第2話:出逢い

 『攻殻機動隊こうかくきどうたい』は、科学技術が高度に発展した近未来を描いた傑作アニメだ。


 ヒトの脳にマイクロ・マシンが埋め込まれ、ネットと脳が常に接続されている未来。「義体ぎたい」「思考戦車」など、そのサイバーパンク的な世界観が、メカ好き科学少年の星の心をぐっと掴んだらしい。


 けど、わたしがハマった理由はもっと単純だ。


 主人公が透明化する光学迷彩スーツをまとい、敵役を倒しまくるシーンがとにかく爽快だったから。4歳のころから、大人に混じって剣道を叩き込まれてきたわたしにとって、より大きな相手に立ち向かう彼女は憧れの的だった。


「それにしても……」

 と、わたしはちょっと意地悪っぽく、カイに言う。


「7年前、わたしに竹刀でどつかれていて泣いてたカイが、こんな”立派っぽい”大人になるなんてね」


 黒歴史に触れられ、カイが眉間に皺を寄せる。


 ……そういえば、初めてわたしたちが出逢ったあの日も、こんな表情をしていた。


**********


 7年前――。


 放課後、いつものように剣道の稽古を終えた星とわたしは、七海家のリビングでアイスを食べながら、創さんの帰りを待っていた。


 星の父親の創さんは、世界的に有名な地質学者だ。一年の半分以上は、海外で調査を行っていて、今日は、2か月ぶりに日本に帰ってくる日だった。


 星の母親の涼子さんから、「どうせまた、謎のお土産食材を大量に持って帰ってくるだろうから、一緒に食べましょう」と夕食に誘われていたのだ。


「ただいま!」

リビングのドアが開く。


「あ、リンちゃんも来てたんだね」

わたしの姿を見た創さんは、いつもの通りの温かな口調で声をかけてくれる。


「おかえりなさ……」

と言いかけて、わたしは二度見する。


 創さんの後ろに、まるでアニメから抜け出てきたような美少年が、隠れるようについてきていたからだ。


 太陽の光を吸い込んだような金髪に、静かに輝く碧眼の瞳。その双眸はどこか遠くを見ているようで危うげだったけど、それでも人目を引かずにはいられない。


 「ああ、この子、カイ君っていうんだ。父親が研究室から離れられないから、二、三週間、うちで預かることになったんだ」


 カイはわたしたちには視線も合わせずに、ぼそっと「Hi」とだけつぶやく。


 ――な、なんか警戒されている気がする……。


 「よく来たわね」

 そんなカイに、涼子さんは優しく微笑みかける。

 

 まだ記憶がないうちに母親を亡くしたわたしにとって、涼子さんは第二の母親みたいな存在だ。


 ふつうの母親なら――まあ、わたしにはふつうの母親がどういうものなのかは分からないけど――いきなり見ず知らずの子どもを連れて来られたら、ちょっとは怒るだろう。


 でも海のように心が広い涼子さんは、笑顔を絶やさない。感情がすぐに顔に出るわたしには絶対にムリだ。


「カイ君は、今年12歳。ちょうど星とリンちゃんと同じ年だね。だから、仲良くなってもらえると嬉しいんだけど……」


 創さんが誠実そのものの表情で頼んでくるので、わたしも思わず頷いてしまう。


 創さんはほんとに不思議な人だ。今まで、世界数十か国で地質調査フィールドワークを続け、いくつもの世界的な発見をしてきたにもかかわらず、本人はいたって謙虚だ。


「地質学は、現地の人たちとの協力が不可欠だからね。だから僕が一人で発見できたものなんてなんて何一つないんだ」


 もちろん上手くいくときばかりじゃない。

 数年前、南米の調査に出かけたとき、現地案内人が実はマフィアの手先で、身ぐるみはがされて日本に帰ってきたときは、さすがに唖然とした。


「なんで、そこまで人を信じられるんですか?」

 思わず訊ねたわたしに、創さんはいつもと変わらない穏やかな口調で答えてくれた。


「喜びも、悲しみも、全てはひとと共にある。だから、信じたいんだ」


 その言葉は、今でもわたしの心の奥の大切な場所にある。

そしてたぶん、カイのことも、そんな感じで放っておけなかったんだろう。

 

