受験の対策

 いつも通り特に変化ない学校も終わって、公立の図書館。学校からほど近い場所にあるこの場所は、金章学園の生徒の絶好の勉強スポットとして認知されている。……とはいいつつも、俺がしょっちゅう勉強に来ているわけではないのだけれど。


「たまにくると、案外見てしまうんだよな」


 家の鍵を忘れて、ひまりが帰るまでは家に入れない状況の時間を潰す間だけと思って入ったはいいが、すでに入って数時間が経とうとしている。

 金章学園に通っている人間の中では当然なのだが、俺は本を読むのが好きだ。特に俺の場合は近代小説。現代とは少しだけ違う世界で、文豪たちの思いが詰まった文を読むことが、本を読む中で一番の楽しみだ。


「でも、流石にここのはもう見飽きたかもな」


 中学の時は特にここに通い詰めていたりしたので、近代小説コーナーは大体が既読になりつつあった。そう大きくない図書館であるのでしょうがないのだが、少し寂しい気分になってくる。


「奥の方に行ったらなんかあるか……?」


 思えば、見たと言ってもまだ手前の方だけだ。近代小説コーナーとはあるが、奥の方を見ればまだ面白そうな本が残っていたりするかもしれない。

 立ち読みしていた本を棚に片し、あまり向かったことのない奥の方へ足を向ける。


 奥の方は、本棚もたくさんあるが、机が大量に置かれていた。実は、この図書館が金章学園の生徒にとっての勉強スポットとなっている理由の一つがこの机だった。

 小さく、本が少し少ない分、大きな机は学校の図書室よりも勉強に向いているのだ。それに、他の学校から来る生徒もそう多くなく、満杯になるほど人がいることもない。


「ん? あれは……」


 ちらり、と机のコーナーを見ていると、朝方見かけた小さな姿が目に入った。珍しく金章学園とは違う制服。というか、見覚えがありすぎるもの。少し近づいて、もう一度顔を伺ってみる。……うん、間違いない。


「咲ちゃん?」


「え?……お兄さん?」


 咲ちゃんは驚いたような顔をしつつも、隣の椅子を引いて、「どうぞ」と促してくれた。ありがたくその椅子に座らせてもらい、一生懸命に書き込んでいたノートを少し覗き込む。


「数学?」


 そこに書かれていたのは、数学の問題だ。それもたくさん。きっとここに来てからはずっと数学だけを解いていたのだろう。


「受験の対策?」


「はい。……私は、ひまりちゃんほど頭が良いわけじゃないので」


 「あはは」と、自虐するように笑った咲ちゃんは、自分で言って気分が落ち込んでしまったのか、少し元気なさげに溜め息を吐いた。


「もう一回確認なんだけど、咲ちゃんは金章学園を受験するんだよね?」


 この図書館で勉強している時点でわかっていることだが、これは本人の口から聞きたかった。


「はい。正直自信はありませんが……」


「じゃあ、今度から、俺が勉強教えてあげようか?」


「……へ?」


 驚きの表情だ。まさかそんな提案されると思ってなかったと言わんばかり顔。


「ほら、これでも俺は金章に一度受かっているわけだし、それに、金章学園は知り合いに在校生がいたら受かりやすいシステムがあるから。それを活用して教えてあげるよ」


 有数の進学校である金章学園は、かなり難しいが、なんと近道が存在する。それが、過去問の存在だ。


 実は、金章学園の一般入試は問題が回収され、またその後の公開もない。そのため、広く問題が周知されているわけではないのだ。そのため、傾向対策などがしにくいという特徴がある。


 しかし、入学してしまえば図書室に全年分が保管されており、自由に閲覧可能であるため、在校生であれば傾向対策をすることができるのだ。


 大衆に広めない限りは、その傾向を受験生に渡すことは全く問題ないとされているため、金章学園は知り合いに在校生がいれば受かりやすくなるとされている。

 正直これがアウトなのかセーフなのかはよくわからないが、すくなくともそうしてこの学校はやってきた。


「今すぐっていうのは無理だけど、今度だったらいいから」


「……ありがとう、ございます」


「あれ、余計なお世話だった?」


 あまり嬉しくなさそうな咲ちゃんに、少し心配になって尋ねてみる。すると、少し焦ったように手をぶんぶんと振りながらそれを否定した。


「いえいえ! そういうわけじゃないんです! そうじゃなくて、まさかお兄さんに教えてもらえるなんて、と思って」


「言ってくれれば手伝ったよ。そんな薄情な人間じゃないからさ」


「そういうことじゃなくって……ほら、私とお兄さんって、そんなに深い仲というわけじゃないでしょう? 勉強を教えてもらうとなると、それだけ時間も使ってもらうわけですから少し申し訳ないなと思ってて……お兄さんの方から言っていただけて、すごく嬉しかったですよ?」


「そっか。それなら良かった」


 これで余計なお世話だったりしてたら、恥ずかしすぎてちょっとしばらく顔を合わせることができなかったかもしれない。


 それにしても、そんなに深い仲というわけじゃない、か。少し寂しい気もするが、その通りなんだよなあ。じゃあおれはなんで咲ちゃんに勉強を教えようと思ったんだろう。


 ひまりの友達だから? 俺の小学生の時から知ってる顔なじみだから? 頑張っている咲ちゃんを応援したい気持ちが沸き上がってきたから? それもあるだろうけど……


 今日の朝の、あの不安そうな、憂いを帯びた表情が気になって仕方なかったからかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勘違いするだろ! いい加減にしろ! すずまち @suzumachi__

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