第三章 昏い洞窟
一 再会
洞窟に残っていた囚人たちは、全員が軽い脱水症状に悩まされていたものの無事であり、コンテナいっぱいの水と食糧を運んで戻ってきたアハトのことを手厚く労い、歓迎した。
エイタの傷と体調は小康状態で、万全の状態に回復したわけではないが意識は戻っている。体力を使い果たしていた吉野も起きて、両手で持ったレーションを小動物のようにもそもそと食べていた。
洞窟の硬い地面に全員で車座になって座り込み、水分を補給しながら食事を摂る。この星に来て初めてと言っても過言ではない、落ち着いた時間になった。
「それは……本当に大変だったね」
洞窟を出てからなにがあったのか、そのすべてを順を追ってアハトが話し終えると、螺鈿がしみじみとした口調で言った。
「あのクソ野郎が悲惨な最期を迎えたってことが聞けて、俺は気分爽快だぜ」
相変わらず血の気が失せた顔をしているエイタだが、笑いながら言葉を吐き捨てる。
「そんな極限状態だったのに、ボク達のために物資を運んできてくださって、本当にありがとうございました」
吉野は小声で囁くように言い、軽く頭を下げる。三人ともアハトの説明を疑っている様子はない。
堂島が当初そうしようとしていたように、邪魔者を排除するためにアハトが堂島を殺し、嘘をついている可能性もあるのだが、『堂島ならばやりかねない』という共通認識が囚人たちの中にできあがっていた。
「知り合いだったというジャーナリストは、堂島のどんな秘密を握っていたのか、具体的に知ってるか?」
アハトが尋ねると、エイタはレーションを一口齧って首を傾げた。
「さてな。あの人とは亜門に来てた客とそのファイターってだけの繋がりで、たまに会話した程度。そこまで深い関係でもなかったし、詳しい内容までは聞いてねぇよ。ただ、堂島グループが下層に流してるレーションの安全性を確保するために、あの人がずっと動き続けてたことは間違いない。だから、クソ野郎が言ってたそのあたりの内容は、まあ大体そうだったんじゃねぇか。いくらか奴に都合のいいように改変はされてるだろうがな」
「エイタは他に、堂島についてなにか知らないか?」
「七年前に親からグループを継いだボンボンで、徹底して利己的なクソ野郎っていうことくらいだな。だけどよ、もう奴は死んじまったんだからどうでも良くねぇか? なにが気になってんだ」
エイタに問い返され、アハトは口籠る。
「いや……流石に、殺されかけたからな。単純な興味だ。それより、エイタはどうして探索刑にかけられることになったんだ」
会話の流れに乗って一気にプライベートなことに踏み込んだが、エイタは特に気にした様子もなく、ひょいと肩を竦めた。レーションの最後の一口を食べきると、空になったパウチを無造作に捨てる。
「馬鹿馬鹿しい話だぜ。俺の試合の対戦相手が上層の市民だったんだ。試合なんだから当然ブチのめすだろ? 俺がその対戦相手のことを知ったのは、二日後に警察が亜門にやってきて、逮捕される時だった」
「闘技場の試合に上層の市民が紛れ込むなんてことがあり得るのか?」
ルール無用の闘技場においては、ファイターは常に死と隣り合わせであり、そのことを承知した上でお互いに試合に臨んでいる。試合の中でファイターが死ぬのは珍しいことではないが、試合で対戦相手を殺してしまったファイターが逮捕されて探索刑に処されるなんてことはありえない。
だがそれは当然『試合に出るのは下層民である』という前提あっての話だ。
「ふざけんな、そんな話があってたまるかよ。上層の市民がお忍びで来て、客として賭けをするのは良くある話だが、ファイターとして出場するなんて前代未聞だぜ。なにをどうすり抜けて試合に出てきたのかわからねぇけど、おそらくアングラな社会体験でもしたかったんじゃねぇのか」
「上層の市民を殴ったから、探索刑になったの?」
疑問を感じた吉野が小声で問いかけると、エイタは片方の口角を上げて不敵に笑った。
「上層の市民を殴り殺したから、だ。あんまりにも弱くてなぁ。まあ探索刑に決まったのは、俺がいままで試合で殺してきた人数の多さもあったんだろうが、闘技場のファイターなら当然のことだぜ」
エイタの言葉を聞き終えると、吉野は怯えるように体をいっそう小さくする。
一連の話には医者として思うところがあるのか、螺鈿は渋い表情を浮かべていた。そんな二人の反応を見て、エイタが鼻で笑う。
「自分を棚に上げて軽蔑したような顔してるがよ、お前らだって同じ探索刑にかけられた囚人だろうが。何やったんだよ」
