第3話:攻殻の沼
――あ、意外に美味しい。
やたら歯応えのある謎肉―どうやら巨大ダチョウだったらしい―を噛みしめながら、カイに訊く。
「で、初めて観た日本のアニメ、どうだった?」
カイはちょっと悔しそうな表情を浮かべつつも、こう答えた。
「確かに、
――お、意外に素直だ。
……と思いきや。
「でも一作だけで、日本アニメは語れない。アートなんて、1つの傑作の裏に100の駄作が潜んでいるものだからね」
ちっきり憎まれ口をたたくも忘れない。
それを聞いた星が、我が意を得たりとばかりに、身を乗り出してくる。
「その通りだよ!確かに一作目だけじゃわからない。原作は当然必読だし、アニメももっと見せたいシリーズがあるんだ」
「あ、ああ……」
余りの熱量に思わず、頷いてしまうカイ。
――あ、これって……。
わたしがハマらされた時と、まったく同じパターンだ。
カイはまだ知らない。
さっき観たのは、広大な攻殻機動隊の
「あ、そうだ。明日は土曜日だし、うちの道場で、もう一つの日本文化も体験してみない?」
壁に立てかけてある竹刀を指さしながら、わたしも言う。
「あの木の刀みたいなのって、何?」
少し、興味を持ったようだ。
「竹刀っていうの。剣道っていう日本の武道で、あれを使って相手の頭や手、胴なんかを斬れば勝ちっていうルール。やってみる?」
「ふーん」
といって、カイは自信満々に言う。
「棒遊びみたいなもんだね。なら、絶対僕が勝つよ。フェンシング、家庭教師からずっと習っていたから」
わたしが、剣道場でカイを半泣きにさせたのは、翌朝のことだ。
**********
あれから7年。わたしは改めて今のカイを見つめる。
当時は細身で頼りなさを残していたのに、しなやかな筋肉をまとっている。
身長も、わたしより頭一つは高い。
カイがアメリカに帰国した後も、ときどきビデオ通話はしていたけど、こうした変化は、やっぱり会ってみて初めて気づく。
ふいに、カイのプラチナブロンドの髪が、風にたなびいた。
誰かが入口のドアが開け、冷風が吹き込んできたようだ。
二人組の女性がスタバに入店してくる。
まるでモデルのようにすらっとした長身のブロンドの白人と、やたらと開放的な格好をした
春とはいえ、大学のあるボストンの気温は10度にも満たない。
胸元、寒くないんだろうか。
そんな美女二人が、わたし達の席をすれ違う瞬間、視線がカイと星にくぎ付けになるのが見て取れた。
「What’s up? Wanna go get some drinks?」
突然、金髪の美女が、いきなりカイに声をかけてきた。速くて聞き取れない。
「“どう、どっかで飲まない?”だって」
サラがすかさず訳してくれる。
――さすがアメリカ、女子も積極的だ。
ただ、当のカイは完全無視で、一言も発しようともしない。……っていうか、一瞥さえしない。
たぶん、美人になんて、口説かれ慣れているんだろう。
すると、もう一人の褐色の肌のセクシー美女が、星の方に声をかけてきた。
「素敵な瞳ね。名前、なんていうの?」
そう言いながら、茶色のかったロングウェーブの髪をゆらめかせながら聞いてくる。
……え、ちょっと待って。星にも来るの?
