第10話:追憶と誓い

 もう夜10時を回っただろうか。


 わたしは、火灯窓と呼ばれる、炎の形をあしらった独特の窓から、中空に浮かぶ月を見続けていた。


 この時間になると、全ての生活音も消え、耳を澄ませば遠く潮騒の音が聞こえる。都会では決して経験しえない体験だ。


 ただ、そんな平和な光景とは裏腹に、わたしの脳裏には、さっきの錬司さんの言葉が気になり続けていた。


――人を倒す訓練をしている外国人……か。

 この平和な島にはおよそ似つかわしくない危険人物ひとが徘徊していると聞くと、心穏やかではいられない。


 心を乱している原因はもう一つあった。


 朝の悠くんの幽霊猫の話だ。

 友だちの目撃証言がある以上、それが本当に幽霊だったかは別として、何かを見たことは事実に違いない。


 不意に遠くで、ふくろうの鳴き声が聞こえた。

  

 ――ま、考えても仕方ないか。

 そうした気持ちも、この美しい月を見ていると、少しは落ち着いていく。


 夜の風が吹き抜ける。気が付くと私は夢の世界に堕ちていた。


**********

 

「エリー!シャーロットさん!忘れものだよー!!」


 あれはわたしが小3の秋のことだった。やたらと大きい深紅の夕焼けが、道路に長い影を落としていた。


――ああ、またこの夢か。

 あまりに何度も見すぎたせいで、どこかで夢だと自覚さえしてしまっている。


 エリーは小学1年生で、両親の関係で同じ学校に転校してきたイギリス出身の少女だ。

 

 ふわふわのカールのブロンドと長いまつげ、大きくて宝石のような目。まさに天使といった風貌で、剣道を習っているのが信じられないくらいに華奢で可愛い。


 「にゃぁぁぁぁ」

 小学生向けの稽古が終わり、道場の片づけをしようとしたとき、愛猫のサラが足元に寄ってきた。口には、エリーの名前が記された「面手拭めんてぬぐい」を咥えている。


 だからわたしは、エリーとお母さんを追って、夕暮れの道を走っていったのだ。


 視線の向こうに、人影が見える。

「追いついた!」と思い、私は駆け寄った。


 そこで見た光景は信じがたいものだった。


 お母さんは地面にうずくまり、エリー自身は男に首を絞められ、宙に浮いていた。


「な、何やってんのよ!」

 わたしは思わず叫び声を上げた。


 男は私を一瞥すると、

「なんだ、またガキか」と吐き捨てた。


 そして、乱暴にエリを地面に叩き落す。エリ―はうめき声を上げ、喘ぐように私の名を呼んだ。

「……リ、リンちゃん」。 


「おとなしく、バッグをよこしておけばいいのに、あんなもん使いやがるから」

男はちらと、道路の端に転がる竹刀を見やった。


 どうやら、エリ―は竹刀を使って抵抗したらしい。

 ただ、たとえ竹刀があっても、小1の力では20代の大柄な男には敵いようがない。


 逆上した男に、首を絞められていたようだった。


「何見てんだ。殺すぞ」

 男はそう言い放ち、わたしを睨みつけた。


 わたしは、生まれて初めてぶつけられた純粋な殺意に、身震いをした。金縛りにあったように、体が動かない。


 エリーのプラチナブロンドには、赤い血がにじんでいる。

「これ、お母さんの大切なバッグ…」

 そういって、地面に落ちているバッグに手を伸ばそうとする。


「うぜーな」

 男は、エリ―の下腹部を思い切り蹴り上げた。体が浮くくらいの衝撃。

 

 そして、エリーは動かなくなった。一気に血の気が引く。


 意識はもうないはずだ。

 それでも紐を握るその小さな手から、男は無理やりバッグを剥ぎ取った。


 「エ、リー……」

シャーロットさんがか細い声で呼ぶ。


 その声で、わたしの金縛りが解け、体がわななき始めた


 エリーのお母さんのシャーロットさんは、上品を絵にかいたようなイギリス人で、毎週の稽古のたびに、おいしいお菓子を焼いてもってきてくれた。


「わたしは体が弱いから、少しでもエリーには強くなってほしいの。それに、日本の文化にも触れてほしいしね」

そう言って、いつもエリーの稽古を見に来てくれていた。


 そんなお母さんがうずくまり、エリ―も気を失っている。


 わたしは、自分自身に問う。

 こんなのでいいのか?いったい何のために、誰のために剣道をやっているんだ?


