内を歩くのに慣れてるのも私だ。
結果、私がクロちゃんをお姫様抱っこしながらの移動となった。
そういえば名前を言ってなかったことに気付いたので、移動時間を使って自己紹介する。
「私は暁シズク。名字呼びでも名前呼びでも好きなように呼んで」
「……では、シズクさんで。ところで……その、大丈夫ですか。前見てなくて」
「この学校は私の庭みたいなもんだから。目を閉じてたって歩けるくらい」
「でもその、私の胸を凝視するのはいかがなものかと……」
「それは本当にごめん。いや、やっぱ寒そうだなって」
「平気です。気合いでなんとかなってるので」
「コート貸そうか?」
「前が閉められないので……」
なんて話をしているうちに、神秘探求部の部室近くに到着した。
相手は私一人で来ることを御所望なので、クロちゃんには一旦下で待機していてもらう。
この時間、校内の建物はどこもかしこも鍵がかかっているだろう、ということでベランダからの侵入だ。いつものようにジャンプして、ベランダの手すりに手をついてからよじのぼる。
さて、犯人はどんな奴だろう……と部室を覗き込んで、声が出た。
「……誰も、いない?」
部室はもぬけの殻だった。けれど何かがあったことは、間違いがなかった。
窓にカーテンは掛かっていない。今日の放課後、チヨと帰るときに締め忘れたのだ。だからそれはいい。
問題は、荒らされた室内。机や椅子が倒れている。
ベランダ出入口に目をやると、サッシ戸のガラスが割れている。たぶん、そこから手を内側に突っ込んで、錠を開けたのだろう。
サッシ戸を開けて部室に入る。こういう時、うちの高校が屋内でも原則土足で助かった、と思う。ガラス片を気にせず、そのまま室内に上がれるのだから。
室内はやはり無人で、人の気配がない。私を呼び出してすぐに、犯人はチヨをどこかへ連れ去ったということだろうか。
待機してもらっていたクロちゃんを呼んで、同じくベランダから入ってきてもらう。約束を反故にしてしまったかたちになるが、そもそも犯人もチヨもいないのだ。
それに、この部室には何か違和感がある。
頭のなかで何かが引っかかる。それが何か調べようとした、その時だった。
「……待ってください」
クロちゃんが手を横に出して私を制止する。視線は部室の出入り口の方へ向けたまま、彼女は言った。
「そこにいますよね? ヴァレンタインさん」
クロちゃんが呼びかけると、何もなかったはずのところから突如として男が現れた。金髪のスーツ姿の男性だ。神経質そうな印象の顔立ちの鋭い目つきの西洋人。
「君か、クローディア」
「なんで姿を消してたんですか?」
「我々を呼び出した者が来るかもしれないと考えてな」
ということは、このヴァレンタインもクロちゃんも私と同じように誰かに呼び出されたということか。
クロちゃんの知り合い——仲間でもあるようだし、この男はチヨを襲った犯人ではないのだろう。ひとまずは安心しても良いのかもしれない。
「こちらからも一つ、質問してもいいか?」
ヴァレンタインは私を強く睨む。呼吸が止まるかと思うほどの威圧感。殺気だけでも人を殺してしまえそうなほどの。
この人とは初対面のはずなのに、どうしてそんな目を。
「――なぜ、暁シズクがそこにいる」
私のことを知っている?
