第二話 何もかもをぶん投げたい時もあるのだから

「何だ、この音は……」


 どこからか地鳴りのような音が聞こえた気がした。

 あまりの音の大きさに、イツハは足が竦んでしまう。

 彼が岩のように身体が強張らせていると、ミュナが叫んだ。


「いっちゃん!」


 ミュナはイツハの腕を引っ張る。

 すると、彼の身体はふわりと宙に浮いた。


「え?」


 まるで、一本釣りされた魚のようにイツハの身体は吹っ飛ぶ。

 引っ張られた腕に痛みを感じながらも、彼は綺麗なフォームで着地する。


「ご、ごめんね! おばさん、力加減がわからなくて……」


 ――いえ、大丈夫です。


 イツハがそう答えようとしたその時だった。

 彼がついさっきまでいた地面の下から何かが現れる。 

 轟音と共に現れたそれは、見上げるまでに大きい。


「な……」


 イツハは驚きのあまり呆然とする他なかった。

 現れたのは脚が何本もある虫――ムカデに酷似していた。

 よく見ると機械だということがわかるが、それにしてはここまでムカデに似せる必要性はあったのだろうか。

 触角をくねくねと、それこそ生き物のように器用に動かしつつも頭部をイツハ達へと向けてくる。


「ミュナおばさん、あれは……」

「う~ん。あれはガラクタの一種ね」

「ガラクタ?」

「そ、人が不要として捨てたものの総称。皆そう呼んでいるわ」


 イツハには分からなかった。

 どうして捨てたのだろうか。

 まだあんなに元気に動くというのに。

 しかし、彼にも何となくその理由が分かった気がした。

 危険だからこそ、捨てざるを得なかったのか――。


「このままだと危ないのでは……」

「ふふん、おばさんに任せなさい」


 ミュナはエプロンのポケットから何かを取り出す。

 エプロンにはネコとイヌとウサギが混ざったような奇妙な動物の刺繍が施されている。

 武器でも出すのだろうかとイツハが期待していると、彼の予想は的中していた。


「え?」


 確かに武器かもしれない。

 ある種の虫を攻撃するにはこれ以上の武器はないだろう。

 しかし、ムカデを攻撃するには誰がどう見ても適しているとは言えない。


「それって、それは、えっと――?」

「ええ、スリッパよ」


 ミュナが手にしていたのは緑色のスリッパだ。

 安っぽいという特徴しか見当たらず、その底も少し剥がれかかっていた。


 ――冗談なのだろう、うん、きっと。


 イツハはそう思いたかった。


「えっと、自分は――」

「いっちゃんは逃げていいわよ。あとはおばさんが何とかするから」


 スリッパを片手にミュナはニコリと笑う。

 ムカデをゴキブリと勘違いしているのだろうか。

 しかし、イツハの身体は素直に従い、気が付くと急いでムカデから後退してしまっていた。

 本能か、それともミュナを信頼しているのだろうか。

 いずれにせよ、ムカデはその矛先をミュナへと向ける。

 体格差は歴然としており、ゾウとアリの戦い以上に不毛で無意味に思えた。


「ミュナおばさん!」


 イツハはとっさに声を掛けるも、ミュナはウインクで答える。

 どこからそんな余裕が出ているのか分からないが、ムカデは大きく口を開いてミュナへと肉薄する。

 その口内は獲物をすり潰すのが目的らしく、プレス機と回転式の刃が醜い音を立てて駆動していた。


「いくわよ~」


 僅かに聞こえたのほほんとした声の後、一瞬にしてその姿は消える。

 すると、ミュナはムカデの頭部にまで跳躍したらしく、スリッパを振りかぶっていた。


「えい」


 ふざけている光景だった。

 まるで、平和主義者の語る子供騙しの妄想を見せられているかのような。

 だが、スリッパがムカデの頭部を叩いたその瞬間だった。


 ――耳をつんざく豪快な音と共に、目の前の光景が一変する。


「え――!?」


 イツハは何一つ信じられなかった。

 ムカデの頭部は地面へめり込むほど力づくで叩きつけられていた。

 自慢のプレス機は呆気なく潰され、回転式の刃は回転するという単調な仕事が二度と出来ないだろう。

 火花が飛び散る音に交じり、重大な損傷を与えたせいかビープ音がやかましく鳴り続ける。


「ふふん。これぞおばさんパワーよ」

「えぇ……」


 イツハは頭を抱える。

 一体、何が起こったのかさっぱりわからなかったからだ。

 茶番にしてはあまりにもいい加減すぎる。

 何よりも理解不能なのがミュナの手にしているスリッパは破損すらしておらず、そのままどこかの病院の待合室にでも再就職させてあげた方がいい気がした。


