無才の転生者は竜を継ぐ〜彼の名はアトラクト〜

雨夜いくら

第1章 黒き竜が産まれる時

第1話 いわゆる

 ガツッ、という強い衝撃が後頭部に走った。

 口には出さないが、痛い。

 もう一度、ガンッとこめかみに。

 そしてもう一度、今度は頬のあたりを打たれて、フローリングに倒れ込んだ。


 ふらつきながら顔を上げると、そこには鬼の形相をした母親が居た。

 視界の中には周囲に転がる空き缶、鼻を突く嫌なアルコールの匂い。耳に入るのは「お前さえ居なければ」とか「お前さえ産まなければ」とか、そんな後悔の念が伝わってくる母の怒声。それに混じって聞こえてくる男性の寝息。

 この家にはいつも、ボクの知らない人が入って来ている。


 いつからこんな生活をしていたのかは分からない、気付いたらこうなっていた。

 だけど、顔を殴られたのは初めてな気がする。いつも、服で隠せる場所だった。


 家に誰も居なければ、必要なことは自分で出来たし、母がこの家に帰って来る時は決まって機嫌が悪い時だったので可能な限り顔を合わせたくなかった。


 逃げられる場所というと、買い出しをする為のスーパー、もしくは学校か。


 あぁ、いやダメだ。

 学校に行くと先生が居るし、同級生達がいる。

 ボクはあの目が苦手だった。

 皆が何を思って俺のことを見ていたのか、分からなかった。それが気持ち悪くて、いつも目を逸らしていた。


 自分の境遇がどんな物で、どうしてこんな事になっているのか。

 ボクはそれを、ある程度は理解していた。

 だから、嫌だった。苦手だった。

 気付かれるのが怖かった。


 加えて周囲からの期待の視線が、とてつもなく怖かった。まだ母親に殴られていた方がマシだとすら思える程度には。

 外見が良い、見聞が良い。それはあったのかも知れない。


 今は違くても、ボクの母はボクを産む前にはとても有名で、テレビに出て大活躍していたような女優だったから。

 自分にとっては大抵の状況において、恐怖の対象でしかなかったが。

 周囲からしたらそんな存在の子供であるというだけで“何か”を期待してしまうらしい。

 七光りと呼ばれる人たちはこれのせいで助長して、これのせいで堕ちていくんだろうと思う。

 初めから堕ちていたボクにはあまり関係はないか。


 それでも、ボクは別にこの人の事が嫌いなわけじゃない。怖いとは思うが。

 理由はなくて、ただ母親だから。


 きっとこの人はどんな子供が生まれたとしても、ボクに当たるようにその子供にも当たっただろう。

 ならなんで産んだんだろう?とも思うが、少なくともこの人は「子供を産まなければならない」と感じる様な状況にあったんだと思う。


 そうじゃないと、責任なんて投げ捨てるはずだ。堕ろす事も、産んでから捨てる事もできた筈だ。

 ボクを子供としては扱ってないし、最低の母親だとは思うが、何だかんだと言いながらボクの誕生日の時には毎年プレゼントを用意していたり。

 顔を合わせると自分を抑えられないと、そう分かっているなりの行動をする時もある。


 人としては優秀でも親としてはダメな性格だったんだろう。

 その証拠に、この人の息子である自分が周囲の人たちと比べて、何事においても明らかに優秀だった自覚はある。だから期待されていた、というのも無いわけじゃないんだろう。


 でも、親が親なら子も子だ。

 その期待からは逃げて生きてきた。

 こんな母親だから、と自分に言い訳をして。


 目の前でヒステリックになって叫んでいる母親の姿を見ていると、恐怖と後悔に心が支配されていく。


 ふと、何か物凄く硬い物が飛んできて、また頭にぶつかった。

 倒れたボクの視線の中でそれは床に落ちると、鈍く重い音を立てる。

 白い陶器で出来た、少し洒落た灰皿。

 タバコを置くための尖った部分に、暗い朱色の液体がフローリングにぽたぽたと滴っていた。


「…っ…!」


 なんだろうこれ?

