第12話 声
拉致事件から数時間、外は暗くなり月が昇り始めた頃。
俺とアルセーヌ、アノレア、ハルフィの四人はやっと屋敷に帰って来れた。
出迎えてくれたのはレノアと使用人の方々。
クラヴィディアとガレリオはいつも通りだった。
二人には何も話してないんだろうか?
夕食の後、使用人を振り切って入った風呂では疲労のせいか何度か寝そうになって、慌てて上がってきた。
自分の部屋にやっと落ち着いて、さっさと寝ようと思ったところで……頭を振った。
一つだけ、心残りがあったのだ。
黒服の長身サングラスと、小太りの奴隷商人。
あの二人はいつの間にか、場所とともにこの街から姿を消していた。捜索はしばらく続くだろうが、どうしてか見つかるようには思えない。
アノレアが聞いた話によると、アルセーヌと何かしらの因縁がある事は分かった様だ。
残念ながら、当事者であるアルセーヌには心当たりが有り過ぎて分からないと言っていた。
この大きな街で騎士長なんてものをやっているのだから、悪人に恨まれる事なんて山程あると。
一つの事件は解決したものの、謎は残るばかりだった。
コン、コン……。
ふと、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
返事の代わりにノックを返すと、ゆっくりとドアが開く。
部屋に来たのは寝巻き姿のハルフィ。枕を抱いてドアの前に立っていた。
ポニーテールは解かれ、亜麻色の髪を真っ直ぐに下ろしていた。
「……あ、ゼル……その、一緒に寝ても良い……ですか?」
……いやだ。
と、そう断るのはとても簡単だが、今日は事情が事情だ。
どれだけの恐怖を感じていたのかなんて、俺には図ることもできない。
内心でも溜め息を飲み込みながら、頷いてハルフィの手を握った。
振り向いたあと、ハルフィに気付かれない様にあくびを噛み殺した。
◆◆◆
─ハルフィ視点─
ぱしぱしっ…。
頬を叩かれる感覚で目を覚ました。
「おう、お目覚めか嬢ちゃんよぉ?」
「……っ!?」
真っ先に視界に入ってきたのは、髪が一本も生えてない怖い顔をした男の人だった。
その男が嫌悪感を感じる笑みを作ったので、すぐに離れようとしたのだが、上手くいかず体が横倒れになった。
「ケヒヒッ、いい反応すんなぁ」
「ったく、貧相な子供の何が良いんだか……」
「分かってねえなぁ、まだガキも作れねえような体だからそそるんじゃねえか」
「……お、おう……。そうか……」
ここはどこっ……!? 喋れない、動けない…。
なんでこんな……。
「ンーっ……うー!」
数人の男達がこっちを見た。
酷く気味の悪い笑みを浮かべながら、私のことを見ていた。
その奥に、母の後ろ姿を見つけた。
自分と同じ様に縛られ……剣を突き立てられている。
「んーっ…!!」
お母さん、お母さん!!
やめて、傷付けないで、イジメないでよ!!
突然、スキンヘッドとは別の男に頬を殴られた。
「うっせえ。黙れ」
「おおい、悲鳴くらい聞かせろよな」
「馬鹿、ガキは黙らせろ。聞き分けがねえから嫌いなんだ」
「ケッ、つまんねえやつだな」
ぼやきながら、男はツルツルの頭を掻いて腰のポーチから刃物を取り出した。
「ヒヒッ、声は出すなよ。あと動くなよ?怪我すっかもなぁ」
男は刃物を私の服に突き刺し、上へ下へと衣服を切り裂いていった。
新品のワンピースも、下着も全て、容赦なく切り裂かれた。
舐め回すように、ギョロギョロと動く眼球に、吐き気がするほどの恐怖を覚えた。
「……ぅ〜ッ……!!」
突然、男の背後で倒れていた母がビクッと体を跳ねさせた。
どこからか赤い飛沫が吹き出し、床に血溜まりができた。
見ていられず、瞳を閉じる。耳を塞ぎたいが、手が縛られて動かせない。
男達の楽しそうな笑い声が耳にこびりつき、スキンヘッドの気色の悪い笑みが瞼の裏に張り付いている様だった。
誰か…お母さんを…。
騎士様……。お父様……誰か、助けてよぉ。
どうしてこんな事になったのか、何も分からない。
何か悪いことをして罰が当たったんだろうか?
私は何もしていないはずだ。母だって、毎日頑張ってお仕事をしている。
私だって、ゼルハートの事を……。
そうだ、ゼル、ゼルハート……は?
一度目を開けて、部屋の中を見回した。
涙が溜まった瞳でも、部屋にゼルハートが居ない事は分かった。
彼はここに居ない。
助けて……くれる、だろうか?