 「お父さんの持ってきた謎肉の下ごしらえをしてくるから、しばらく三人で遊んでてね」

 そういうと、涼子さんはキッチンに向かっていた。


 うつむいたままのカイに、星は力強く手を差し出す。

「ぼくは七海星。この子は、幼馴染の深山みやまリン。よろしくね」

 

 ようやく顔を上げ、やがて戸惑いがちに、星の手を握り返すカイ。

「カイ。カイ・ローゼンバーグ」


 良かった。どうやら日本語は通じるらしい。

 

 わたしは何気なく尋ねる。

「ローゼンバーグって格好カッコいい名前だね。お父さん、何している人?」


 とたんに、カイの表情が暗くなる。

 「……知らない。ほとんど会ってないから」

 

 ――あ、ヤバい。なんかいきなり地雷を踏んだかも……。

 

 気まずくなりそうな雰囲気を察し、星が明るいトーンで話をつないでくれた。


「そっか。ま、うちもそんなもんだしね」

 そう笑って、向こうのソファーの向こうの創さんに視線を送る。バツが悪そうに、創さんは頭を掻く。


「じゃ、晩御飯ができるまで、僕の部屋でアニメ見ない?」

そう星が誘う。


「は、アニメ?いいよ、ガキじゃあるまいし」

と憎まれ口をたたくカイ。


 ――あんたも小6のガキタメ年でしょ!


 そう突っ込もうとするわたしを目で制し、星はカイの肩をぐっと掴んで、自信たっぷりに断言した。


「アニメは日本を代表する文化なんだ。世代や人種を超えるね。本当にいいと思える作品に出逢えれば、きっと人生だって変わる」


**********


 星の部屋に入ると、その空間の放つ圧倒的な情報量に、カイも少しだけ興味を惹かれたようだった。

 まず目を引くのは、壁から天井にまでは、ほとんど隙間なしに貼られた山の写真だ。


万年雪を冠する白銀のエヴェレストから、豪快に噴火する深紅のキラウェア火山、そして新緑に染まる八ヶ岳まで。世界中の山々の写真が、壁全体を埋め尽くし、まるで部屋を包み込んでいるようだ。

 

 幼いころから、創さんと一緒に世界を旅している影響だろう。

 

「こっちは僕の趣味のメカづくりなんだけど……」

と言って、机の上を指す。

 

 そこには所狭しと、謎のガジェットや模型が並んでいる。


 わたしはあんまり詳しくないけど、見る人が見れば、かなり腕前であることが分かる……らしい。


「へぇ……」

 カイは気のないふりをしているけど、興味深々なのは明らかだった。四足歩行の思考戦車タチコマを勝手に手に取り、いろんな角度から眺めている。


 ――見かけによらず、オタク気質なのかも……。


 天井にはプロジェクターが設置されていて、映像が正面の壁に映し出される。今は、前回見ていた今敏監督の『パプリカ』の色鮮やかなシーンが、一時停止状態のまま投影されていた。


 この部屋は、星と一緒に、いままで何百本ものアニメを見てきた、いわばわたしたちの聖域だ。

 

 星は、ぎっしりつまった戸棚から、1枚のディスクを取り出す。

 一目見て分かった。今まで、擦り切れるくらい何度も見てきた、思い出の作品だ。


「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」。1995年に初代の映画が公開され、世界に旋風を巻き起こした記念碑的名作。


 星が慣れた手つきでディスクをレコーダーに挿入し、部屋のライトを消す。多言語が飛び交う、おなじみのオープニングが流れる。


 カイの視線が画面に釘付けになる。瞳孔が開き、一気に作品世界に取り込まれる。


 いたいけな小学生がまた一人、攻殻の沼にハマった瞬間だった。

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