第9話:不穏
「キョキョキョキョキョキョ」
日暮れどき、外のお風呂に歩いていく途中、遠くから、不思議な鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「サラ、これって、何の鳥の鳴き声?」
「
――もう、こんな時間か。
その日、ご近所さんに挨拶をして回りつつ、野菜の収穫や家事を手伝っていたら、あっという間に日が暮れていた。
「ありがとうね」
島のみんなのシンプルなお礼の言葉が、素直に嬉しい。
高齢化が進む島の暮らしは、何かしらの不便と隣り合わせだ。
でも、不便を不条理と思わないところが、島の暮らしの良いところだと思う。
何かしら足りないのが当たり前だし、何なら、今日も食事し、眠れることだけで有難い……そう考えているみたいだ。
「噴火」という、人知を超えた自然災害と長年つきあうことによって育まれてきた精神性なのかもしれない。
わたしは汗を吸い込んだ服を脱ぎ、髪留めを外し、髪をほどく。
3年間伸ばした髪は、胸にかかるほどの長さになっている。
――それにしても、錬司さんとの試合のときの、あの不思議な感覚は何だったんだろう。
お風呂に浸かりながら、「ゾーン」について思いを巡らす。けれど、無心だったがゆえに、どうすれば再現できるのかが分からない。
「無心」というのは、よく考えると、とてつもなく難しい概念だ。
だって「無心であろう」と考えている時点で、「無心」ではないから。
あくまでも自然にならなければならない。
ただ、自然になろうと意識すればするほど、その境地は遠のいていく。
これもまた、禅問答のようだ。
お風呂から上がると、悠くんと美紀ちゃんは既にリビングの絨毯の上ですやすやと眠っていた。さすが双子だけあって、寝顔まで似ている。
「まったく……」といいながら、錬司さんは軽々と二人を抱えると、寝室に寝かしつけてくる。
戻り際、キッチンからビールを二缶持ってくると、「リンちゃんも飲むかい?」と聞いてくる。
「いや、一応わたしまだ、19歳なんで」
「あ、そうだったね、ごめん」
そう言うと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、なみなみとついでくれた。
ビールと麦茶と乾杯し、ひとしきり話した後、私は車の中で聞けなかったあの話の続きについて尋ねてみた。
「車の中で言っていた、気になることって何のことだったんですか?」
……ああ、と錬司さんは思い出したようにつぶやいた。
「なんかこの島に、奇妙な外国人が出没し始めている」
――奇妙?
ふと、朝の悠くんとのやりとりを思い出す。
「まさか、錬司さんまで幽霊とか言いませよね……?」
……いやいや、と苦笑する錬司さん。
「じゃあ、アイロニクスの外国人社員や、取引先とか……?」
新しくホテルを建築するくらいだ。多くの人が集まってきているだろう。特に外国からの来客は、多くの島民にとってなじみがないのは十二分に想像できる。
「その可能性もあるけど……。なんというかもっと不穏な感じでね」
――不穏?
「人を倒す訓練を受けている人が持つ、独特の空気感があった」
「それって、軍人とかですか?」
「うーん、それともなんか違う。例えるなら、傭兵とか」
山野辺家に婿入りする前、アフリカの内戦地域に、青年海外協力隊として派遣されていた錬司さんならではの感想なのだろう。
「何か事件でも起きたんですか?」
わたしは緊張気味に聞く。
「いや、まだ何も起こっていない。単に、すれ違った瞬間に、その気配を感じただけだ。だから何の根拠もないんだけど……」
その気配や空気というものが、わたしには分からない。
「そういう気配って、誰もが感じられるものなんですか?」
「うーん、多くの人にとっては難しいかもしれないね。僕も、禅の修行をしはじめてから特に意識するようになったから」
座禅のとき、住職から邪念に感づかれ、「喝!!」と
「普段から意識しているかにもよると思う。たとえば、リンちゃんも、剣道の試合で集中しているときなら、相手の所作から、強さが大体は分かるよね?」
「はい、それはなんとなく」
「でも、それは自分が剣道をやっていて、どのような立ち振る舞いをする人が上級者なのかが経験的に分かっているからだと思うんだ」
――確かに、剣道でなら、どんなに相手が虚勢を張っていても、その構えや間合いの取り方から、相手の実力は大体分かる。
「そして、戦闘を
錬司さんが、少し遠い目をした。
まだピンと来ていないわたしに、錬司さんが「――例えば」と続ける。
「すれ違いざまに、万が一背後から襲われることを想定して、それとなく間合いを取ったりとか、即座に武器が取り出せるための挙動をしたりとか」
「そういう
「ああ、相手は巧妙に隠そうとはしていたけどね。ともかくリンちゃんにも気を付けてほしい」
……まあでも、と錬司さんがいつもの穏やかな表情に戻る。
「今のリンちゃんを、一対一で倒せる人は、そうはいないだろうけどね」
「錬司、明日のお弁当作り、手伝ってって言ったでしょー!」
キッチンから奥さん・夏美さんの声が聞こえた。
「あ、ごめんね。悠馬と美紀、明日お隣の祥子ちゃんの家に、海水浴に連れてってもらうみたいで…。」
「え、あの岩場のプールですか?」
この島は、かつての噴火の際、溶岩が海に流れ込み、それが冷えて固まったことによりできた窪地がたくさんある。
大きさは数メートルから数十メートルまで様々だけど、その中に集まる美しい熱帯魚は、一日中見ていても飽きない。
「うん。僕と妻は、朝いちばんで隣村の法事に行くから、祥子ちゃんのご家族に、悠馬たちをお願いしているんだ。みんなのお弁当を作る条件でね」
人口が少ないとはいえ、やはり島で唯一の住職となると、何かと忙しい。
夏美さんがむこうからぴょこっと顔を出す。
「もう、何やってんのよ。卵焼きはあなたのが一番おいしいって、悠馬も美紀もいっているんだから」
錬司さんが、「ごめん」というジェスチャーをする。
「あ、そうだ。リンちゃん」
夏美さんがわたしの方に向く。
「布団はもう本堂に敷いておいたけど、本当にあっちでいいの?こっちの家にもベッドあるけど…」
「いえ、あそこがいいんです。今夜は、月が綺麗ですから」
夏美さんは、「ふーん、そんなものかしらね」という表情をしつつ、
「そ、じゃなんかあったら言ってね。私達は明日朝早いから、食事はテーブルに置いておくわね」といって、またキッチンに戻っていく。
わたしは、錬司さんに言う。
「また来て、稽古してもらってもいいですか?ゾーンのこと、もっと知りたいので」
「ああ、もちろん。いつでも大歓迎だよ」
おじいちゃんが、熊との死闘を経てたどり着いた
今日、その片鱗に一瞬触れられた気がした。でも、それは泡を掴んだときのように、ひどく
たぶん、わたしもいくつかの死線を越える必要がある。
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