第8話 拉致

 ─アノレア視点─




「ん……うっ」


 目を覚ましてすぐに、体中に痛みを感じる。

 少し湿った硬い床に触れている。どうやら寝転がった様な状態になっていた様だ。


 体は……一応動く。手足が縛られている。

 猿ぐつわを噛まされており喋ることも出来そうにない。

 それに加えて、魔力の操作すらもできない様だ。


 ……そうだ、ハルフィ……? ハルフィは……!


 少し周囲を見回すと、すぐ隣にまだ小さな娘が居ることに気付いた。どうやら眠っているらしい。生きている、怪我もなさそうだ。

 とりあえずホッとして、壁により掛かりながら上体を起こす。


 麻袋や縄が隅っこに置いてある程度の閑散とした部屋。窓はなく時間は確認できない。


 場所、状況からして……拉致されたのだろうか。


 手足を縛る縄には付与魔法陣が刻まれている。恐らくこれのせいで魔力が操作できないのだろう。

 奴隷調教なんかの際に使われる魔法陣と同じ物だと推測する。


 自分達は拉致されたのだとして、どこの誰にだろうか?

 近くには目に見えて分かりそうな物は無い。


 では目的は?

 身代金目当てならば、騎士爵家の……それも侍女を捕まえる必要はない。例えアルセーヌとの間に子がいたとしても、代わりとなる者はいる。人質としての価値はあまりない。

 そもそも身代金目当てならばグレイブニル騎士爵家よりも、領主であるアルバニア伯爵家の息女を狙うだろう。


 そうなると、なにか別の目的があるはずだ。


 と、そこまで考えた所で気が付いた。


 ……ゼルは?


 ゼル、ゼルハート様。狙われるなら一番可能性が高い。彼も同じ場所に居た……と思い出して、すぐに考えを改める。


 馬が暴れて、すぐに彼は倒れていた少年に手を伸ばしていた筈だ。私達よりも人目に付いていた。

 加えてこの辺りの人間としては珍しい白髪に、眼帯を着けたとても目立つ少年だ。

 あの状況で攫うことは難しかっただろう。


 そう考えると、少しだけ落ち着いてきた。


 彼はとても賢い子だ。


 すぐに助けを呼べるだろう。

 七年以上も世話をしてきて、未だに話し声を聞いた記憶は無いし、言葉による意思表示をしてきた事もないが……。

 緊急事態に筆談をするくらいは出来るはずだ。

 兄妹の中でも文字の読み書きや算術、学術等の習得は圧倒的に早かった。教えなくとも覚えたんじゃないかと思うくらいには。


 騎士アルセーヌと魔法士レノアの間に産まれる子供達は、本当に不思議な子ばかりだ。


「神格者」であるクラヴィディアを筆頭に、やんちゃだが確かな才能はあるガレリオも、常に周囲に人を集めるカリスマ性のような物がある。


 そして、ゼルハート。

 彼もまたとても不思議な子供だ。

 剣を握っているゼルハートの姿は、小さい頃のアル……アルセーヌを思い出す。

 アルセーヌと比べても中性的というか、幼い顔立ちをしてはいるが。


 目元を隠す様に伸びた白髪と、何があっても変わらない表情。物を言わず、聞き分けが良く、覚えが早い。

 魔力量は、私が知る限り最も少ない事例だと断言できるが、反してその魔力を扱う技量はまるで歴戦の猛者を思わせるようだった。


 彼が赤ん坊の頃の事はよく覚えている。

 忘れるはずもない。

 あの少年は、双子の姉が放った魔法によって生死の境を彷徨ったのだから。

 その後、ゼルハートはクラヴィディアと比べて明らかに成長が遅くなった。

 言葉は未だに話さないが、他の子たちが一人で立って歩けるようになった頃、まだゼルハートは一人で立ち上がることが出来なかったのだ。


 もしかしたら一生このままかも知れない。

 兄妹で最もアルセーヌに似ているあの子には、そんな思いはさせたくなくて。

 私はゼルハートに手を貸して、一人で立ち、歩けるように練習に付き合った。何度も言葉を教えたし、本の読み聞かせなんかもしてあげた。結局言葉を話すことはなかったが……賢い子には育ってくれた。