 と、そう考える暇もなくボクは痛みに悶えた。

 また、何かの癇癪を起こしたかのように母親がボクを殴り始めたのだ。


 皮が擦りむけて血に濡れた拳が何度も振り下ろされてきた。

 ぼんやりとその光景を眺めていると、母はまた何か気に入らなかったのか、ヒステリックに叫び、喚き、泣きながら殴ってくる。


 それで初めて…そう、初めて気付いた。

 あまりにも言葉が支離滅裂で、今までは何を言ってるのかも分からなかったのに。

「気色の悪い」とか、「気味が悪い」だとか、今日に限って聞き取れた。

 いつもこんな事を言われていたのか、初めて気付いた。


 気味が悪い子供。

 母にとってボクはそんな存在だったのか。


 考えてみれば当たり前かも知れない。


 昔から、殴られても泣き叫ぶことはせず、今みたいにただぼんやりと状況を受け入れていた。

 痛いのは嫌だし、こういう母の姿は怖い。


 でも悲しいとか、辛いとか、そんな感情が芽生えたことは無かった。

 ほんの少しではあるが、母の優しい部分を知っていたから。

 少なくとも俺の知らない誰かには、尊敬される人であることを知っていたから。

 小さい頃からなんとなく、ぼんやりと、曖昧ながらそんな風に思っていた。


 俺のそんな姿は、この人にとって気味が悪かったのかも知れない。


 これだけ殴られてたら、流石に明日は学校に行けないな。

 そんな風に考えていた矢先、突然視界がぼやけた。

 ついでに音が聞こえない。

 当りどころが悪かったのだろうか。

 体から感覚が無くなっていった。


 思考だけは巡る中、心臓の鼓動が異様に大きく聞こえてきた。


 不意に、このままだと死ぬんじゃないかと思った。

 体は動かなくなっていた。こうなると抵抗は出来そうにない。


 死んだらどうなるんだろう?生まれ変わったりするのかな。

 ……いや、それは嫌だな。

 人生というのがとても辛く、難しい物だと知っているつもりだから。

 うん、そうだな生まれ変わるのは嫌だ。このまま死んでなにもかも忘れていった方が良い。




「☆※◇◎□! ○△▽□◁▽▷!!」


 そう思っていたら、誰かの声が聞こえた気がした。


 意味はよく分からない。


 言葉としては聞き取れるが、内容はやはり分からない。まるで知らない言語で話掛けられている様な気分だった。

 他にも、恐らくは泣き声のような声が聞こえてきた。赤ちゃんが泣いてるんだろうか。

 ということは、ここは病院かどこか……?


 瞼を上げた気がしたのだが、周囲が明るい事が分かるだけでぼんやりとしか視覚はない。


 何となく、いい匂いというか、落ち着くような匂いがするのは分かる。


 死んだのかなって思ったけど、案外生きていたのだろうか。


 それならそれで、仕方ないけど。


 体の感覚は何とも言えないが、とりあえず痛みはなさそうだ。動かしたり、起き上がったりは出来そうにないが…感じた事のない不思議な感覚だけが、体の中にある。


 五感とは別に、体の内側に何かが宿っていることを明確に感じていた。


 そんな時、ごく僅かだが、確かに聞こえた。


「よかったですね、とても元気な、双子です…!」


 今まではまったく聞き取れなかった言葉が、なぜかその一瞬だけはすんなりと耳に入って来た。


 その時の言葉が自分の事なのだと分かったのは、おおよそで一ヶ月ほど後になる。


 ボクは命を落として、どうしてか記憶や人格を引き継いだままに生まれ変わった。


 いわゆる、“転生”ってやつなのだろう。





───────────────────────

☆あとがき


久しぶりの転生ファンタジーになります。

今ではラブコメばっかり載っけてるけど、実は初投稿とかはこっち系なんですよね。小説家になろうの方ではファンタジー書いてるんですが…。


そこそこ重めなダークファンタジーになると思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る