第6話 全てはあなたのために

「母さんは、全部知っていたの?」


 戸惑いの滲む晴の問いかけに、言いたいことはたくさんあった。だがどれも言い訳にしかならない。

 栞里は落ち着いて、ただ頷いた。


「……うん。ただ、病院で取り替えられたときから知っていたわけじゃないの。2人が10歳になった頃かな…長い時間が経ってもコワからの追手は来る気配がなかったからって、ボンドさんが私にも事情を打ち明けてくれた。それからはお互いの子供の成長も見守るために近くで暮らそうと決めて、愛ちゃんたちが引っ越してきたのよ」


 固まったままの晴に構わず、ロユンは興味深そうに聞いた後「なるほどねぇ」と面白がるように言った。


「もう追ってきてないかと油断したボンドの警戒心よりも、奴らの執念の方が強かったわけだ。今も離れて暮らしていれば、僕も晴さんまで辿り着かなかったかもしれないね?」


 栞里には返す言葉もなかった。


(でも、自分の娘……血の繋がった娘のことも気にかけるのは当然でしょう。それは許されないことだったの?私たちが家族同士で仲良くしながら幸せに暮らすのはいけないことだった?)


 あれこれ考えてももう遅いが、ぐるぐると色々な考えが栞里の頭を駆け巡った。晴も晴で、今までの生活が根本から崩れ落ちたような衝撃を受けて混乱している。


(愛はただ、私の身代わりにされてたの……?)


 晴はやりきれない気持ちでいっぱいになった。自分は何も知らないまま、愛を盾にして生きていたのだ。

 晴と愛はただの友人ではなかった。王族と、その身代わり。


「母さんと父さんは、そんなに簡単に受け入れられたの?こんなこと……」


 栞里は胸を締め付けられた。自分の子供を勝手にすり替えられていたというのは、栞里自身も受け止めるのに時間がかかった。晴と愛にとっても残酷なことだと痛いほどわかる。ただ、ボンドと芙美の力になりたいと思ったこともまた事実だ。


「祐輔は何も知らないの。教えられたのは私だけ。打ち明けてもいいってボンドさんに言われたけど、祐輔のためにもボンドさんたちのためにも、黙ってた」


 栞里は晴と目を合わせた。その目は潤んでいた。


「ごめんなさい。晴や愛ちゃんにとって良い選択が他にあったと思う。でも、私にはこうすることしかできなかった。ただ受け入れることしか…」


 晴にはもう返す言葉もなかったが、芙美たちを想う栞里の気持ちも理解できる。栞里が本当の母親でないこと。その経緯がどうであろうと納得はできないし、悲しいし辛いが、頭ごなしに否定して責めることはできなかった。


「さて、事実確認はこの辺にして、本題に入るよ」


 ロユンは重い空気を前にしても自分のペースを乱さない。前屈みになって両手を組むと、晴の顔を覗き込むようにして交渉を始めた。


「晴ちゃん、コワに来ないかい?」

「……なんで?」


 頭がパンクしそうなところに、これまたとんでもない質問だ。どうにかして聞き返した晴に対し、ロユンはきっぱりと返事をする。


「君は、王になるために生まれてきた子だからだ」

「それは違う!」


 すぐに栞里が否定した。


「……へぇ、違うのかな?良いのかい、君が王にならないのなら、北嶋愛はこのまま処刑されてしまうだろうけど」

「どういうこと?」


 気の毒にね…とわざとらしく哀れんでみせるロユンにイラッとして、ぶっきらぼうに聞き返す晴。


「北嶋愛は今、ボンドの娘と勘違いされてコワに連れ去られているんだよ。連れ去ったのは放火犯と同じやつらさ。彼らが北嶋愛のことを本物の王族じゃないと気づいた時、彼女はどんな目に遭うか…わかったもんじゃない」


