1555年 部下を育てる 収入3本柱

 俺に従うようになった若者達一緒にお玉とお雪の食事による体を作るという学問を習っていた。


「薬食同源、大陸では薬と日常の食事も同じと考えられています。体を動かすには食事から力を取り入れるのが一番良いです。豆を食うと力が湧く、納豆をよく武将が好んで食するのは先人達が培ってきた教えがあったからです」


 お玉が鶏を例に出した。


「豆を与え続けた鶏と野菜だけを与え続けた鶏を戦わせたら豆を与え続けた鶏が勝った。そして豆だけの鶏と両方を与えた鶏を戦わせたら両方を与えた鶏が勝った。三羽の鶏を捌いて肉付きを確認し、食べ比べると強い鶏から順に肉付きがよく美味しかった」


「人も同じ様に強い武士の子供が強いのは親と同じ食事をとっているからと考えられる。農民が弱いのは食事量が足りていないのと禁忌とされる食べ物が人に力を与えるからであると妾は考えている」


「大昔に牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べることが禁止することを朝廷が決めた。これはそれぞれ牛や馬は労働力として使うから、猿は人に近いから、犬は人と共に生活をする相棒だから、鶏は時を告げる鳥だからと理由付けされたのじゃが、鶏から取れる卵は人の血肉になる食べ物じゃ」


「牛の乳もそうじゃな。大陸では牛や馬の乳や血を飲み、肉を喰らうことで世界最大の帝国が誕生したこともあったのぉ···そこでお主達には色々な食べ物を食べてもらうぞ」


 とお玉が言う


「食べたら本当に力がつくんだぎゃ?」


「その成功例が佐助だよ」


 とお雪が言う。


 事実俺は牛の乳をよく飲み、鶏を卵も肉も食べ、様々な物を食べた。


「背丈はどうしても伸びる年齢がある。それを超えてしまった者は背丈が伸びない。ただ肉付きは良くなる。効果が出るようになるのは半年後じゃな。よく食べ、よく動く···休む時に勉学に励めば効率良く頭も体も育つじゃろうて」


 とお玉が言うと食事をチチが持ってきた。


「鶏の肉と薬味を米と一緒に炊いた炊き込みご飯、納豆の味噌汁、野菜の漬物を朝、昼には焼いた卵(目玉焼き)に麺を焼き、塩で味付けした物(塩焼きそば風)、夕食には芋を入れた鍋を皆で食べる。主と同じ食事を摂ることで結束を強めると言う話もありますからね」


 大鍋から具をよそわれ、米も出される。


「佐助様、これは凄い高いのでは?」


 と村人が言うが


「そうでもない。奪った食料もそうだが、鍋に入っている白いのは年老いた牛を潰した際に出た腸を使ったものだ。肉よりも痛みやすいから今日の鍋にした。早速食べて明日の体を作るぞ」


 と俺が率先して食べる。


 腸ということで若者達は最初戸惑っていたが、食べ始めると美味い美味いとよく食べた。


 草子がどこからともなく牛、馬や鶏を拾ってきたり、地引網で魚を取ったりしたり、魚の干物と芋や野菜を交換して部下に十分な食事を与え続け、鍛錬を続けさせた。


 半年もすると肉付きが良くなり、腕が太くなったり、足腰に肉が付いて長い槍を扱えるようになった。


 そして弓を教えた事で俺に従う二十人の若者達全員が弓を放てる様になり、鹿や猪を山で狩ったりするようになっていった。








 合戦では必ず弓を使った応酬があるが、弓を与えるだけで兵としての格が上がるのだ。


 それほど鍛錬をしなければ弓を扱える兵はできない。


 なので武士に産まれた子供達はほぼ弓を習うのは戦場で武功を稼ぐためだけでなく、明確な長所として話す事が出来るのだ。


 信長様は訓練時間がかかり、人数を増やしにくい弓よりも鉄砲の方に注目しているが、俺はお玉から中華で主流の武器である弩の方が使えると思っていた。


 ただ弩は訓練時間を短縮して弓兵を揃えられる利点はあるが、連射性能に難があること、射程距離も火縄銃より短かったり、専用の矢を使わなければならず、数を揃えられる環境があって初めて効果を発揮するため、戦術の研究は続けているが、配下となった若者達には普通に弓を使った鍛錬を行わせた。


