第四章 生存の希望
一 毒味
洞窟から出て見上げると、どこまでも高く抜けるような青空が広がっていた。あの灼熱地獄の後と同じように、気温はすべてを凍てつかせる極寒から、すっかり人間にとっての適温に戻っている。
洞窟の中に潜っていたために日付の感覚はさらに曖昧になっているが、エイタが無惨な死体となって見つかったのは、囚人たちがこの星に墜落してから四日目の朝のことだ。
その日はしばらく炎を守り続けて寒さを耐え忍んだが、洞窟内の気温が上がってきていることに気づいて、全員で出入り口まで戻ってきたのだ。ウォータライトという光源を得たため、往路よりも随分と楽な復路だった。エイタの死体は、地底湖の横に置いたままになっている。
それから一晩また洞窟の中で眠り、いまに至る。
「アハト、本当に一人で大丈夫?」
洞窟の入り口から外の様子を伺っていたアハトは、背後から声をかけられて振り向いた。そこには心配そうな表情を浮かべたシュウが立っている。
「一人の方が楽だ。アンタたちは必ず三人で動けよ」
短く返事をすると、アハトはシュウを振り切るようにやや早足で洞窟を出た。
今日でこの星に墜落して五日目となり、食糧と飲水の問題が目前に迫ってきていた。
二日目に堂島が死に、昨日エイタが死んだことで、その分の食糧と水は浮いた。さらに節制しながら摂取していた分もあるので、今日で全ての物資が尽きるということではない。しかし、この星で取得可能な水と食料を見つけない限り、脱水症状と餓死で死ぬのは確定事項だ。
そこで探索に出ることになったのだが、問題となるのは、どのように行動するかだ。
残っている囚人の数は四人。行動パターンとしては、全員でまとまるか、全員ばらけるか、二対二になるか、一対三になるかだ。アハトはその中で、二対二になることが最もリスクが高いと考えた。
殺人鬼は他の者に見つからないようにエイタを殺した。つまり第三者の目があればことを起こさない可能性が高いのだ。
二対二に別れた場合、自分の組んだ相手が殺人鬼だった場合は自分の身が危ない。もう片方のペアに殺人鬼がいた場合は、そちらと組んだ相手が危険になるという状況に陥る。
だからといって全員がばらけた場合、殺人鬼が誰かに狙いを定めた時点でその者が殺されて終わる。相互監視ができつつ、二手に分かれることができる一対三がベストだ。
そして、アハトは自分が単独行動することを強く希望した。
エイタが何者かに殺されたことにより、囚人たちのことが誰一人として信用できなくなってしまった。しかし残っている囚人たちは、誰が怪しいとも言えないほどに表層的には善人に見えるのだ。彼らは全員がお互いに支え合いながら、なんとかこの星で生き抜こうとしている。仲間内に異常者がいることは確定しているにも関わらず、そうは感じられないというのは、たまらない居心地の悪さだった。
他の囚人たちから離れたアハトは、新鮮な空気を吸い込み大きく深呼吸した。そのまま視界が開けるところまで歩いていき、目前に広がる景色に目を瞠る。
「すげぇ……」
思わず声が漏れた。
洞窟に入り込んだときには一面の砂漠だったはずだが、いまや外の世界は一面の花畑になっていた。
花と言っても、その質感は鉱石に近い。色とりどりの薄い鉱石のようなものが、花弁状の形をつくりながら地面から伸びていっており、それが砂漠だった部分の全てを覆い尽くしている。
壊れやすい
「うっ……」
アハトは口内に溢れ出した唾液と共に欠片をすぐに吐き出した。非常に原始的な手法だが、これで鉱石花が食べられるようなものではないということはわかった。この星でなんらかの肉などの食料を得られた場合、調味料としての使用余地があるかもしれない程度だ。それももちろん、毒味をしたアハトの体に、このあと悪影響が出なければ、という条件付きだが。
鉱石花は足の踏み場もないほどに密集して生えている。恐る恐る足を乗せると、鉱石花は霜柱や繊細なガラス細工を踏んだように脆く崩れていく。仕方がないので、鉱石花を崩すことは気にせずに歩いていくことにする。後には、粉々になった鉱石花の欠片によって、輝くような道ができていた。
アハトがまず目指すのは、墜落地点に近い場所でシュウと共に見つけたオアシスだ。あのときは巨大ムカデの危険に晒されていたことと、シュウが己の身代わりになったということにショックを受けていたため、オアシスの水が飲めるかどうか、確かめることができていなかった。しかし、あの場所に水らしきものがあったことは間違いない。
