第48話:いざ鎌倉へ

 2029年8月9日


 東京から鎌倉の禅寺まで、約1時間半……のはずだった。

 少なくても地図上では。


 だけどまさか、アレクとソジュンが、鎌倉と聞くや否や、スラムダンクの聖地を巡礼したいと言い出すとは……。


 言わずと知れたバスケ漫画の金字塔、スラムダンクは、連載終了から数十年を経た今でも世界的人気を誇っている。


 そして、そのオープニング曲に出てきた鎌倉高校前は、今や全世界のアニメファンの憧れの地となっている。


「ちょっと、みんないつまで写真撮ってんのよー?」

 わたしは半ば呆れて言う。


「リンちゃんも来なよ!」

 電動の車椅子を器用に操作しながら、エリーが呼ぶ。


 わたしは目を細めた。

 朝日を浴びて反射する湘南の海は、確かに美しい。


 36時間も寝続けてちょっとなまった身体に、生気が満ち満ちていくようだ。


 ――だけど、この太陽も、10年の内にその力を失い、地球が凍土に覆われる。


 あの場にいたわたしでさえも、にわかには信じられない。

 仮に知らない誰かにそのことを伝えたら、誇大妄想だと思われるかもしれない。


「ほーんと、三式島の出来事が嘘みたいな、平和な光景よね」

 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、十萌さんがわたしに声をかけて来る。


 首には、一眼レフのいかにも重そうなカメラをかけている。

 スマホの撮影機能が格段に上がった今では、一眼レフカメラはプロ以外では一部の人しか使わない、半ば骨とう品となりつつある。


「すみません、"新所長"に、ツアーガイドみたいなことをさせちゃって」


 あの世界会議以降、各国対応で鬼のように忙しくなったカイは、新所長として十萌さんを任命した。


「ううん、みんなが楽しんでくれればそれでいいわ。着いたら、またキツイ修行が始まるんだしね」

 十萌さんが笑う。


「そういえば、氷河期についてのニュース、全然ニュースで流れていませんね」

 火山活動については連日のように流れているが、氷河期到来についての公式発表は全くない。


「あれだけインパクトの大きいニュースだから、当然、各国で協調して報道管制を敷いてるわ。下手に発表したら、大パニックになるから」


 ――まあ、当然そうだろう。地球上の大半の人たちが、自分たちの住む場所を失うのだ。


 わたしは、遠慮がちに聞く。

「やっぱり、氷河期が来ないっていう可能性はないんですよね?……なんて言うか、どうしても信じがたくて」


 十萌さんは、優しく答えてくれる。

「その気持ちは良く分かるわ。私だって信じたくないもの。だけど、創さんのチームとアイロニクスが、何度も調査した結果、10年以内の発生確率は96%以上という結果が出ているの。だから、氷河期の到来自体は、避け得ない未来だと思う」


 96%って……。

 小学生以来、そんな点数、テストでも取ったことはない。


「ただ、氷河期の到来のタイミングにはぶれがあるのは事実よ。それに、一気に全土が凍土に覆われるというよりは、徐々に凍土が浸食する可能性が高い。だから、極端な話、自分の国が氷河期になるのが20年後だと見込んだら、『対策は先送りしよう』という政権もあるかもしれない」


 わたしは、疑問を口にする。

「え、でもいつだか分からなくても、確実に来る未来なら、やれることはやっておいたほうがいいんじゃないですか?」


「残念ながら、今が良ければ、自分たちが死んだ後のことはどうだっていいと思う人たちもそれなりにいるの。特に、高齢化が進んだ国の政治家なんてね」


「高齢化……。それって、一番進んでるのは日本なんじゃ……」


「そう、そこは大きな懸念点だったの。でも、総理が去年、助かったわ。50代とはいえ、歴代の首相の中で若いし、何より今回の件にも、とても協力的だもの」


 確かにカイも言っていた。

 先進国の中で唯一、AIに寛容な国だと。


 これも、経産省時代の風間真一が推し進めた政策らしい。


 ――そういえば、70代の保守派の前総理は、2年前、突如過去の政治献金スキャンダルが掘り起こされ、辞職に追い込まれている。


「も、もしかして、政権交代それを仕掛けたのって……」

 十萌さんはそっと人差し指で、わたしの唇に触れる。


「やがてすぐ、あなたたちも政治の世界に巻き込まれることになる。でも、今だけは、仲間との瞬間を楽しんで。最後に、頼れるのは人の絆だけなんだから」


 そういて十萌さんはわたしの手を引いて、みんなの待つ踏切の向こうまで歩き出した。


 **********


 海岸でさんざん遊び倒したわたしたちが、バスに戻ってきたのは2時間後だった。


 アレク、ソジュン、ミゲーラ、エリー、夢華、そしてわたしが乗り込んだマイクロバスの中で、十萌さんが言う。

「じゃ、そろそろ目的地に向かうわね」


 アレクが大げさに肩を落として、

「鎌倉の大仏も観たかった……」とぼやく。


「大丈夫。次の場所、アレクも絶対に気に入るから」

と十萌さんがフォローする。


 10分後。

 わたしたちはそびえたつ巨大な門を、感嘆の面持ちで見上げていた。

 

歴史を体現したかのような、豪壮な正門。

 かつてこの地で激戦を繰り広げてきた、武士たちの気質を想起させる雄々しさだ。


傍らの石碑にはこう書かれている。

"報極寺禅寺"


「サラ、このお寺について紹介して」

報極ほうごく寺は、約800年前に、足利一族によって創建された禅寺だよ」


 足利一族……。

 歴史の教科書でしか聞き覚えのない苗字だ。


「何て言っても見どころは、3000本の孟宗竹の庭園なんだ」


 さ、3000本。それだけあれば、庭園というよりは、もはや山林だ。

 思わず、七夕を3000回祝えるな、なんて他愛もない想像してしまう。


 十萌さんがにっこりと笑う。

「今日から、報極寺ここを貸切って合宿するの。本番の、その日まで」

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