1 旅立ち

第1話 嵐のまえ、太陽と月は

 9月半ばの涼しい朝。


 残暑が和らいできて、あたりの空気は澄んでいる。


はる〜?もう愛ちゃん来てるよ」

「んー………、うん」


 リビングから聞こえる母の声に、洗面所にいる晴は適当に返事をした。まだ鏡から離れたくない。自分の髪が気になって仕方ないのだ。


 幼少期から目立ち始めていた、黒髪の中に混じる白髪。それが歳を重ねるごとに増えてきていた。体質によるものらしいこの毛はなぜか生命力に溢れており、黒に染めてもすぐに復活してしまうのだ。


「まだ17歳なのに、白髪に悩むなんて……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら髪をいじっていると、父の祐輔ゆうすけが洗面所の扉から顔を覗かせた。


「じゃあ、お父さんは先に出るね。行ってきます」


 仕事前なのでスーツ姿だ。晴が振り返って「いってらっしゃい」と声をかけると、彼は微笑んで離れていった。


「2020年も、残すところ約4分の1となり……」

「晴〜っ!!はーやーく!」


 玄関の向こうから元気な声が響いて、リビングから聞こえてきたニュースの音をかき消した。さすがに時間切れのようだ。

 晴は白髪をどうにか隠すのを泣く泣く諦めて、制服のスカートを軽く整えてから玄関に向かった。


「行ってらっしゃ〜い」

「行ってきます」

「行ってきます!!」


 フリルのついた可愛いエプロン姿で、晴の母が2人を見送った。




「ごめん愛、お待たせ」

「遅いよっ!」


 玄関の外で待っていた愛は、ちっとも怒っていない楽しそうな表情で言った。晴もつられて表情が緩む。


「もう秋なのに暑すぎる〜。こういう日だけは北海道に帰りたくなるなぁ」


 愛が半袖ワイシャツの袖を折り込みながら嘆いた。


 愛は近くの一軒家で両親と暮らしている。彼ら北嶋家は、3年前の春に北海道から千葉県に引っ越してきた。中学2年生だった当時の晴のクラスに愛が加わったことで、晴と愛は出会った。


 それから2人は家が近いこともあって仲良くなり、同じ高校を受験して合格し、今に至る。高校でのクラスは分かれてしまったが、ほぼ毎回登下校を共にする親友だ。


「また髪に苦労してたの?」

「まあね……気になっちゃって」


 いつものことだが、愛は少し呆れた様子である。


「そんな気にすることないのに」


 愛は晴の髪が好きだ。髪の白い部分は日光を反射して煌めいており、晴の整った綺麗な顔も相まってとても美しく見える。

 晴の黒い瞳も元々色が薄く、光を受けるとさらに薄まって銀色に見えた。愛はそんな晴の目も特別で好きだった。




「あ、時計、治ったんだ」


 腕時計を確認する愛を見て晴が言う。それは愛のお気に入りだが、先日学校で落として壊れてしまっていたのだ。今は元気に針が動いている。愛は嬉しそうに頷いた。


「そうそう。昨日パパが治してくれた!」

「その時計大事にしてるもんね。良かったね」

「有難いけど、頼られて嬉しいってやたら張り切ってたよ…」


 愛の父はこういった機械いじりが得意なのだ。晴の家の電子レンジが壊れたとき、見事にそれを修理してみせたこともある。


「ふたりともー!行ってらっしゃああい!」

「あぁ…噂をすれば」


 道に響き渡る大声に、愛が苦笑いした。


 大声で晴たちに呼びかけたのは、ニット帽にサングラスにマスクという、明らかに怪しげな風貌の男性である。しかし不審者ではない。彼こそ愛の父である。肌が弱いらしく、外に出る時はいつもあのように徹底して日光を防いでいるのだ。


「愛のお父さんは相変わらず元気だね…」

「朝からうるさいんだよね〜」


 彼は広々としたベランダから手を振っていた。顔を見せない代わりにか、無駄に激しい仕草である。

 そんな愛の父に手を振ってから再び歩き出す。傾いた鞄を掛け直しながら愛が言った。


「そうだ!今日は放課後に勉強会する日じゃん、楽しみだね!」

「そっか、そんな約束してたっけ」

「忘れてたの!?」


 きょとんと返事をする晴に、愛が思わず突っ込んだ。晴のどこか抜けていて心配になるところはいつも通りである。


 すると、ふとある考えが頭に浮かんだ愛が「いいこと思いついた!」と声をあげた。


「勉強会の後のパーティーにさ、晴も来ればいいじゃん!勉強会はうちでやるんだし、そのまま!」

「パーティー?」


 首を傾げる晴に、愛はとびきりの笑顔で説明した。


「今日はパパとママの結婚記念日なんだよ〜!だから今日は2人ともお仕事お休みで、パーティーするの!」


 普段は共働きで忙しい愛の両親だが、今日は特別に2人とも休みをとっているのだ。嬉しそうに言った愛はいたずらっぽい顔で付け足す。


「……まあ、私たちの誕生日パーティーほど豪華ではないけどねっ」


 釣られて晴も笑顔になった。


 なんと2人は誕生日が同じなのだ。今年も8月末の誕生日に合わせて、愛の家でパーティーをした。それはそれは豪華な場でとても楽しかった。


 結婚記念日パーティーについても確かに聞き覚えがある。しかし晴としては、勉強に付き合ってもらう上にパーティーにまで混ぜてもらうのは心苦しかった。愛たち家族はとても仲が良いので、水入らずの時間を邪魔したくないのだ。


 なので、できるだけ愛をがっかりさせないように慎重に言葉を選びつつ、断ることにする。


「せっかくのお誘いだけど、パーティーはやめておくよ。家族で楽しんで。明日また話聞かせてね」

「そう?わかった…。でも明日は学校ないよ?」


 明日の金曜日は祝日である。晴は軽く肩をすくめてみせた。


「どうせ愛は明日もうちに遊びに来るでしょ」

「……まあ、行くけど!」


 2人は嬉しそうに笑い合った。



 そんなこんなで、もうすぐ学校に到着だ。学校のある大通りに出れば学生が一気に増える。まだほとんどの人が夏服で、晴と愛もそうだった。


「あっ、おはよう!」

「お〜愛!おはよ」


 愛は人望が厚い。晴と目を合わせてしっかり会話しながらも、見かけた友人や後輩と挨拶を交わしていた。愛の気さくなところが晴の憧れだ。


「じゃあね晴、またあとで!」

「うん、またね」


 上履きに履き替えたあと、手を振って別れる。


 愛ほど親しい友人が他にいない晴にとって、愛は大切でかけがえのない存在だ。学校に着いてしまうとお別れなのが悲しい。


 だが、今日は一緒に帰る約束だけでなく、勉強会という名の遊びも待っている。それを楽しみに学校を頑張ろうと、晴は教室に進んだ。




 だが、勉強会は実現しなかった。


 放課後、愛の家が火事になったからだ。

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