 うわぁぁぁぁぁ‼

 私は叫び、必死で自分をふるい立たせる。


 そして、転がっているエリーの竹刀を取り、男に対峙した。


「あ、やんのか⁉」

男が威嚇する。


 わたしは、無我夢中で、竹刀を振り回した。

身体に浸み込んでいるはずの型を思い出せないくらい、ただただ必死だった。


 そこから先のことは断片的にしか覚えていない。

男からは数回殴られた気がする。


 ただ、わたしも確かに反撃をした。多分、胴と顔への一撃ずつ。


  気が付くと男はおらず、竹刀の剣先には血が付いていた。男の頬に突きが当たった時の血かもしれない。


「エリー!エリー!」

シャーロットさんの声で我に返る。


 エリ―を抱きよせ、必死に呼びかけている。

「リンちゃん、どうしよう。エリ―が、息していないの!」


 わたしは頭が真っ白になり、同時に叫んだ。

「誰か、誰か助けて‼」


 一心不乱に叫びながら、近所の家のドアを叩いた。叩いて叩いて叩きまくった。

何事かと、幾人かの大人が出てきてくれた。


 そして、その内の一人が、エリ―の様子を見ると、救急車を呼ぶとともに、人口呼吸を施してくれたのだ。


 あと少し遅かったら、息を吹き返せなかったと、後になって言われた。

 だけど、下半身には一生マヒが残り、二度と自分の足では歩けないらしい。


 シャーロットさんは、わたしには何度も何度もお礼を言ってくれた。

リンちゃんがいなかったら、二度とこの子と話すことができなかったと。


 でも、わたしにはそんなことばは、慰めにもならなかった。

 あの時、男の姿を見たときすぐに立ち向かえていたら、エリ―はこんなことになっていなかったはずだ…。


 そう自分を責めることが止められなかった。竹刀なんて見たくもなかったし、学校も休みがちになった。


 その時、誰よりも傍で寄り添ってくれたのが、幼馴染で、クラスメートの星だった。もちろん、お父さんやおじいちゃんも、道場を休業してまで家一緒にいれてくれた。


 でも学校にまで付いてくるわけにはいかない。


 更に悪いことに、あのころ、ことの一部始終がニュースになったせいで、自宅までマスコミが押し寄せてきたのだ。


「9歳の天才剣道少女、暴漢を撃退!」的なニュースが、メディアを躍らせていたせいだ。


 そんなんじゃない、本当のわたしはこんなにも臆病で弱いのに…と思えば思うほど、やるせない気持ちが募っていく。


 そんなあのころ、星はそれこそ登校から下校時まで常にそばにいてくれた。マスコミが家まできて帰れないときは、星の部屋でずっと一緒にアニメを見ていてくれた。

 

 触れられたくないことには決して触れず、ただただ寄り添ってくれた。そんな星には、今なお感謝しかない。


 数か月後。シャーロットさん一家は引っ越すことになった。よりよい治療環境を求めて、海外に移住するらしい。


 車いすにのったエリーは、健気に笑ってくれ、別れ際に綺麗な便箋に入った手紙をくれた。


 「リンちゃん、今まで本当にありがとう。手紙、頑張って書いたらから、後でお家で見てね」


家に帰っても、私はすぐに手紙を開けられなかった。


 もしかしたら、私を恨んでいるのかもしれない。そうじゃないとしても、剣道なんかやらなければよかったと、きっと後悔しているに違いない。


 一方で、体が不自由になったエリーが、わたしのために一生懸命書いてくれたという手紙を読まないわけにはいかないとも思った。だから、わたしは、迷いに迷った挙句、意を決して手紙を開いた。


 りんちゃんへ


 あのとき、たすけてくれてほんとうにありがとう。

 あのわるいひとにおそわれたとき、ほんとうにてこわくてなきそうでした。


 でも、りんちゃんがきてくれたとき、うれしくてやっぱりないちゃいました。

 りんちゃんは、ずっとずっとわたしのヒーローです。


 わたしは、もうけんどうはできないと、おいしゃさんにいわれています。


 だからおねがいです。

 りんちゃん、せかいでいちばんつよくなってください。

 

 わたしも、がいこくで「りはびり」とかいうのをがんばります。

 あるけるようになったら、またあいにいきます。


 だいすきなりんちゃんへ

 

 えりーより

 

 読み終えたわたしは泣いた。

 泣きすぎて、頭がいたくなるくらい、泣き続けた。


 こんなにわたしにも、頼って、信じてくれる人がいるんだと思うと、こころの奥があったかくなった。


 わたしは、ずっとクローゼットの奥にしまい込んでいた竹刀を取り出して、心に誓った。


 強くなろう。誰よりも。

 次こそは、大切な人たちを護り切れるように。

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