第2話 光を失う
ゼルハート・グレイブニル、というのが生まれ変わった“俺”の名前らしい。
自分の身に起こった事を自覚してから、異世界転生という言葉を思い出した。
いつだったか、クラスメイトが数人集まって話していたのを聞いた。
俺は家庭の事情で娯楽とは無縁の生活を送ってきたから、詳しい事は知らないが、言ってしまえば創作や神話と似た、地球とは別の世界に生まれ変わることを言うらしい。
生前に住んでいた地球での知識を駆使して異世界を冒険するとかなんとか、確かそんな話だ。
生憎と中学2年生の時点でその異世界転生をした俺は、駆使できるレベルの教養なんて物を持ち合わせていない。
そんな俺がゼルハートとして転生したのは、グレイブニル騎士爵家というとても由緒ある騎士の家系らしい。
視線を窓の外に向けると、遠くには美しい山々が。
広大な土地を黄金色に染める麦畑と、農作業をする人々が。
さらに視界を下げていく、決して小さいとは言えない石造りの美しい街並みがある。
異世界というと、俺が見たことある物語では城塞都市ばっかりだった気がするのだが、どうやらこの辺りはそうでもないらしい。
おおよそ現代日本の景色とはかけ離れているこの場所。街の外に広がる広大な畑では農業機械の類を全く見かけない。
家電製品の様なものもなく、やはり地球程の文明的な発展はしてない。
その一方で、現代日本ではあり得ないような技術や文明もちらほらと確認できる。
ゼルハートは一歳半の赤子であり、今はただ赤子用のバスケットの上でぼんやりとしているだけ。
五感がちゃんと機能し始めてからは大体一年くらいだろうか。正直あの頃は精神崩壊しそうだった。
この世界の言語にもやっと慣れてきた。
使用人が話している内容なんかも、少しずつだが理解できる様になってきた。
騎士爵というのが、貴族が特に信頼している側近に与える爵位である、と言う事は分かったがそれ以上の事はまだ話が分からない。
とりあえず身の上話をすると、俺はこの家の次男であり末っ子、三歳年上の兄と双子の姉がいる。
……それと一応、一歳上の腹違いの姉が一人か。
兄はこの家を継ぐために色々と英才教育を施されているらしく、偶に庭で木製の剣を模った棒を振り回している時がある。
そういう時は必ず、周囲に使用人が付いている。
それこそ、今みたいに。
窓の真下を覗くように見下ろすと、ここが二階建ての大きな屋敷であることが分かる。
植物園にも見紛うような広い庭の真ん中に、木剣を振る黒髪の少年がいた。
今度はすぐ隣のバスケットの中でぽけーっとしている赤子に視線を移す。
彼女の名前はクラヴィディア・グレイブニルという。この世界における俺の双子の姉である。
俺とは全く違う夜空にも似た黒い髪、黒い瞳。
俺の事をじっと見つめたまま、まっすぐこちらに左手を伸ばしている。
……何がしたいんだろうな?
因みに窓ガラスに映った俺の姿は、クラヴィディアよりも少し長い白髪に赤い瞳という、案外地球にも居そうだが、一方でやはり異世界の人間、と言う様な見た外見だ。
俺の姿と比べると、クラヴィディアは日本人っぽい気がしなくもない。
この屋敷には十数人の侍女と執事が仕えており、それ以外にも定期的に軽鎧を着た騎士や豪勢な服装の貴族なんかが出入りしている。
正直なことを言うと、執事と侍女の顔を名前は把握しているが、未だに父親と母親がどこの誰なのか、また何という名前なのかもよく分からない。
一応、侍女達が「旦那様が…」とか「奥様が…」とか話している姿を見たことはあるのだが、肝心の旦那様と奥様の姿をしっかりと見た記憶が無い。
かなり忙しい人達という様子なので仕方が無いとは思うし、身分の高い人たちにとって子育ては自分たちの手ではなく自分達に仕えている者達の仕事なのだと思うことにした。ベビーシッターみたいなもんだね。
俺にとっては都合が良かった。
母親という存在には複雑な感情があるし、父親という存在にはあまり馴染みがない。
ふと、そんな事を考えていると、突然部屋の中で水音が聞こえてきた。
意味もなく音のする方を見ると、隣に座っていたクラヴィディアが伸ばした手の先に水滴が集まり、巨大な水の玉が出来上がっていた。
「…あー…うぁ…」
クラヴィディアがぼんやりと声を上げた。
そうそう、この世界には当然のように魔法がある。
俺がこの世界に生まれ落ちてすぐに感じ取った、体内にある不思議な感覚。
それが魔力と呼ばれる物だった。
具体的にその魔力が何なのかはまだ分からない。
とりあえず暇を持て余している時にはそれについて色々と試している──
──けど、なにそれ?俺そんなの知らないよ?
どうやったのそれ?と言うか、その水の大玉どうすんの?
クラヴィディアは俺のそんな疑問を、目の前にある水の玉と一緒に吹き飛ばした。
「ブファッッ……っ!!?」
赤子の手元から勢いよく放たれた水の玉は、俺が居るバスケットを破壊、俺のことも壁に吹き飛ばしてその壁すらもぶっ壊した。
瓦礫とともに建物の外へと放り出された俺は、地面に着いて水の玉の中から解放された後、瓦礫の下敷きになった。
俺……と言うか、ゼルハートは瀕死の重体となったものの、奇跡的に一命を取り留めた。
全身の骨が砕けて、いくつかの内臓が破裂したらしい。
即死しなかったのは本当に奇跡としか言いようが無く、加えてすぐ近くに居た見習いの侍女が元々“神職者”とやらじゃなかったら、治癒魔法が間に合わずに命を落としていたらしい。
ただ、その際に左目の眼球に瓦礫が突き刺さり…完全に潰れた。瓦礫は脳にまで達する寸前だったそうだ。
この世界にはいわゆる部位欠損、四肢の欠損や眼球破損などを完全に治癒する為の魔法を使える高位の治癒術師は、ごくごく僅かしか居ないそうで、そんな人達に会う事がない限りは左目は治らないとのこと。
そもそも、一度治療してしまったので、以降に魔法で治すことは出来無いらしいが。
……こうして生きてるだけで、魔法ってのが本当に凄い物なんだと実感した。
ついでに、やらかしたことはともかくとして、クラヴィディアは一歳半でそこそこの規模の魔法を使えてしまうような、とんでもない魔法の天才であることを知った。
とりあえず俺は、一歳半にしてこの世界における魔法という概念の凄さと怖さと、ついでに温かみを思い知ったのだった。
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