「それはシズクさんの友人——チヨさんがここで何者かに囚われていたかもしれないからで……念のため尋ねますが、ここにいたという屍食鬼は」
「案ずるな。年齢は30代なかば。スキンヘッドの男だ」
ヴァレンタインがかがんで何もないところに手を当てる。——と、スキンヘッドの男がそこに現れた。外傷はないように見えるが、間違いなく死んでいる。
不謹慎だけど、思わず安堵してしまった。チヨじゃなくてよかった、と。
「それで改めて問うが、なぜ暁シズクがここにいる。いいや、こう言い直そうか――なぜ暁シズクが契約者になっている?」
「どうしてそれを……」
反射的に、思わず訊いてしまう。
ヴァレンタインはため息をついて、
「やはり、契約していたのか」
そう言った。
つまり確証はなかったというわけで……私は、まんまと彼のカマ掛けに引っかかったということらしい。
「ヴァレンタインさん。おそらくチヨさんの誘拐・失踪にはこの奉魂決闘が関係しています。この一件が解決する間だけでも、シズクさんを参加させてあげられませんか」
「ならん。暁シズク、君はこんな
「……戻る? チヨが、友達がいないのに?」
「そちらは我々が調べる。それでは納得できないか?」
「できない」
即答すると、ヴァレンタインは目を伏せた。
「ならば――致し方なし」
ヴァレンタインが左手を開く。手のひらには「♀」のような図形の赤い紋様。そこから、1枚のカードを引き抜いた。血のように真っ赤なカードだ。
「やはり、こうなりますか」
クロちゃんが呟く。
どういうこと、と尋ねる間もなく、それは起きた。
「――
カードが輝きを放って次の瞬間。世界が塗り替わった。
手狭な部室から一転、広大な空間が広がる。
天井は消え、上は黒い――水彩絵の具をべたっと水に溶かさずに塗りたくったかのような――黒い空。
そんな空を血そのもののような色艶をした魚たちが泳ぐ。
足下は、と言えば白い大地。どこまでも果てしなく続くかのような、荒涼と言うよりもただ無機質なだけの砂漠。
そして、そんな大地には、私達の周囲を取り囲むように十字架の群れがどこまでもどこまでも――地平線を隠すように夥しい数、立っている。地平線の果ての果て、朝焼けのように鮮烈な赤に染まる空をバックに。
それはきっと、永遠の夜明け前。決して来ない明日のメタファー。
すなわち世界の終わり。
「シズクさん。説明しましたよね。この儀式では参加者同士で戦い合う、と。……ですが、吸血鬼――真祖の断片は不死。そして契約者もまた不死です。普通に戦っては、決着のつけようがない」
「――ゆえに」
クロちゃんの言葉を継いでヴァレンタインが言う。彼はいつの間にか、私たちから少し離れたところ、白い石でできた小さなテーブルの前に立っていた。
「我らの戦いは武力ではなく、知恵と覚悟の比べ合いとなる」
言って、厚みの異なる2つのカードの束をテーブルの上に置く。するとその部分が凹み、テーブルにカードが吸い込まれる。
機械的な音を立てて、少しすると、カードの束が再びテーブル上に戻って来る。フレームのようなものを装着した状態で。
「さあ。暁シズク。君も
指摘されて気付く。私の手にはいつのまにか、二種類のデッキが握られていることに。右手には30枚のプレイイング・デッキ、左手には10枚のライフ・デッキ——わかる。枚数を数えずとも、誰に教えられずとも、そのデッキの名が、役割が。
然るべき場所にデッキを置くと、決闘卓がデッキを飲み込んで、そしてフレームをセットして戻してくる。なるほど。このフレームが邪魔で各デッキの中身が確認できない状態になっている。
フレームは不正防止の措置か。
「このゲームの名は
隣に来て、クロちゃんが言う。女の子特有の、あまったるいようないいにおい。
「シズクさん、私達はこれから互いの契約者の魂を賭け金として、このカードゲームで戦います」
クロちゃんは私の胸の真ん中——鳩尾のあたりにとん、と触れる。そして指でつまむような形をつくると——そこから真っ赤なカードを引き抜いた。カードには、太陽をモチーフとした図案をめちゃくちゃに歪めたような、崩れた形の紋様が刻まれている。
「正確には、契約者の魂を変換したこの5枚のカード——
なるほど。これがクロちゃんが「魂を賭ける覚悟はあるか」と問うてきた理由か。
「賭ける枚数は?」
「原則として、一度の決闘で賭ける枚数は1枚きり。望むならそれ以上賭けることもできるが——今回はやめておこう。2枚以上失った際の症状は、無視できん」
「症状……?」
「
「それも、やがて改善させる。実質的には皆無に等しい」
それはそれで地味に嫌なペナルティだけど、魂の1/5を失ってそれで済むと考えれば僥倖——なのだろうか。