 まぁ弓術、馬術、剣術、槍術などの武芸は草子が詳しく、俺も草子になったやり方を工夫しながら部下に教えていった。


 特に肩力を付ける為に槍投げを俺は取り入れた。


 弓を引く力は肩、腕、背中の力(筋肉)を主に必要とするが、正しい姿勢を身に着けたあとはそれらの力を鍛えるしかない。


 そして矢も限りがあり、矢が無くなれば石を投げなければならない。


 槍投げは肩まわりの力を身につけるのにうってつけであり、石投げや槍や刀の素振りと合わせて鍛錬に組み込まれた。


 また地網引も鍛錬に役だった。


 下半身で体を支えながら網を引く運動は全身の筋肉を鍛えるのにはもってこいであり、それに食料も取れるので一石二鳥である。


 勿論水泳や走り込みも行ったが、俺が嫁達にやらされた鍛錬は全身を使って力を生み出すという考え方が根本にあるので、俺もそれに習って全身くまなく鍛えるのを部下に徹底していた。


 白右衛門とか善財みたいに元から体ができている者は良いが、食事が足りてなかった元村人の若者達は最初はキツそうであった。


 それも半年経てば日常的にやれるようになっていたが···


 また自称仙人と言い張る道海はチーズを作る時に大量に出る乳清という液体を鍛錬後に飲むと体が大きくなる(筋肉が付く)と言われ、乳清を飲んだり、乳清を粉末にした物を水に再び溶かして飲んだりして肉体を作っていった。


 他にも道海は味噌の上澄みに溜まる液体は独特の旨さがあるとし、たまり醤油と名付けて味噌を作りながらたまり醤油を使った料理を次々に考案した。


 牛乳、チーズ、発酵乳(ヨーグルト)、鶏肉、卵、魚、野菜、味噌、納豆、里芋、山芋等をまんべんなく食し、鍛えまくった結果、一年が経過すると皆怪力を身に着けていた。(お玉達が妖力のこもった食事を与えたのもある)


 鋼の肉体を手に入れた俺達は今川家の補給部隊や山賊を襲い、食料や金を奪う蛮族の様な金策を敢行するようになった。


 補給部隊には弓を射掛けて混乱した所に斬り込んだり、山賊は夜襲を仕掛けたりして暴れ回り、5度に渡る蛮行に及んだが死傷者無く切り抜け、そこそこの金を得ることができた。


 その金を使い、牛を増やして村の労働力を増やしたり食事を豊かにしていった。


 最初は様子見をしていた若者達も強烈な成功例が目の前にあれば飛び付き、総勢五十名に増えた。


 俺は蛮族経済でも今はなんとかなるが、それではいつか駄目になると思った俺は家臣を養うために地網引以外にも金になることを始めた。


 それが炭作りと人工石作りである。


 炭作りは言わずもがな、木を切り倒すのも、ふいごで窯に風を送るのにも力がとにかく必要だ。


 そして人工石というのはお玉がはるか西の国(ローマ)では人工石(ローマコンクリート)や煉瓦作りが盛んであり、石灰と火山灰を混ぜた物が固まる前に型に流し込み、長方形の石を作っては水野様に売りつけた。


 船に乗せて織田家の方にも流したが、清洲城の拡張工事や信長と敵対姿勢を明白にした信行様が砦を作るのに俺が作った人工石が四角形で整っているので壁を作るのに扱いやすいと好評で、商人達から買い付けるので、俺の所に注文が殺到し、油よりもはるかに利益が出たのだった。


 魚、炭、人工石という木村の収入源として3本柱ができたことで代官である俺の懐も大いに潤い、村人達の対立も豊かになったことで沈静化するのだった。


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