第6話:悠馬と美紀

 「やああああ!」

 悠くんの気合が、寺の本堂の凛とした空気を震わす。


 中央に鎮座ちんざする仏像、そして随所に施された精緻せいちな装飾。人口数千人の島には、ちょっとあり得ないほど立派な本堂だ。


 もともとここも、どこの田舎にもあるような質素な禅寺だったという。


 だけどある時、刀鍛冶だった山野辺家の祖先が、刀剣マニアの当時の帝に刀を献上したところ、その出色の出来栄えが認められて、改装費をまるまる寄進されたらしい。


 だからこの寺では、10年に1度、8月の終わりに、神剣奉納祭という儀式が開かれている。数々の名刀・秘刀が公開されるこの祭事には、多くの刀剣好きが集まるという。


 「ごめんね、いまその準備でバタバタしていて」

 夏美さんがすまなそうに言う。


 そう、今年がその10年に一度の祭事なのだ。

 夏美さんは、山野辺一族の23代目の正統後継者として、方々を駆け回っているらしい。

 

 そんな由緒あるお寺の本堂で、三年ぶりに、悠くんと対峙する。


「悠ちゃん、頑張れ!」

 美紀ちゃんも声援を送る。


 それにしても、小学生の三年間の変化って本当に大きい。

以前はわたしの肩くらいのはずだったのに、今では目線が近づいてきている。


 小五にしてこれなんだから、将来は錬司さんなみに大きくなるかもしれない。


 それに、以前は重い竹刀に振り回されているという印象だった。

 でも今は明らかに、剣先が鋭さを増している。


 ――だけど。

 あまりにも、当てようという気持ちが強すぎて、動作が読み易すすぎる。

 

 わたしは、悠くんの動き出しのタイミングを読み、一瞬前に私の竹刀の剣先を軽く当てることで、その剣先をいなし続ける。


 ――たぶん、3年前のわたしは、錬司さんにとってそんな感じだったのだろう。


「なんで当たらないんや」

悠くんがイライラしながらつぶやく。


 そのとき。

「悠ちゃん、火の構えや!」

 

美紀ちゃんから檄が飛ぶ。


「お、おう!」

 その声に押されたかのように、悠くんは一度正中線に竹刀を合わせた後、左足を前に出すと、悠くんの竹刀の切っ先が上に上がり、頭の上で止めた。


 ――え、ほんとにそれやるの?


 火の構えは、正式には上段の構えといい、一般的には上級者のみに許される技だ。 

 