他の囚人たちとも打ち合わせは済ませており、アハトがあのオアシスを調べることは共有している。三人は洞窟の近くを探索することになっているので、探索場所がかぶることはない。
アハトは一人、また二時間ほどかけて歩き、ポッドの残骸のある墜落地点へと辿り着いた。道中、正体不明の星棲生物の姿を見かけたりもしたが、近づかないように用心したかいもあって、危険はなかった。ここまで歩いてきてわかったことは、いままで砂漠であった場所のすべてが鉱石花の花畑になっている、ということだ。墜落地点も例外ではない。
すっかり様変わりてしまったポッドの周辺の様子に戸惑いながらも、アハトはベルトのバックルで発信機の位置を確認して、それを探し当てる。
地面に膝をついてよくよく見てみれば、群生している鉱石花に覆い尽くされた、白いつなぎを着た首のない白骨が横たわっていた。
そもそもこの星には囚人たち以外に人間はいないし、位置関係と衣服、そして発信機の反応からしても、これは堂島の骨で間違いない。しかし、堂島が死んでから四日間。アハトの常識的な感覚からすると、人間が白骨化するにはあまりにも早すぎる。何かに食われたか、地上を覆っていたであろう殺人的な冷気が作用したのか、あるいは突如として出現した鉱石花が影響を与えているのか。
白骨化が尋常ではないスピードで進んだ理由はアハトにはわからなかったが、いっさいの生々しさのない人骨を眺めていると、奇妙な感覚に囚われた。堂島に襲われたのがまるで何年も前のことのように思えて、彼に対して恨みや怒りの感情が湧いてこないのだ。それだけ骨というのは無機質な物体であり、ここ数日のできごとはあまりにも怒涛だった。
アハトは抜け殻のようになった白いつなぎのベルトに手をかけると、骨がばらばらになることも気にせず、バックルごとベルトを引き抜いた。
いま囚人たちがある程度自由にこの星を移動できているのは、このベルトのバックルに取り付けられた発信機と、お互いの位置関係を確認できるディスプレイがあるおかげである。
今日、四人の囚人たちは全員探索のために洞窟を出たが、洞窟にはエイタの死体が残っているため、その位置を見失うことはない。そして、このポッドの残骸がある墜落地点の場所が発信機で確認できるということも、洞窟の位置と同等に重要なことだった。この状況を維持するためには、外部要因で故障したり場所が移動してしまったりすることなく、発信機がこの場にあり続ける必要がある。
アハトは、ポッドの残骸の内側に位置し、金属の窪みにあたるもっとも安全と思われる場所に堂島のベルトを置いた。そうして用事を済ませると、記憶を頼りにオアシスへ向かって再度歩き出す。
砂漠から鉱石花の花畑へとすっかり様変わりした世界。もしかしたらオアシスそのものの存在がなくなっているのではないかと危惧していたアハトだったが、オアシスは変わらずそこにあり、無事に辿り着くことができた。
一面の鉱石花の中に突如として突き出る、玉虫色の鱗に覆われている木のような物体が複数本と、それらの中央に位置する池。
アハトは周囲を警戒しながらも池に近寄り、淵に膝をついた。シュウと木の上に逃げたときには気づいていなかったが、池の中を覗き込むようによくよく見てみると、水はほんのりと白く濁っていた。そのせいで、地底湖のように底まで見通すということはできない。
第一段階として、池の水面に手をつけてみる。どことなくぬめりのようなものを感じるような気もするが、皮膚がすぐさまかぶれたり、痛みを感じたりというようなことはない。濡れた手を鼻に寄せて、無臭であることを確かめる。
第二段階として、持ってきていた空のボトルに池の水を汲むと、透明のボトルを光に透かして観察してみる。地底湖の水は透き通っていて青白く発光していたが、池の水は透かして見ても白濁りしていることがわかる。人間の視力で確認できるレベルでは、という前提条件の元では、微生物のようなものが水の中で動いているという様子はなかった。
第三段階としては実際に飲んでみて、飲めるかどうかを確かめるしかないのだが、それでも得体の知れない液体を口にするのは勇気が必要である。