 その含みのある言い方に晴は唇を噛んだ。


「救う方法はひとつ。君が王になって、愛を解放するよう命じるんだ、それだけでいい。コワでは王こそが法であり、王が絶対だから」


 ロユンはどこか馬鹿にしたような言い方で吐き捨てた。そんなロユンを睨みつける晴の肩に手を置き、栞里が必死の表情で言う。


「晴、そんなことしなくても、母さんが愛ちゃんを助ける方法を考えるよ。お願い。晴はここにいて」

「そんなのあるわけないでしょ」


 ほとんど穏やかな表情を崩さなかったロユンが、明らかに顔を歪めた。


「僕は王になったらどう?って勧めているんじゃない、王になれって言ってるんだよ。断るなんて選択肢は君たちにない」


 そしてソファの背もたれに深く体を沈めると、余裕の笑みを取り戻した。


「……この家は僕の部下が包囲している。この意味がわかるよね?」


 晴はグッと拳を握りしめた。愛が危険に晒されているのを知って何もしないわけにはいかない。今までも、そして火事の日も何もできなかった自分に、何かができるとすれば今だ。


(……それにこれは、どうやら私のせいみたいだし)


 北嶋夫妻と愛が守った自分の命を、愛のために使いたい。コワだとか王だとか、詳しいことはまだよくわからないが、自分にしかできないことがある。それがわかった以上、逃げるわけにはいかなかった。


 栞里も他にどうしようもないと頭ではわかっていたが、どうしても受け入れたくなかった。晴との別れは辛い。大切に育ててきた娘だ。血を分けた娘である愛のことももちろん大切だが、そのために晴を得体の知れない場所に送り込み、そして晴すらも失ってしまったら……。


「どうやら、晴さんの意思は固まったみたいだね」


 ロユンが静かに言ったのを合図に、ロユンとマオはソファから立ち上がった。


「そんなに時間もないんだ。事態は一刻を争うからね。さあ、僕と一緒に行こう」


 そして返事を待たずに部屋を出ていく。マオは黙ったまま、晴と栞里をじっと見守っていた。


 やがて晴は決心して立ち上がった。その後を項垂れた栞里もついていき、最後にマオが続く。玄関に続く廊下が妙に長く感じられた。


 玄関に4人が揃ったとき、栞里は晴の手を取って向かい合った。


「晴。こんなに大切な話を隠していて本当にごめんなさい。でもこれだけは忘れないで欲しい。母さんと父さんにとって、晴は大切な娘よ。血は繋がっていないけど、今まで過ごした時間は無くならないでしょう?」

「…うん」


 晴は母の真剣な目と目を合わせて、言葉を噛み締めるように頷いた。その言葉を聞いて心から安心できた。本当の親子じゃないと知ってから、栞里との関係が変わってしまうのではないかと怖かったからだ。


「生みの親ではないけれど、私はあなたを愛しているから」

「おいおい君たち、無駄話は程々にし…」


 そんな親子の別れにロユンが水を差そうとしたので、マオは冷ややかに見つめてからロユンを外へ追いやった。晴と栞里はギョッとしたが、マオは何事もなかったように再び2人を見守る。むしろ、どうぞ続きをというように無言で眉を動かした。


 一方、外で待っていた部下の1人は、ロユンが乱暴に追い出されてきたのに驚いて(ボスに対しても容赦ないんだよなあマオさん…肝が冷えるぜ)と慄いた。


 気を取り直して、栞里が別れの言葉を口にする。


「じゃあ、行ってらっしゃい。愛ちゃんを助けてあげてね。晴がそう決めたなら応援する。あなたを信じているから」

「わかった。必ず帰るからね」

「……うん」


 晴の言葉に涙が堪えきれなくなった栞里はすぐに玄関を開けた。これ以上、心を決めた娘を引き止めるわけにはいかない。


 玄関前に、リムジンのようなフォルムの黒い外車が停まっていた。真ん中のドアを開けてロユンが晴を招く。栞里は潤んだ目でその姿を見送った。


 空気を読めていなかったことは認めるが、問答無用で追い出されたのは少々不服だったので、ちらっとマオを睨むロユン。しかしマオは気づかないふりをして、晴の隣に乗り込んでさっさとドアを閉めた。


(ふん……)


 ロユンも自分の席に乗り込み、車は全ての扉が閉められた。特殊なガラスでできた窓のため、扉が閉まると中の様子は見えない。


 栞里は、車が走り去って見えなくなるまでじっとその姿を見守っていた。

 晴たちの無事を祈るばかりである。

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