第2話:出逢い
「
ヒトの脳にマイクロ・マシンが埋め込まれ、ネットと脳が常に接続されている未来。「
けど、わたしがハマった理由はもっと単純だ。
「それにしても……」
と、わたしはちょっと意地悪っぽく、カイに言う。
「7年前、わたしに竹刀でどつかれていて泣いてたカイが、こんな立派っぽい大人になるなんてね」
黒歴史に触れられ、カイが眉間に皺を寄せる。
……そういえば、初めてわたしたちが出逢ったあの日も、こんな表情をしていた。
**********
7年前――。
放課後、いつものように剣道の稽古を終えた星とわたしは、星家のリビングでアイスを食べながら、創さんの帰りを待っていた。
星の父親の創さんは、世界的に有名な地質学者だ。一年の半分以上は、海外で調査を行っていて、今日は、2か月ぶりに日本に帰ってくる日だった。
星の母親の涼子さんから、「どうせまた、謎の
「ただいま!」
リビングのドアが開く。
「あ、リンちゃんも来てたんだね」
わたしの姿を見た創さんは、いつもの通りの温かな口調で声をかけてくれる。
「おかえりなさ……」
と言いかけて、わたしの口がとまる。
……あれ?
わたしは二度見する。
創さんの後ろに、まるでアニメから抜け出てきたような美少年が、隠れるようについてきていたからだ。
緑のかった碧眼を、陽光を閉じ込めたような金髪の前髪が半ば隠している。それでも十分に人目を惹く端正さだ。
「ああ、この子、カイ君。父親が研究室から離れられないから、二、三週間、うちで預かることになったんだ」
カイはわたしたちには視線も合わせずに、ぼそっと「Hi」とだけつぶやく。
――な、なんか警戒されている気がする……。
「よく来たわね」
そんなカイに、涼子さんは優しく微笑みかける。
まだ記憶がないうちに母親を亡くしたわたしにとって、涼子さんは第二の母親みたいな存在だ。
ふつうの母親なら――まあ、わたしにはふつうの母親がどういうものなのかは分からないんだけど――いきなり見ず知らずの子どもを連れて来られたら、ちょっとは怒るだろう。
でも海のように心が広い涼子さんは、笑顔を絶やさない。感情がすぐに顔に出るわたしには絶対にムリだ。
「カイ君は、今年12歳なんだ。ちょうど星とリンちゃんと同じ年だね。だから、仲良くなってもらえると嬉しいんだけど……」
創さんが誠実そのものの表情で頼んでくるので、わたしも思わずうなずいてしまう。
創さんはほんとに不思議な人だ。今まで、世界数十か国で
「地質学は、現地の人たちとの協力が不可欠だからね。だから僕が一人で発見できたものなんてなんて何一つないんだ」
もちろん上手くいくときばかりじゃない。
数年前、南米の調査に出かけたとき、現地案内人が実はマフィアの手先で、身ぐるみはがされて日本に帰ってきたときは、さすがに唖然とした。
「なんで、そこまで人を信じられるんですか?」
思わずそう訊ねたわたしに、創さんはいつもと変わらない穏やかな口調で答えてくれた。
「喜びも、悲しみも、全てはひとと共にある。だから、信じたいんだ」
その言葉は、今でもわたしの心の奥の大切な場所にある。
そしてたぶん、カイのことも、そんな感じで放っておけなかったんだろう。
「お父さんの持ってきた謎肉の下ごしらえをしてくるから、しばらく三人で遊んでてね」そういうと、涼子さんはキッチンに向かっていた。
うつむいたままのカイに、星は力強く手を差し出す。
「ぼくは七海星。この子は、幼馴染の
ようやく顔を上げ、やがて戸惑いがちに、星の手を握り返すカイ。
「カイ。カイ・ローゼンバーグ」
良かった。どうやら日本語は通じるらしい。
わたしは何気なく尋ねる。
「ローゼンバーグって
とたんに、カイの表情が暗くなる。
「……知らない。ほとんど会ってないから」
――あ、ヤバい。なんかいきなり地雷を踏んだかも……。
気まずくなりそうな雰囲気を察し、星が明るいトーンで話をつないでくれた。
「そっか。ま、うちもそんなもんだしね」
そう笑って、向こうのソファーの向こうの創さんに視線を送る。バツが悪そうに、頭を掻く創さん。
「じゃ、晩御飯ができるまで、僕の部屋でアニメ見ない?」
そう星が誘う。
「は、アニメ?いいよ、ガキじゃあるまいし」
と憎まれ口をたたくカイ。
「……あんたも
と思わずつっこみそうになるわたし。
そんなわたしを目で制した星は、カイの肩をぐっと掴んで、自信たっぷりに断言した。
「アニメは日本を代表する文化なんだ。世代や人種を超えるね。本当にいいと思える作品に出逢えれば、きっと人生だって変わる」
**********
星の部屋に入ると、その空間の放つ圧倒的な情報量に、カイも少しだけ興味を惹かれたようだった。
まず目を引くのは、壁から天井にまでは、ほとんど隙間なしに貼られた山の写真だ。
万年雪を冠する白銀のエヴェレストから、豪快に噴火する深紅のキラウェア火山、そして新緑に染まる八ヶ岳まで。世界中の山々の写真が、壁全体を埋め尽くし、まるで部屋を包み込んでいるようだ。
幼いころから、創さんと一緒に世界を旅している影響だろう。
「こっちは僕の趣味のメカづくりなんだけど……」
と言って、机の上を指す。
そこには所狭しと、謎のガジェットや模型が並んでいる。
わたしはあんまり詳しくないけど、見る人が見れば、かなり腕前であることが分かる……らしい。
「へぇ……」
カイは気のないふりをしていたけど、興味深々なのは明らかだった。四足歩行の
――見かけによらず、オタク気質なのかも……。
天井にはプロジェクターが設置されていて、映像が正面の壁に映し出される。今は、前回見ていた今敏監督の「パプリカ」の色鮮やかなシーンが、一時停止状態のまま投影されていた。
この部屋は、星と一緒に、いままで何百本ものアニメを見てきた、いわばわたしたちの聖域だ。
星は、ぎっしりつまった戸棚から、1枚のディスクを取り出す。
一目見て分かった。今まで、擦り切れるくらい何度も見てきた、思い出の作品だ。
「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」。1995年に初代の映画が公開され、世界に旋風を巻き起こした記念碑的名作。
星が慣れた手つきでディスクをレコーダーに挿入し、部屋のライトを消す。多言語が飛び交う、おなじみのオープニングが流れる。
カイの視線が画面にくぎづけになる。瞳孔が開き、一気に作品世界に取り込まれる。
いたいけな小学生がまた一人、攻殻機動隊の沼にハマった瞬間だった。
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