第9話 その牙にかかれば

 ロユン、晴、マオの順で、部屋の外の薄暗い廊下を進む。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、壁には間隔を空けて点々と絵画が飾られており、まるで高級ホテルみたいだ。しばらく複雑に進み、ひらけた場所に出た。


「うわぁ…」


 晴は思わず声が漏れた。


 とても広い円柱形の空間だった。中心が吹き抜けになっており、大きく透明なエレベーターが数台行き来している。広いオフィスビルのようだ。さらに、外に面している円柱の側面はガラス張りで、日光がふんだんに差し込むようになっている。さっきまでの薄暗い廊下との差に、晴は眩しくて目を細めた。


 廊下を歩く人々はいずれも黒い服を着ており、葬式のような物々しい雰囲気がある。彼らの髪色も黒が多く床も灰色で、色鮮やかなものがとにかく少ない。モノクロのフィルターを通したような世界だ。


 ロユンに導かれて進む中、ケーシーのような黒いものを羽織った人と多くすれ違った。研究者のような見た目である。さらに、人型のロボットがたくさん行き交っていることに晴は驚いた。手足が人間とそっくりなもの、一本の足で滑って移動しているもの、ふわふわと浮遊しながら進むものなど様々だ。こんなに多くのロボットを目の当たりにするのは初めてで、晴はフードから顔を出さないようにしつつ、夢中で観察した。普段の生活と同じ2020年とは思えない。


(なんか、未来に来たみたいな感じがする…。ロボットが当たり前の国なのかな)


「ほら、あんまりよそ見しないで着いてきて。ここが見惚れるほど素晴らしい空間なのはわかるけどね」


 上機嫌なロユンが振り返って囁いた。晴は後ろを歩いて改めて感じたが、ロユンはすらりと背が高い。晴の身長は165cmあるが、ロユンはさらに頭ひとつ分高かった。歩くたびに揺れる、青みがかった黒髪はサラサラしている。

 晴の後ろに続くマオはさらに背が高く、がっしりした体型なのでだいぶ重そうに見えるが、足音は静かだった。スタスタと晴についてくる。今日も黒いスーツを身に纏っていた。


「エレベーターで最上階に移動するよ」


 中央の吹き抜け空間の中心で、3台のエレベーターが稼働している。それらの壁もガラス張りで、中に誰が何人乗っているのか丸わかりになっていた。ロユンがエレベーターホールに現れると、待っていた人々が場所を譲っていく。


「ボス、どうぞ」

「ああ、悪いね。ありがとう」


 そのうちの1人に促され、晴たち3人はエレベーターに乗り込んだ。


(ロユンが、ボス……?)


 晴はまじまじとロユンを見上げた。彼はとても若く見える。こんな大きな組織のトップに立つのは難しいのではないだろうか。しかし、ロユンから威厳を感じるのも事実。晴は気になって仕方なく、直接尋ねることにした。


「ねえ、さっきボスって呼ばれていたけど…」

「ああ、言っていなかったね」


 晴の聞きたいことを察して、ロユンが微笑みながら答える。


「僕こそ、革民党の党首、リーダーさ。あえて違う言い方をすれば、リチボマイの王…といったところかな」


(リチボマイの、王……)


 どうやらとんでもない人物に捕まってしまったようだ。こんな広大な土地を治め、大きな組織を束ねる人物だったとは。それもどうやら、コワの王と敵対している勢力の……。

 晴はますます、自分の未来に不安を感じてきた。


 揺れが少なく快適で、かつ速いエレベーターで無事最上階に到着する。この階もガラス張りで、高さが増した分、眺望の素晴らしさも増していた。それをうっとりと眺める間もなく、晴は「こっち」とロユンに軽く引っ張られる。


 最上階は人が少なく静かで、ひとつ下の階とも一際距離が空いている。まさに特別な空間という感じがした。右折して進んでいると、向かいからロユンに声をかける者がいた。


「あっ、ボス!」

「……ああ、トキ」


 言いながら駆け寄ってきたのは、細くすらっとしたシルエットの女性だった。ショートカットの黒髪は艶めき、ぴっちりと切り揃えられている。前髪から覗く鋭い目は透き通る青緑色で、深い色の口紅が美しさを強調していた。晴は思わずまじまじと見つめてしまい、慌てて俯きフードを被り直す。晴よりも背が高いので、見上げる形になって少しずり落ちてしまったのだ。