一瞬、心臓の鼓動が高まった。つい目が二人を追ってしまう。
星は、申し訳なさそうに「Sorry, we’re busy right now.(ごめんね、いまちょっと忙しんだ)」と答える。
だけど、南米美女は止まらない。
その手を星の肩に置き、吐息が耳にかかるくらいの近さまでその唇を近づけ、何かを星に
――な、なんか、ケンカを売られている気がする。
こんなとき、とっさに英語が口からは出てこないのが悔しい。
星は少しだけ真剣な表情になり、ただきっぱり彼女に言った。
「I have feelings for someone else(気になっている人がいるんだ)」
わたしの心臓が、ふたたび波打った。
―― ダメだ。意識するな。
そう、自分に言い聞かせる。それは、わたしではありえないのだから。
「なら仕方ないわね」
そんな感じで美女は肩をすくめ、やがて店の奥へと去っていく。
そんなわたしの感情など知るよしもなく、星とカイは、再び
「でも、その人工頭脳開発って、AI倫理
やや声を落として尋ねる星。
――AI倫理
最近、SNSを騒がしていたので、この言葉は聞いたことがある。たしかAI開発を制限するためのルールか何かだった。
わたしはふたたびサラに
「AI倫理
「にゃー」
語尾がちょっと伸びた。ちょっと時間がかかるかも、という合図だ。
こうした場合、何かと意見が割れているテーマが多い。
「にゃ!」
……とはいえ、10秒もすると、答えが画面に表れる。
私はスワイプしながら、内容を読みこむ。
2020年代前半から普及し、世界を席巻した生成AIは、その革新的な技術でユーザーに驚きを与えるとともに、深刻な論争を生み出した。
論争の内容は、クリエーターによる著作権への懸念から、「AIに仕事を奪われるのでは問題」まで様々だった。ただ、やはり最も口の端に上ったのが、「シンギュラリティ」だった。
レイ・カーツワイルが唱えた「2045年には人工知能が人間を超える」という、いわゆるシンギュラリティは、長らく地上の主導権を握ってきた人類に対する挑戦状に響いたのだろう。
ただ、わたしには正直、この2045年という年が、何を指すのかが良く分からない。
もちろん、わたしだって、この不景気に就職出来なくなるのは困る。
でも例えば、ロボットは人間の力を遥かに上回っているし、チェスや将棋でも、AIがとっくに人間のチャンピオンを倒している。
今でさえ、サラはわたしなんかよりずっと賢いんだから。
……だとすれば一体、2045年には人間の何を超えるというのだろう。
そして、それは止められるんだろうか。
そうした危機感を背景に、産業界に背を押される形で、昨年末にEUは、AI開発を抑制するガイドラインを批准した。それが、「AI倫理
つまり、「AI開発企業は、これとこれとこれをやってはいけませんよ。やるならEUではビジネスさせません」という共通のルールのようなものだ。そして、EUは世界にもそのルールを強要し始めたのだ。
この分野で先頭を走るアメリカのトップ企業は、当然強い抵抗を示していた。アイロニクス社がその筆頭格だ。
だけど、莫大な利益を独占する巨大プラットフォーマ―に対する世界中の貧困層の不満の声に押され、ついにアメリカまでも独自の倫理コードを発表するに至ったというわけだ。
「このままじゃ、世界のAIは10年は遅れるよ」
カイも不快感をあらわにしていた。
この倫理コードにより、人工頭脳の開発も、極めて厳しい政府の干渉を受けることになるからだ。
「アメリカも、EUもダメってなると……」。
星はしばし考え込む。わたしの脳裏にふとひらめくものがあった。
もしかして……。
「日本で?」
わたしと星はほぼ同時に答える。
確かに、日本は、先進国の中で圧倒的にAIの法的規制が緩い。そして、物理的な「人工頭脳」を作りうる技術集積がある国と言えば、日本くらいしか思い浮かばない。
「でも、カイが作りたいのって、人工「知能」じゃなくて、物理的な「頭脳」そのものなんでしょ?大学生の、どこにそんなお金あるの?」
わたしは、素朴な疑問を口にする。ド素人の私でも、それに天文学的なお金と、途方もない
突然カイは、疑惑の目を向けるわたしのスマホを取り上げた。
「ちょ、何すんのよ!」
そんな抗議を無視して、「ハイ、サラ」と発声する。
お休みモードに入っていたサラが再び起動する。
――ちょっと、わたしのサラに勝手に話しかけないでよ!
そんなの反応を無視し、カイはサラにこう尋ねた。
「アイロニクス社の創設者は誰?」
「ルカ・ローゼンバーグ氏です」
へー、初めて聞くけど、そんな名前なんだ。
ん?……って、ローゼンバーグ?
「では、サラ。君自身を生み出したのは?」
「――一般には公開されていない情報ですが……」
めずらしく、サラの反応が鈍い。
それに敬語のせいなのか、いつもよりだいぶ無機質に響く。
「大丈夫。この二人になら、答えても」
カイが続ける。
その言葉を受け、サラはやがてこう答えた。
「カイ・ローゼンバーグ、あなたです」
――へ⁉ サラを生んだのが、このカイ?
なんせ、ハーバードの誇る天才だ。
技術的には可能なのかもしれない。
――で、でも、可愛いサラの生みの親が、この生意気すぎる男だなんて、到底信じられない。いや、信じたくない。
動揺を隠せないわたしに、カイは涼しい表情でさらっと言う。
「ちょっと、世界を変えるバイトをしてみないか?」
――は?
世界を変える……バイト?
「日本のある場所に、世界最先端のAI研究所を立ち上げるんだ」
そう言って、カイはわたしと星の目をまっすぐに見る。
「そこで、人工頭脳を搭載した、世界初のリアルアバターを生み出したい。もちろん、
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