「ですが、ヴァレンタインさんの目的はあくまでも霊札ではなく、シズクさんをこの奉魂決闘の儀から降ろすこと。そうですよね?」
「ああ。ゆえ、エクストラ・ペナルティを君たちに要求する」
ヴァレンタインは私を指差し、宣言する。
「私が勝ったら、暁シズク、君はその場で
「……負けたら望むと望まざるとに関係なく強制的にそうなるってこと?」
「ああ。エクストラ・ペナルティは絶対だ。逆らうことはできない」
ヴァレンタインの説明を補足するように、クロちゃんが例示する。
「たとえば、エクストラ・ペナルティで『日本人を虐殺しろ』と命じられたら、敗者はどんなにその行いを望んでいなくても虐殺を実行してしまいます。……まあ、勝者はいつでも敗者への命令を撤回できるので冗談でそんなことを言ってしまっても、取り返しはつきますが」
「……なるほどね」
つまり、この戦いで私が負けたら私は、チヨの身に起きた「何か」の手がかりをまるっと失うことになるわけだ。しかも永遠に。
……カードゲームに負けたらぜんぶおしまいなんて、冗談じゃない。
「これって、私からも要求できるの?」
問うと、クロちゃんは首肯した。なら私は——
「じゃあ、私たちが勝ったら手伝ってもらう。チヨを見つけるための手伝いを」
要求を告げると、空間に無機質な調子の、女性の声が響いた。
『
荘厳な鐘の音が鳴る。これでもう、私はあとに退けない——そんな確信があった。
対面ではヴァレンタインが決闘卓の縁に取り付けられた刃の上に指を滑らせていた。
そして滴り落ちる血を決闘卓に吸わせ、宣言する。
「真祖の心臓に誓う。我が血と魂を賭けて、誇りと覚悟を胸に戦うと」
決闘卓がドクン、と一瞬赤く染まったかと思うと、プレイング・デッキ——山札のフレームロックが解除され、ライフ・デッキから下の5枚が決闘卓に吸い込まれる。
そして4枚のライフ・カードが、盾のように決闘卓の前へと展開される。
私も同様にする。と、やはり同じように山札のロックが解除され、4枚のライフ・カードが眼前に展開された。そして——ヴァレンタインの様子を見ていたときは見落していたのだろう。山札の隣に一枚のカードが現れる。
カードの名は【深紅の血のクローディア】。
そこにはクロちゃんのゲーム上での能力・性能が記されていた。
テキストにざっと目を通して、初期手札の5枚をドローする。ドローし終えると山札は再びロックされた。
「シズクさん、手札を見せてください…………なるほど。悪くないですね」
クロちゃんが手札を覗き込んで言う。
「ゲームのルールは契約者となったその時に、ある程度脳に刻み込まれているかと思いますが……プレイングの方、自信はありますか?」
言わんとすることはわかった。自信がないなら自分がやると、そう言っているのだ。
正直、自信はない。だけど。
「……自信はないけど、私にやらせて。あのヴァレンタインって
「わかりました。では、一つだけアドバイスを」
言って、クロちゃんは私の耳元で囁きかけてくる。どうしよう。おっぱいが腕に当たってるし、このままだと理性が蒸発しそう。
服越しでもその柔らかな感触とか暴力的な質量とかが感じられる。
「そのデッキは、ヴァレンタインさんに勝つために私が組んだデッキです。ですからそのデッキを、私を、信じてください」
クロちゃんの身体が離れる。不安そうな顔の彼女を見たら、蒸発して大気に溶けかけた理性は雨となって戻ってきた。
「わかった、信じる」
クロちゃんが破顔する。ちゃんと安心させることができたらしい。
「相談は終わりか? ならば、先攻はそちらに譲ろう。暁シズク」
譲る、なんて言うけどヴァレンタインが後攻スタートを選んだのは間違いなく戦略上の理由からだ。私に気を使ってるから後攻を選んだんじゃない。それだけはありえない。
そんな確信がある。
……だけど、手札の引きとクロちゃんの登場条件を踏まえて考えると、受け入れてしまっても問題はないだろう。物言いと言い相手の思惑に乗っかることと言い、少し、
「…………じゃ、ありがたく」
うなずくと、血の魚は私の頭上を泳ぎ出した。
準備は完了した。
決闘卓は「お前のターンを始めろ」と急かすように山札のロックを解除してくる。
視線——クロちゃんの視線とヴァレンタインの視線が私に集中しているのを感じる。息が詰まりそうな、だけど同時に心地良くもある、緊張感。
悪くない。
ふう、と息を吐き。力強く宣言する。
「――私のターン! ドロー!」
こうして、私の奉魂決闘が幕を開けた。
(続く!)
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