第13話 : 正体
――死ぬかと思った。
アイロニクス研究所の応接室で、水を飲み干しながら、額の汗をぬぐう。
カイが運転する飛行車は、木と木の間を縫うように降下していった。徐々に落下速度が緩まり、地面から3mの高さで
――すると。
驚いたことに、地面がゆっくりと開いたのだ。
そして、車はその地面の中に収容されていった。
私が地表だと思っていたのは、実はアイロニクス研究所の開閉式の屋根だったようだ。
――まるで、SF映画の世界だ。
それとも、実は現実世界も、わたしのような一般人を置いて、どんどん未来化しているんだろうか。
研究所は、全て一階の平屋建てで、総面積としては思いのほか広い。
ただ、敢えて森に包み込まれるようなデザインとなっているので、上空からは建物の全容は分からない。
「なるべく、一般人の関心を引きたくないからね」とカイは言う。
たしかに、今はなんでもかんでもグーグルアースで見られる時代だ。
「でも、変な人が紛れ込んできたらどうするの?」
わたしたちみたいに、空から着地するなら目立つだろうけど、塀もない森の中なら、外部から入り放題な気がする。
もちろん、建物の入り口には認証システムがあるだろう。
でも、もしも、無理やり入り口をこじ開けて侵入しようとする輩がいたらどうするんだろうか?
カイは、超薄型の折りたたみスマホを開き、私に見せる。
そこには、無数の角度からのカメラが、研究所の周囲を録画している様子が映っていた。
「この研究所は、木に組み込まれたカメラと赤外線が、24時間監視している。AI制御しているから、不審な動きがあれば、内部の護衛がすぐに駆け付けるから安心していい」
なるほど。さすが、AIのトップ企業なだけある。
「まあ、とはいえ、死角となる部分もある。人間がすり抜けるのは難しいけど…。」
……カイは思わせぶりに言った。
「でも、猫くらいのサイズなら、出入りできるかもね」
わたしは、思わずカイの目を見つめた。
あの、いつもの挑戦的な笑みだ。
わたしは直観する。
やはり、あの幽霊猫の騒ぎは、カイの仕業だ。
「どういうつもり?」
わたしは、カイを睨みつけた。わたしの傍らには、竹刀が置かれている。
一発どつくのに、1秒もかからない。
カイも、竹刀に視線を落とす。ただ、いつもの余裕の笑みは消えていない。
「一緒にくれば分かるよ」
と、どこか愉快そうに言う。
「ついて来て。その竹刀も持ってね」
カイとともに部屋と部屋を行き来するたびに、「ぴっ!」という電子音が響く。
部屋ごとに顔認証システムが起動する。
さっき、わたしも、顔認証、指紋認証、声紋認証と、あらゆる登録をして、ようやく出歩くのを許されたくらいだから。
三度ほど、部屋間を移動すると、カイがおもむろに口を開いた。
「ここだよ」
その部屋は、明らかに特別な感じだった。
中は見えないけど、壁の長さから察するに、全長50メートル以上のあるようだ。
「カイ・ローゼンバーグ様、認証しました。お隣の深山リン様の入室も認めますか?」
電子音声が問いかける。
「ああ」
とカイが答えると、滑らかにドアが開いた。
その部屋に一方踏み入れると、わたしはその部屋の意外な眩さに、思わず目を細めた。
ドーム状のその天井からは、日光らしき光がその部屋には降り注いでいる。
そして、透明なガラスのように見える壁面からは、外の森の様子がはっきりと見える。
――え、いつのまにか外に出ちゃったの?
と本気で思ったくらいだ。
「透過ガラスだよ。ただし、外からは、ただの地面に見えるような特殊加工をしているけどね」
わたしは改めて部屋を見渡す。
中は、入室前に想像していた以上に広かった。
日光を取り入れている天蓋は、開閉式になっているようだが、閉まっている状態でも、外の太陽光を十分に取り入れられる仕様のようだ。
さらに部屋の奥に、いくつもの個室が設けられているようだ。この部屋に住んでいる、誰かの寝室だろうか?
「ほかの部屋は普通の研究室っぽかったのに、何でここだけこうなっているの?」
「彼女たちにとって、ここでの生活は大変だからね。少しでも、外の景色に触れさせてあげたいんだ」
「彼女たち……?」
そのとき、一番手前の個室から、動物の影が姿を現した。
昨晩見た、幽霊猫だった。
わたしは目を見張る。
呼び声がした。
「リンちゃん!」
わたしは思わず、びくっと肩を震わせる。
その声は、二重に部屋に響いていた。
まるで、悠くんと美紀ちゃんが同時にしゃべったときのように、ステレオになって耳に伝わる。
一つは目の前の猫の口からも、もう一つは奥の部屋からだ。
間違いない。昨夜聞いたあの、エリ―の声だった。
わたしは、声がしたその部屋に向かって走り出した。
ばんっ!
ドアを乱暴に開ける。
視界に飛び込んできたのは、わたしが夢で見続けた彼女だった。
椅子に腰かけ、穏やかに微笑む彼女を見て、わたしはその名を呼ぶ。
「エリー」
その声にこたえるように、エリーは、椅子のひじ掛けに付いたレバーを操作し、こちらに近づいてくる。椅子だと思っていたものは、どうやら電動式の車椅子のようだ。
もちろん記憶よりも時を重ねた分大人びていたけど、その美しいプラチナブロンドと、星空のような瞳は全く変わっていない。
かつてのいたいけな天使が、今は、女神に変わったみたいだった。
「リンちゃん。やっと会えたね」
エリ―は涙ぐみながら、そうこぼした
わたしも自然と涙が溢れ出してくる。
「でも、どうして……」
嬉しさと同時に、無数の疑問が頭を駆け巡り、言葉に詰まる。
カイが、珍しく優し気な声音で言った。
「星が教えてくれたんだ。君と、エリーの話を」
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