(まずい……トキに晴ちゃんの正体がバレたら、厄介なことになる)


 ロユンはなんとかこの場を切り抜けようと思考を巡らせた。


「探してたんですよ。また衛兵数人だけの護衛で外出してたんでしょう?今回はどちらまで?」

「ちょっと日本までね」

「えっ?………日本?」


 トキと呼ばれた女性はロユンの答えに驚いたのち、呆れ顔で白い腕を組んだ。


「海外までそんな軽い護衛で行くなんて信じられません。しかも日本なんて、ボンドを殺した親王派に鉢合わせる可能性だってあったのに…」


 トキも諸々の事情を把握していた。


「マオも付いていたから安心して」


 にこやかにロユンが答えると、トキはむっとしてマオを睨みつけた。


「それならそうと私にも言いなさいよあんた。え?『言ったらトキも付いてきたでしょ』って?当たり前でしょ。ボンドは私が殺したかったのに。親王派ごとまとめて殺してやるよ」


 随分と物騒な物言いに強い殺意が滲んでいる。晴は思わず震え上がってしまった。同時に、今回もマオは何も話していないのに、彼の言いたいことを通訳するかのような話ぶりにびっくりする。


「まあいいわ。それより…それは誰?」


 トキはその鋭い目で晴をじっと見つめた。晴はフードを深く被り俯いているので視界が悪いが、それでも刺すようなきつい視線を感じる。


「あぁ、ちょっと日本で色々あって。僕たちの事情を知られちゃったんで連れてきたんだ」


 嘘ではない。軽い口調で話すロユンに、トキは顔を強張らせた。


「会話を聞かれたんですか?不用心にも程がありますよ…。さっさと処刑しましょう。ボスのお手を煩わせることはありません、私が牢まで連れて行きます」

「ああ、待って」


 晴の手を掴もうとしたトキから、すんでのところで晴を引っ張って回避させるロユン。


「何か?」


 トキが怪訝そうに顔を顰めたので、ロユンは努めて冷静に言い訳をした。


「いや、まず事情聴取が必要だから、とりあえず僕の部屋に連れて行くつもりなんだよ。その後、僕が責任を持って牢まで送り届けておくから安心して」


 トキは納得していない様子で眉をひそめ、掴もうとした晴の腕が拘束されていないことに気づいた。次に足を見る。錠すらかけられていない。機密情報を知ってしまった部外者にしては甘すぎる対応だ。


(おかしい…。ボスは何か隠してる)


 直感でそう感じたトキは、目にも止まらぬ動きで晴のフードを払いのけた。あまりにも速く一瞬のことだったため、ロユンも追いつかず。晴の顔は晒されてしまった。


(……銀の瞳!!!)


 気づいた刹那、猛烈な殺意に襲われたトキは、常に手首に仕込んでいる刃物で容赦なく晴の目を狙った。殺しに慣れているトキが急所を狙わなかったのは、咄嗟の衝動による行動だったためだ。恨めしくて仕方ないその目を潰したいと思ったからである。


 さすがに今度は反応できたロユンがギリギリで晴の腕を引き、晴がよろめいたことで目に刃は当たらなかった。軌道がずれ、刃は頬くらいを浅く切り付ける。一筋の血が静かに晴の頬を伝った。


「おまえ……ヴィーゼルか!!!!」


 低く、恨みのこもった声。その瞳できつく睨まれ、晴は腰が抜けてぺたりと床に崩れ落ちてしまった。一瞬の出来事に驚き、強い恐怖を感じたのだ。ここまで殺意を向けられたのは初めてだった。


 尚も暴れようとするトキだが、マオに腕をがっしりと拘束されたため自由を失った。


「殺す!!!殺してやる!!!!」


 腕を出せないとなれば噛み潰すと言わんばかりの勢いで晴に迫るトキ。マオに力では敵わないので晴に触れるほど動くことはできないが、長年の憎しみが表れた声と表情は、晴を心底怯えさせるには充分であった。


(まずい、トキの憎しみは相当だ。早くどうにかしないと…)


 らしくもなく慌てるロユンが冷や汗を流した、瞬間。


 窓ガラスが割れ、激しく散った。

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