アハトが僅かなためらいを感じていたそのとき、池の対岸からカサカサという物音がした。すぐさま腰を浮かし、いつでも逃げられるように身構える。
揺れる鉱石花の群生から池の淵へと姿を現したのは、新たな星棲生物だった。クマムシをそのまま巨大化させ、体高は小型犬ほど、体長は馬ほどのサイズに引き伸ばしたような細長い生き物だ。ただ、生まれたての鼠のような生々しさを感じる皮膚に覆われている。
裸クマムシとでも形容すべき星棲生物は白ヒルとは違って単独行動しているようで、続けて仲間が現れる様子はない。
顔らしい顔が存在しないことも要因の一つとして、星棲生物から表情や感情といったものを読み取るのは難しい。アハトに気づいているのかどうかを判断することもできなかったが、裸クマムシはアハトを気にかける様子はいっさいなく、池に不気味な丸い口吻を突っ込む。無駄につきすぎた脂肪のようにも見える体の皺が動き、裸クマムシの体内が蠕動している様子が見てとれた。池の水を飲んでいるのだ。
星棲生物の不気味な見た目と、白濁りした水の様子からして、どうしても怪しさは漂う。それでもその光景は、この池がオアシスとして星の生物の命を支えているのだろうと感じさせるものだった。
アハトは、裸クマムシが水を飲み終えてどこかへ行ってしまうまでしばらくその場で待ってから、意を決して池の水を詰めたボトルに口をつけた。
まずは一口、嚥下する前に液体を口の中に溜めて味を確かめる。微かなぬめりを感じる程度で、見た目に反して何の味もせず、舌に刺激を感じることもない。次に、喉を上下させてごくりと飲み下す。大きく一口分を嚥下しきった後もしばらく動きを止めて自身の体調の変化に気を向けたが、しっかりと喉の渇きを潤せている以外に変化はない。これは真なる毒味だ。あとは、何事もないことを祈るばかりである。
未知なる星に投げ出される探索刑という極限状態では、堂島グループが製造していたレーションのように、長期的に見て人体に悪影響があるかどうかということを成分から調べることは不可能だ。数時間経ってもアハトの体調が悪くならなければ、この池の水は人間でも飲めるものだという判断を下せる。
この星で飲み水を確保できたかもしれないという期待感に、エイタが殺されてからずっと沈み込んでいたアハトの気分が微かに上向いた。
さらに周辺の探索をするべく、アハトは立ち上がると、未だ行ったことのない方角へと足を向けた。
それからおよそ一時間後。
あてもなく歩き続けていたアハトが異変を感じたのは、なにもないところで唐突に足が縺れたからであった。
前方へと体が傾ぎ、咄嗟にバランスを取ろうと足を踏み出そうとして、ようやく体が思うように動かないことに気が付く。転けることは免れられず、次に手を前へつき出そうとして、それさえ間に合わずに顔面から鉱石花の群生の中へと倒れ込んだ。
「クソ」
体が思うように動かず、ひとり悪態をついた。立ちあがろうとして地面に腕をつくが、腕が萎えていて自分の体を持ち上げることができない。当然、健康体そのものだったアハトにはありえない異常だった。
「ぐっ……ぅ」
渾身の力を込めても起き上がれず、ついに諦めて地面に突っ伏したままになる。もがいたせいで息があがるのだが、呼吸するために胸が上下する動きさえも緩慢になっていて、息苦しさだけが残る。そしてその体の状態は、どんどん悪化していた。
まるで毒を盛られたかのように突如現れた異常の原因は、どう考えても先ほど一口飲んだ池の水である。腹痛や嘔吐などの単純な症状が出るのではなく、『全身の筋肉が弛緩していく』という複雑な反応を引き起こしていること自体が、この星をイザナミの常識で捉えてはいけないことを明示していた。
緩慢にもがく以外にいっさいの体の自由が効かなくなり、アハトは瞼に重みを感じて、じわりじわりと目を閉じざるを得なくなる。
視覚を失うと、他の感覚が鋭敏になった。顔を下にして突っ伏しているせいで、大地が持つほのかに甘い土の匂いを感じる。
人間を捕食対象とする星棲生物が徘徊している中で身動きが取れないということ自体に身の危険があるが、そもそも全身の筋肉が弛緩する症状がこのまま進行すれば、呼吸をはじめとする人間の生理的な身体機能すら損なわれる恐れがある。
こうなってしまっては、たとえ星棲生物に襲われようとも、このまま心臓の動きが止まろうとも、アハト自身にはなにをすることもできない。しかし生き抜こうとする本能は、命が途絶えるまで自身に起きた異常を分析し、周囲を警戒する。