「一体、どうなって……」


 イツハは気になってひしゃげたムカデへと近寄る。

 紙か粘土か、それよりも脆い物質で出来ているに違いないと思ったが、触れてみるとその装甲は硬く、銃の弾丸でも容易く弾いてしまうだろう。

 彼がスリッパの跡がくっきり残ったムカデの頭部を眺めているその時だった。


「まだ戦うつもりみたいね」

「へ?」


 イツハがミュナの視線を辿ると――。


「あれは、ムカデの尻尾?」

「う~ん、そこまでして喧嘩をしたいのかしらね?」


 頭を潰したというのに、完全に機能を停止していないようだ。

 ムカデの尾部はドリル状になっており、分厚い岩盤をも簡単にくり抜けるんですと宣伝するかのように高速で回転していた。

 そして、そのドリルの先端をミュナへと突き付け――。


「危ない!」


 イツハが叫ぶも、ミュナはキョトンとしていた。

 とてもでないがこれから迫る危機に備える顔には見えない。


 だが――。


「確かに危ないわねえ~」


 ミュナは片手でドリルを掴む。

 高速で回転しているドリルの先端をだ。

 それも素手で。


「嘘、だよな?」


 不可能なはずだ。

 何かの手違いで物理法則が仕事を止めたのだろうか。

 それはおかしいと叫ぶかの如く、強引に動きを止められたドリルは金切り声を上げる。

 駆動機関に相当な負荷がかかったのだろう。

 金属が断ち切れ、折れる音が鳴り渡った。

 断末魔を上げているかと思いきや、巨大なガラクタはまだ息の根を止めていないようだ。

 尾の一部を切り離し、そこから伸びたケーブルや折れて鋭くなった断面をミュナへと向けてくる。

 まだ戦意を失っていない様子を見て、ミュナはため息を零す。


「そこまでして戦いたいのね……。悲しい子」


 憐みの言葉を掛けてから、ミュナは再度ガラクタに目線を向ける。


「ならば、葬儀は派手に執り行ってあげましょう。あなたのためにも」


 イツハの身の毛がよだつ。

 ミュナがその全身から例えようのない気迫を放ったからだ。


「いっちゃん。離れていてね」

「あっ、はい」


 イツハが離れたのを確認してから、ミュナは――飛んだ。


「ええっ!?」


 単なる跳躍なのだが、人間が助走もなしに飛べる距離ではない。

 一体、何をするつもりだろうか。

 イツハが何も出来ず、息を飲んでいたその時だった。

 ミュナが口を動かし、何かを口ずさんでいる。

 すると、その右手に灰色の霧が現れる。

 霧が一か所に集約し、そして徐々に何かの形を構成し――。


「え?」


 イツハは首を傾げる。

 ミュナが物を作り出す力があったとしても驚かないが、乗り物を出してくるとは思わなかった。

 乗り物と言っても前輪が大きく、地面を均す用途で使う重機の類のようだ。

 ミュナはその重機を担ぎ上げたまま、地面へと急降下していき――。

 そして、叫んだ。


「スムーズローラーよっ!」


 ぶん投げた。

 それも高速で。

 大気圏外から落下してくる流星のような勢いで、それは襲い掛かる。

 ムカデのガラクタは容赦なく重機を叩きつけられ、惨い音と共に散っていく。

 天空高くから降り注いだ隕石が地面と接吻した後に形成されたようなクレーターが残され、頭が真っ白になったイツハはそれを眺める他に行動が取れなかった。

 そして、ミュナは上機嫌で彼へと近寄ってくるのだった。


「こんなところかしらね」


 イツハにはミュナの理不尽な強さが何一つ理解出来なかった。

 だが、今のミュナを見ていると、その強さはこの世の法則を無視する絶大な力があることだけが何となくわかってしまう。

 本当におばさんパワーのおかげなのだろうか。

 彼が奇妙な頭痛を感じていると、視界の端で何かがチラついている。


「ん、火が点いている?」


 ガラクタの残した燃料が引火したらしく、辺りで赤い炎が上がる。

 お疲れ様でしたというようなねぎらいにしてはその炎は激しかった。

 皮膚を焦がすであろう激しい熱量だが、ミュナは一切構うことなく燃え盛る火の中を進む。

 遮るものがあるはずがないという堂々とした足取りで。

 すると、不自然なことに火が動いた。

 ミュナの行く手を遮らないよう配慮するかのごとく。

 その作り出す道を闊歩する様は、神秘的な存在に思えてならなかった。


 そう、例えるならば人のことわりとはかけ離れた存在に――。

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