記憶が正しければ、最後に一緒に居たのは街中だ。
そこで逸れたのなら、ゼルハートは私たちを探している。
ゼルハートなら、私を……お母さんを助けてくれんじゃないだろうか。
いま、この間にも母は痛め付けられているのだから、誰か来てくれないと……。
早く、早く。
誰か。誰でも良いから。
そう思っているのに、頭の中に思い浮かぶのは一人の少年だった。
長くて白い前髪の隙間から、チラッと覗く紅い瞳と黒い眼帯。
滅多に口を開かない。声を聞いたのはほんの数回だけ。いずれも、魔法を唱えた時にだけだ。
「〈
そう、この声だ。
少し高くて、優しく耳に入ってくる、とても安心感のある凛とした声。
……え……?
気付いた時、部屋の中は真っ白い煙で覆われていた。
見えるのはスキンヘッドの男のごく僅かな人影だけ。
その男の人影は何処かに消えて、代わりに見えた人影が近づいてきた。
そして、それに何かが覆い被さると、一人は倒れ一人は近付いてくる。
煙を割いて現れたのは……白髪の美少年だった。
自分の記憶と一切相違がない、ゼルハートだ。
ゼルハートはどこからかナイフを取り出すと、私の手足と口を縛っていた縄を切り、私に服をかぶせてくれた。
「ぜ、ゼル……?」
私の声は掠れていた。ゼルハートは表情を変えることなく私の肩と足に手を回して、私を抱き上げてくれた。お姫様抱っこだ。
煙の中を迷いなく進み、部屋を出て階段を上る。
前髪の下から、至近距離で見えたゼルハートの顔はこの世の何よりも美しく、格好良く、魅力的に見えた。
優しく床に座らされると、ゼルは私の髪に触れると、僅かに表情を緩めて、くすりと柔らかく微笑んだ。
「……ゼル!!」
感極まって抱き着くと、彼はとても暖かかった。
声が震えて、涙が溢れてきた。
「こわかった、こわかったよぉ……」
私が泣き付いてる間も、ゼルハートはずっと撫でてくれた。
年下の男の子だなんてことは忘れて、私はひたすらに彼に縋り付いた。
その後も色々あった。
お母さんをゼルハートが治療してくれたり、追ってきたスキンヘッドの男を格好良く倒したり。
後から話を聞くと、私たちを見つけて、助け出す段取りまでつけて、スムーズな救出の作戦を立てたのは全てゼルハートだった。
やっぱり、助けてくれたのはゼルだったのだ。
何年か前に、私はお母さんに言われた。
ゼルハートは、生まれてすぐの頃に大怪我をして、片方の目が見えなくなった。
心が病気で、会話をすることもできなくて、長兄のガレリオや妹のクラヴィディアのような魔法の才能も無いのだと。
だから、私が支えてあげなければ行けないのだと。
一人の姉として、一人の侍女として、一人の家族として。
なのに、それなのに。
ゼルハートはお母さんと同じ魔法を使った。
お父様と同じ剣技を使った。
誰よりも先に私たちを見つけて、助け出してくれた。
私が支えて上げなければいけないのに。
私は助けられた。縋り付いて、泣き喚いた。
優しく頭を撫でられた時の感触、温かさはずっと消えなかった。
その日の夜、どうしようもなく胸が締め付けられて、ゼルハートの部屋に行った。
侍女である自分は、私用で主に迷惑をかけてはいけない。
そうお母さんに教わったのに、それを破ってゼルの元に行った。
ゼルハートは私の手を取って、一緒にベッドに入ってくれた。
ゼルの腕の中に居ると、心が温かくなる。嬉しくなる。とても幸せな気持ちになる。
ずっと、こうしていたい。
もう一度、頭を撫でてほしい。
……もう一度、声を聞かせて欲しい。
「ね、ねぇ……。ゼル…?」
ベッドに入る前に眼帯を外したゼルハートの顔を見た。本当なら紅い左眼があるはずのそこには、痛々しく抉られた様な傷の跡が残っている。
横になったまま、ゼルハートに声をかけると……ゆっくりとまぶたを上げて、少し眠そうな紅い片目と視線が交わった。
ゼルハートは、魔法を唱える事はできるのだ。
なら、それなら……。
「……わ、私の……。名前、呼んで欲しい……」
こんなワガママ、お母さんに聞かれたらなんて言われるんだろう。
怒られるだろうか? それとも笑われるだろうか?
ゼルは、小さく苦笑いをして……顔を近付けてきた。
「……おやすみ、ハル」
そんな囁きの後、彼の唇が優しく、私のおでこに触れた。
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