それからアハトはただひたすらに、緩やかに悪化していく自らの症状と、近くを通り過ぎる生物の気配に怯え続けるしかなかった。
無意味と知りながらも感覚を研ぎ澄まし続けて、何時間が経過したのか。
ただ大地に突っ伏すことしかできないアハトには知りようもないが、体感としては永遠のように感じるほどの時間。
気温が徐々に下がってきていることはわかったが、それは星が再度極寒の世界になろうとしているというわけではなく、単純に日が落ちて夜になったからだろうという予測はついた。
真綿で首を絞められているかのように、緩慢に体が死に向かっている。倒れ込んでからアハトはずっと息苦しさを覚えていたが、酸素が十分に脳へ届かなくなったことで、次第に意識がぼんやりとしはじめていた。
ふと、鉱石花がなにかに踏まれるカサカサという乾いた物音がした。
その音は徐々に近づいてきており、頭上側からなにかが接近しているのだということを強く意識する。アハトの脳裏に、いままで目撃してきた星棲生物たちの姿が浮かんでは消えていく。いま自分に接近しているものがなにかはわからないが、人間ではあり得ない以上、得体の知れない不気味な生き物であることは間違いない。
足音に次いで聞こえてきたのは、シューっという、空気が鋭く漏れる音だった。イザナミの下層には存在していなかったため、蛇を直接見たことがなかったアハトには知る由もないが、それは蛇の噴気音によく似た音だった。蛇が威嚇するときに発する音だけに、蛇という生物を知らずとも、人間が本当的に恐怖を覚える音だ。ただ、背筋にゾクゾクとした悪寒を感じながらも、アハトは逃げ出すことができない。
頭上に感じていた気配はいっそう接近し、手を伸ばせば触れられそうな距離で、パキリと鉱石花が折れた。
そしてついに、アハトは自身の頬に生暖かい息を感じる。
「贄だ」
ごく至近距離で聞こえたのは、人の声のようだった。短い一言で、それが意味のある物だったのかも判別がつかない。
フー、フー、と一定感覚で繰り返される呼吸。漂ってきたのは、鉄分となにかが腐ったような強い悪臭。その匂いは何故だか、自分に接近している生物が肉食であることを想起させた。目の前で巨大ムカデに頭部を食われた堂島の姿が幾度もフラッシュバックする。
ふと、頬にかかっていた吐息が遠ざかる。それは救いではなく、勢いをつけて頭から食いつかれる前兆のような気がして。
——こんなところで、終わるのか。
胸の中に、諦めとも、悔いとも言い切れない感情が湧き起こった。
次の瞬間。
「アハトー!」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきたが、アハトははじめ、それが現実だと認識することができなかった。凍死寸前だったときに見たドライの幻覚のように、極限状態に見る都合の良い夢かと思ったのだ。
しかし、声は再度聞こえる。
「アハト!」
「アハト、生きてるか」
「アハトさんっ」
三人分の声が次々にして、地面が微かに振動する。そして、鉱石花を踏む人間の足音が接近した。
アハトの肩に手がかけられ、仰向けに体が反転させられる。頬に触れ、鼻先に翳される手の感触。
「大丈夫だ、まだ生きている。ただ、呼吸がひどく弱い。このままではまずいな」
「いったいどうしたんでしょう」
「外傷はないね?」
「あっ、見てください、これ。ウォータライトじゃなくて、ボトルに濁った水が入ってますよ」
「もしかして、オアシスの池の水を飲んでこうなっちゃったのかも」
「なるほど。間に合うかわからないが、とにかくすぐに処置をしよう」
螺鈿、シュウ、吉野の三人がアハトに起こった事態を理解すべく口々に話している。彼らの声音や様子からは、全員がアハトのことを救いたいと願っていることが伝わってきた。
そもそもここに囚人たちがいるということは、帰りが遅いアハトを案じて、発信機の情報を頼りにわざわざ探しに来てくれたということだ。
——とても、この中にエイタを殺した犯人がいるとは思えない。
信頼と不信、恐怖と安堵、相反する複雑な思いを抱えながらも、アハトはついに意識を手放した。
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