 そんなゼルハートはあの時に私が使った神聖魔法を覚えていた。自分がゼルハートに慕われていた様には思えないが、あの家に中級の神聖魔法を使えるのは自分しか居ない。披露したのも、あの時の一回だけだ。

 見様見真似で出来るものではない。きっと、ごく僅かな記憶を頼りに陰ながら修練したに違いない。


 周囲の誰もが「ゼルハートに魔法の才能は無い」と、そう断言していたのに……。

 命の危機から救ってくれた魔法を習得しようとしていたのだ。そして、その魔法を使ったのは私だ。

 そう思うと、どうしようもなく嬉しかった。


 強く抱きしめてやりたかったが、ゼルの実母であるレノア様が居る手前、頭を撫でる程度のことしかできなかった。


 剣術や、流動の技術は流石はアルセーヌの息子、としか言いようが無い。


 私とアルセーヌは幼馴染みだった。

 孤児で、小さい頃から教会に居た自分と、グレイブニル騎士爵家という英雄の子孫の一家の長男。


 不釣り合いな事は承知だったが、何度も教会に来ては話をしてくれる彼のことが好きだった。

 教会で神聖魔法を学び、神職者となれば彼と少しは釣り合えると思った。


 だがアルセーヌは親が取り決めた相手、レノア様と結婚して子供を作った。

 一度は間に合わなかったのだと涙を流したのに、彼はその後になって、教会で神職者となった私のことを迎え入れてくれた。


 騎士爵家は貴族では無い為、重婚は認められていないが、跡継ぎが居なくなった場合の保険として侍女との間に子供を作ることがある。「恋をした君と結婚することは出来なかったが、せめて私を側で支えてほしい」

 彼にそう言われた時、どれだけ嬉しかった事か。


 私とアルセーヌの間に生まれた子供……ハルフィは、決して才能に溢れた子ではないだろう。

 けれどそれでも良かった。グレイブニル家にはガレリオという跡継ぎには十分過ぎる才能を持った子がいるのだ。


 私は一生涯をかけてアルセーヌを支えて、ハルフィを愛する。そう心に決めた。


 今だって、その気持ちに揺らぎはない。

 ただ今は、アルセーヌとハルフィだけではなく、家族だと言ってくれたグレイブニル家の皆を支えようと思っている。

 若干、愛情がゼルハートへと偏っているという自覚はあるものの。


 ……それが、今になってまさかこんな醜態を晒す事になるとは、思ってもいなかったけれど……。


 ハルフィはまだ眠っている。一向に起きる気配がないのは少し心配だが、生きていることは確認できる。


 大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせて、小さく息を吐いた時。


 突然バンッと勢い良くドアが開いた。

 現れたのは、黒いコートと同じく黒いハットを被り、サングラスをかけた長身の不審者。

 その後ろに、武器を持った軽装の男が七、いや八人。


「……あぁん? 使用人じゃねえかよ。本当にコイツでアルセーヌが釣れんのかよ?」


 サングラスの男は、背後にいた小太りの商人らしき男に問いかけた。

 少なくとも私は、どちらも見覚えがない。


「えぇ、来ますとも。常日頃から騎士道を語る男が、恋人を攫われてどうして放置していられましょうか」

「恋人ぉ……?ハッ!あの白頭にそんな相手が居たとはなぁ」


 会話を聞いていれば、嫌でもわかる。


 ………狙われているのは私やハルフィではなくて……アルセーヌ?


 サングラスの男は、近くに来て私とハルフィの顔を覗き込んだ。


「そっちのは、この使用人とアルセーヌのガキか?まあ何でも良い。てめえら、こいつ等は、所詮は撒き餌だ」


 そう言い残して、商人らしき男と共に立ち去った。

 武器を持った男たちは歓喜したように声を上げて、ワラワラと部屋に入ってくる。


「おぉ! 結構な上玉じゃねえか」

「ハハッ良い仕事だなぁ…! おい、酒も持って来い」


 下卑た目をして全身を舐め回すように見てくる男たち、その内三人ほどはハルフィの事を見ていた。


 咄嗟に、ハルフィを隠すように身を寄せる。


 私はどうなったって良い……。でも娘は、ハルフィは……。


 まだ八歳の少女に何をするつもりなのか。

 想像するだけで吐き気がする。


 だが、その想像よりもさらに残酷な事が、今から目の前で起こるのだ。


 私は自分の頬を流れる落ちる雫が、涙だと認められなかった。

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