 竹刀を頭上に構えた状態の相手と対峙し、それを一気に振りぬく。

 ただ、胴ががら空きになる上、攻撃時の隙も大きいので、小学生でこの構えを取る子はまずいない。


――というか、普通は師範が教えないはずなんだけど……。


 わたしは、ちらっと錬司さんの方を見る。

 苦笑いする錬司さん。


 ああ、たぶん、悠くんと美紀ちゃんに押し切られて、無理やり教えさせられたんだろう。


 なぜなら、この上段こそが、かつて錬司さんが、全国の猛者をなぎ倒してきた必殺技だから。親のカッコいい技を、どうにか習得したいんだろう。


「リンねえちゃん、いくで」

悠ちゃんが一歩間合いを詰めてくる。


――さて、どうしようか。

 上段に対するセオリーは、相手の動きだしのタイミングで喉に突きを入れるか、左の小手を狙うことだ。


 むろん、突きは小学生には禁止されているけど、小手であれば問題なく入るはずだ。ただ……。


 精神を集中し、悠くんの身体全体を俯瞰で見る。

悠くんの上体がわずかに揺れた。


――来る。

 わたしは、正眼の構えを維持したまま、左に約半歩分体をずらす。

 上段から叩き落される悠くんの剣先が私の右肩すれすれで空を切り、竹刀が床をたたいた。


 バランスを崩した悠くんの頭部に、わたしは面を叩き込んだ。勢いあまり、前のめりに片膝をつく悠くん。


「一本!」

 錬司さんの凛とした声が響く。


 「くっそー」

と、悠くんが悔しそうに床をたたく。


「悠馬。礼に始まり、礼に終わるというのが武道の基本だって、いつもゆうとるが!」


 「あ、そうやった」

 思い出したように立ち上がり「ありがとうございました」と小さく呟く。


 面を外すと、大粒の汗と悔しさが顔に滲んでいる。


 それでも、「ねえちゃん、やっぱやるなー」と声をかけてくれる。

 「やるなー」と美紀ちゃんも拍手を送ってくれる。


 負けん気は強いものの、相手を素直に認められるところが、悠くんと美紀ちゃんの良さだ。そういう人は、武道でもなんでも進歩が格段に早い。


「リンちゃん、本当に強うなったね」

 錬司さんも感心したように言ってくれる。


 かつて父と、日本一の座を争っていた錬司さん。

 普段は穏やかな性格なのに、その恵まれた体躯から繰り出される一撃は、下手な防御ごとふっとばしてしまうような威力だ。


 160cmのわたしが、まともに打ち合ってはかなうわけがない。


 実際、三年前の私は、スピードだけなら僅かに分があったはずなのに、結局は錬司さんの力の前に、なすすべもなく敗れていた。


「前に手合わせしたときは、攻撃一辺倒って感じだったけど、今は防御も上手くなってる。誠吾お父さんから習ったのかな?」


「うん。それとおじいちゃんからも」

「え、大先生から?」

 錬司さんの声が、まるでファンが好きなアイドルについて語るときのようなトーンに変わる。

 

 錬司さんは、もともとお父さんとは別の大学のライバルだった。

 けど、おじいちゃんに憧れて、うちの道場にもたびたび来ているうちに、友人のような間柄になったらしい。


「大先生から直々に教えてもらえるなんて、羨ましいなぁ。僕の時でさえ、そんな機会は滅多になかったから」


 うちのおじいちゃんは、今はもう80歳を超えて引退しているけど、かつて剣術界では伝説的な達人だったらしい。


 対内・対外試合を通して、無敗であり続けたおじいちゃんの周りには、多くの門下生が集まった。


 ただ、おじいちゃん本人は、ひたすらこう言い続けていた。

「わしの剣技なんざ、人に教えられるようなものじゃない」と。


 実際、特に指導するわけでなく、ただ、道場で剣を振り続けるだけだったらしい。それなのに、弟子たちそれを体系化して、おじいちゃんの名を冠した「深山みやま流」という独自の流派が生まれていったらしいから、よほど強かったんだろう。

 

 そんな門下生の一人だった父に、わたしは何度も聞いてみた。

「おじいちゃんって、ほんとにそんなに強いの?」


 ……というのも、わたしが剣道を始めた4歳のころにも、おじいちゃんはもう引退していたからだ。だから、わたしにとって、時々孫に会いに来てくれる、「口下手だけどやさしいおじいちゃん」というイメージしかなかった。


 だけど、小一のとき初めて、年に一度だけの新年の早朝稽古をのぞかせてもらったとき、その噂が決して誇張ではないことを知った。


 剣道全国一にも輝いたことのあるお父さんが、文字通り手も足も出なかったのだ。


 決して一挙手一投足が速いようには見えないのに、父の剣戟を、ことごとくいなし、ほとんど、鍔迫つばぜり合いさえさせなかった。


 どこに何を打つのか予知しているかのごときその体裁たいさばきは、姿は見えども捉えられない、まるで深い山にかかる朝靄あさもやのようだ。


 その日以降、わたしのヒーローになったおじいちゃんに、ことあるごとに聞いてみた。

「どうしたらそんなに強くなれるの?」――と。


 だけど、おじいちゃんの答えはいつも一緒だった。

じゃよ」

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