第30話

 アラディア領を出てから3週間。

 乗り心地が良いとはあまり言えない馬車に揺られ続け、俺の尻と腰は悲鳴を上げていた。


「すみません。あの、休憩を……」

「はいよ!」


 俺はヘンデルさんという御者と共に王都までの長い旅をしている。

 初めは会話など無かったのだけど、毎日一緒に居るとやはり仲良くなってくる。

 互いに話す以外にすることもないのだから尚更だ。

 ヘンデルさんは何処かアラディア領の冒険者たちと似たような雰囲気を持っていることも仲良くなれた要因の1つだろう。


「いや~、やはり王都までとなると馬車に慣れないルーカス様にはキツイ旅路になりますなぁ」

「あと1週間かぁ……。ヘンデルさんは俺を送った後はどのくらい王都に滞在するんです?」

「あっしは人を運ぶのを生業としてますんで、次の旅客が決まればすぐに出ますよ」

「凄いですね……俺にこの仕事は無理そうだ……」

「あっしは1つ所に留まるのが性に合いませんで、これが天職ですわ」


 元々遊牧民だったというヘンデルさんは、移動に慣れている。

 というよりも、移動する生活が当然だと言う。

 俺には考えられない生活だけど、たしかに日々移り変わる景色を眺める生き方も楽しいのだろう。

 如何せん、俺は身体の痛みが先行して外を見る余裕がなくなって来ているが。

 とはいえ、こうして休憩がてらに外を眺めれば、やはり美しい光景に目を奪われることも多い。


「美しい湖ですね……。湖面に山々が映って幻想的に見える」

「流石ルーカス様、良い目をしてらっしゃる! ここは丁度今が旬の名所です。時間があるなら釣りでもしたいところですが、流石に今はそうもいかないのが残念でさァ」

「釣りか……やってみたかったな……」

「ハッハッハ! それなら帰りにまたここを訪れればよろしいでしょうな!」


 たしかにそうだ。

 帰りは行きと違って入学式に間に合わせるようスケジュールを考える必要もない。

 とはいえ――。


「次にこれを見られるのは5年後か」

「5年は長いですなぁ。しかし、この雄大な自然は5年程度じゃ揺らぎやせん。きっと、また同じ光景をルーカス様に見せてくれますよ」


 日々旅をし続けるヘンデルさんの言葉には説得力がある。

 俺は目の前の光景を目に焼き付けると、再び馬車に乗り込むのだった。


 ◆


 だいぶ道を進み、あの美しい湖面も見えなくなる。

 空はもう暗がり始めていた。


 そろそろ野宿の準備かな?

 そんな俺の考えを読んだかのように馬車が停止する。

 けれど、どうにも様子がおかしかった。

 馬がいななき、ヘンデルさんは慌てた様子で俺へ声を掛ける。


「ルーカス様! すみませんが一度来た道を戻りやす!」

「どうして⁉」

「前方に、灰狼カーヌス・ウルフの群れが……」

「灰狼⁉ 何でこんな場所に!」

「わ、分かりません! とにかく、一団になって山から下りてきてやがる! 遠目だが間違いない!」


 俺は慌てて馬車の外に目を向けると、確かにそれらしい影が見える。

 見えるだけでも5匹。たぶん、まだ居る。

 

「と、とにかく、ここを一旦離れやしょう!」


 慌てるヘンデルさんに同意したいところだが、そうもいかない。

 

「待ってください! 前方に、他の馬車が見える! あのままじゃ拙い!」

「残念ですが、こういうときは自分ら優先です!」


 厳しい判断だが、文句は言えない。

 こういうとき、対抗手段のない人間は何を置いても逃げるのが先決だ。

 だけど――。


「俺は降ります! ヘンデルさんは離れて!」

「はぁ⁉ 何バカ言ってっ――⁈」

 

 俺はヘンデルさんの言葉を最後まで聞かず、馬車から飛び出した。

 俺の背にはとびきりの対抗手段が一振り。

 

「王都に着いたら、美味い飯にありつけそうだ!」

 

 灰狼の牙は良い値になる。

 獲物から来てくれるなら、一狩り行こうじゃないか……。

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