2 出会い

第8話 王のいない王国

 目を覚ました晴がまず目にしたのは、頭上でひらひらと揺れる白いレースだった。ぼんやりした意識の中、とてつもなく心地良いベッドと枕であることを感じる。再び眠りに吸い込まれるには十分すぎるくらいだ。そうしてゆっくり瞼を閉じた。


「ちょっと、二度寝しないでよ。ほら起きて」


 少し遠くから誰かの声がして、仕方なくうっすら目を開ける。そして頭が冴えてくるとだんだん眠る前の記憶が蘇ってきて、ガバッと起き上がった。


(ここは!?)


 晴が寝ていたのは天蓋付きの大きなベッドだった。上のレースはベッド全体を覆うように垂れている。シーツも掛け布団もすべすべで、枕は大きくふっくらしていた。


(私、車に乗って、その後…そうだ、お茶を飲んだんだったな)


 寝起きの頭をなんとか働かせようと軽く振る。しかしまあ、なんと魅力的な寝具だろう。これが得体の知れない人物に捕まって連れてこられた場所じゃなければ、心ゆくまでぐっすり眠っていたいところだ。


「まあ、少しでも体が休まったのなら良かったよ。これから大変だろうからね。気分は悪くないかい?」


 ベッドから少し離れた位置に、高級感のある立派な椅子がある。そこに腰掛けて窓から外を眺めていたロユンが、晴に向き直って声をかけた。濃い灰色のワイシャツに黒いジャケットを羽織っている。


 体調に問題はなさそうなので、ロユンを警戒しつつもとりあえず頷いておく。同時に、晴はロユンとの会話に以前はなかった違和感を感じた。


(なんだろう、この感じ…。なんか不自然な感じがする)


「無事にコワについたよ。ほら、見て」


 ロユンが自慢げにカーテンを開き、晴に近くに来るよう促した。不用意に彼に近づくのは怖くて、ベッドの上に座ったまま体を伸ばして外を見ようとしてみる。見かねたロユンが手招きした。


「こっちに来なよ。とって食ったりしないからさ」


 晴とロユンはその場で少しの間睨み合ったが、すぐに折れた晴が渋々立ち上がり、ゆっくりと窓に近づいた。ロユンの胡散臭い言動はともかく、その整った綺麗な顔と長く見つめ合うのは難しかったのだ。


 晴は立ち上がって自分の全身を見下ろし、また驚く。ツルツルの生地のパジャマに着替えさせられていたのだ。これまた着心地がいい。誰が着替えさせたのかは考えないことにしよう…。


 高級感のある繊細な加工が施された窓枠に、埃ひとつない窓ガラスが嵌め込まれている。外を覗き込むと、目を見張る景色がそこにあった。


(わぁ……)


 晴たちが今いるのは、コンクリートでできたグレーの大きな要塞だった。大小の塔が立ち並び、空中をスタイリッシュなデザインの列車が駆け抜け、地上ではたくさんの人が行き交っている。この建物を中心に、暗い色の建物が遠くまでずらりと続いていた。


 目を輝かせて景色に夢中の晴に満足して、ロユンが楽しそうに言う。


「ここはコワの南端にある街『リチボマイ』さ。僕たち革民党が暮らすところだよ。そして今いる建物が、革民党の本部」


 見える範囲でこれだけ広いのだから、全体で見るととてつもなく大きいのだろう。加えて、部屋にあるものはどれも価値の高いものに見える。財力も面積も、そして人員もある大きな団体のようだ。晴はその規模に圧倒された。


「その革民党って?」


 日本でも聞いた言葉に晴が疑問を抱く。ロユンは再び椅子に腰掛けて話し始めた。


「コワの民は、大きく分けて二つの勢力に分かれているんだ。そのひとつが僕たち『革民党』で、もうひとつが『親王派』。コワはずっと絶対王政の国だから、王を信仰し神のように崇める人々がいる。王こそが救世主、王こそが絶対だってね。そこまで狂信的な人は一部だけど、多かれ少なかれそのような考えを持っている人が親王派だ。反対に、王政をやめて民主的な国を作ろうとしているのが僕たち革民党だよ」


 ロユンの説明では、革民党がすごくまともに感じる。晴は何か裏があるんじゃないかと疑いを持ちつつ、慎重に話を受け止めた。そしてロユンが、放火犯こそその『親王派』だと言っていたことを思い出す。


「そんなに王様のことを信じている人たちが、どうして愛の……いや、前の王様を殺しちゃったの?」


 ボンドが愛の父ではないとわかったが、自分の父と言うにも抵抗があり、晴が言葉を濁す。ロユンは軽く顔を顰めた。


「奴らは狂ってるから。異常なほどに信仰していた分、ボンドが国を裏切って出て行ったことを心の底から恨んでいるみたいだよ。僕たちは別に、目障りな王がいなくなったからせいせいしていたけどね」


 どっちの勢力にも王の味方がいなかったわけだ。


「そんな国で王になれっていうの…?」


 早速絶望を感じる晴に、ロユンは微笑んだ。


「ふふっ、そうだね…君が王にならないと、愛ちゃんを救えないっていうのは事実だ。だから君にとっては、王になる動機はそれになるだろうね。でも、僕たちにもそうなってほしい理由がある」


 じっと見つめられて、晴はロユンの瞳に吸い込まれそうになった。


「君という王様に、僕たちと手を組んで良いコワを作り上げて欲しいんだ」

「………?私にそんなことできるわけ」

「できるさ。僕と一緒ならね」


 ロユンの表情は自信に満ちている。


 ただの女子高生である自分が王になるというだけで非現実的なのに、さらに良い国を作り上げるだなんて無理な話だ。晴には全く想像がつかなかった。


「王になるには色々と条件があってね。僕たち革民党の一存では叶えられない話だから、親王派の協力を得る必要がある。というわけで親王派にいる僕の知り合いに連絡しておいたから、近いうちに会いに来ると思うよ」


 そこまで言うと、ロユンは立ち上がって扉を示した。


「とにかく、詳しい話は僕の部屋に移動してしよう。細かい資料がそこにあるんだ」


 そして、扉の横にある椅子に掛けてあったパーカーを手に取る。


「君は日本とのハーフだしあまり目立たないけど、見る人が見たらわかる程度には特徴的な見た目だからね。隠しておいた方がいい」


 だいぶオーバーサイズのパーカーだ。灰色の無地で、大きなフードもついている。これなら顔も隠れそうだ。晴は受け取ってそれをパジャマの上から羽織った。


「それに…革民党には君をよく思わない人も多いから。まずは狙われやすい立場だってことを君自身が自覚するところから始めないと、ね」


 意味深な言葉に晴はごくりと唾を飲んだ。王がいなくなってせいせいしたと言うほどだ、革民党は王族のことをよく思っていない。このときの晴にはまだ、その重さがわかっていなかった。


 深めにフードを被り、ロユンと一緒に部屋を出る。扉を開くとすぐ目の前にマオが立っていたので、ロユンは驚いて声が出た。


「うおぁ!ずっとそこに立ってたの!?」


 黙って頷き、微かにニヤリと笑うとマオも並んで歩き始めた。図体がでかいので凄まじい存在感だ。


「全く、驚かさないでよね。……なんだいその顔。僕は君の顔を見ただけじゃわからないんだから、口で言ってよ」


 なかなか大きなリアクションをしてしまい恥ずかしくなったロユンが抗議したが、マオは肩をすくめてなおも黙ったままだった。


(そういえばこの人が喋ったところ、まだ見たことないな…。でも、地味に表情豊かだな)


 晴はマオの表情を伺いながら思った。

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