「僕は、治療をしていた患者を力及ばず死なせてしまった。君と同じように、その患者が上層の市民だったから問題となって冤罪で逮捕されただけだ」
螺鈿が、前にアハトへ語ったものと同じ内容を、短く簡潔にして答える。
「俺は、プレイグの構成員だ。必要に迫られて、幹部の罪を被って身代わりになった」
アハトは淡々と答える。本来はボスの罪を被ったのだが、万が一でもボスの罪が露見しないようにと、あえて庇った人物を変更した。しかし一部を偽ったとはいえ、アハトが『自分は無罪である』という告白をできたのは、シュウと二人で過ごし、彼に事実を話したあの時間の影響が大きかった。
エイタに続いて螺鈿とアハトの告白を受け、自然と三人の視線は吉野へと向く。レーションを食べきった吉野は彼らの視線に気づくと、パウチを手の中で弄りながら俯いた。
「たしか、君の父親はスプレンディング社の主任研究員だったそうだね。そして、その主任研究員は殺された。つまり、吉野は父親を殺した罪で探索刑になった、ということでいいのかな」
螺鈿が優しい声音で尋ねると、吉野はおずおずといった様子で頷いた。エイタが鼻で笑う。
「あの堂島のクソ野郎も親父殺しだったよな。上層の市民様の間では親殺しが流行ってんのか?」
「エイタ、そんな言い方はないだろう。堂島はともかく、吉野がそこまで利己的な理由で親を殺したとは思えない」
螺鈿は軽くエイタを諌めると、吉野へと改めて視線を向ける。
「もし僕たちに詳しい事情を説明したければ、聞くよ? 衝動的なものだったとか、事故だったとか、きっとあるだろう。無理にとは言わないけど」
「殺人に至った動機を秘密にされたままじゃ、俺もアンタを信用していいのか判断がつかない」
思惑を隠すことなく、アハトも端的に言葉を続ける。
吉野は俯いたまましばし沈黙していたが、不意に立ち上がると、つなぎのファスナーを腰まで下ろした。袖から腕を抜き、インナーの長袖も脱いでしまうと、自棄になったかのように、インナーを地面に落とした。肌が露わになる。
「おいおい、なに急に脱ぎ出して……」
そのまま体を反転させ、三人に背中を向ける。すると、茶化すような口調だったエイタの言葉が途中で止まった。
痩せすぎであると感じる吉野の華奢な背中に、大小様々な傷痕がいくつも走っていた。歴戦のファイターだったエイタにとっては傷痕など珍しいものでもなかったが、吉野の白い肌や体型も相まって、ひどく痛々しい。
傷痕は縦に細長く、鞭のようなもので皮膚を裂かれたように見える。ひどく古いものもあれば、比較新しいものもあった。当然のことながら、普通の日常生活を送っていてつくような傷ではない。父親を殺した動機を尋ねられ、その傷だらけの背中を晒したということは、当然そういう意味であることは、誰にでもわかる。
吉野の体は、小刻みに震えていた。
「吉野、すまなかったね。辛いことをさせてしまった」
螺鈿は立ち上がると地面に落とされたインナーを拾い上げ、差し出した。吉野は黙ったまま首を横に振ってから、受け取ったインナーを再度着込んでつなぎに袖を通し直す。
「吉野には、本当に探索刑が妥当だったのか? 情状酌量とかはないのか」
吉野の姿にはアハトも思うところがあり、この場の誰に言うわけでもなく文句が漏れる。
「父は、イザナミ内における薬品製造の第一人者でした。その功績ある人物の死は、イザナミ全体にとって大きな損失であったと」
つなぎのファスナーを上げ終え、少し落ちつきを取り戻した様子の吉野が言う。やはり、刑の重さの争点となるのは、被害者の立場や身分だということだ。
「揃いも揃って、ここにいる奴らは探索刑が本当に必要だったのかねぇ」
食事を終えたエイタは、ぼやきながらその場に寝転がる。ただただ態度が悪いようにも見えるが、体勢を変えるときに一瞬眉を寄せて痛みを堪えるような表情を浮かべていた。傷の影響で、起きているのも辛いのだ。
アハトは改めて、この場にいる囚人たち全員の顔を見回す。
医療行為の結果患者を死なせてしまっただけの螺鈿。ファイターとして、試合の結果として殺してしまった対戦相手がたまたま上層の市民だっただけのエイタ。長期にわたって続いたひどい虐待に堪え兼ね、父親を殺してしまった吉野。そして、他人の罪を被っただけのアハト。全員が語った言葉が本当であれば、この場には己の利益や快楽を求め、自ら望んで殺人をした者はいないということになる。
一連の会話を経て、アハトは堂島が『イザナミ史上最悪の殺人鬼』だったのだろうという確信を深めるに至っていた。
エイタに続いて食事を終えると、アハトは比較的入り口に近い洞窟の壁際に寄り、体を縮めて横になった。
本来であれば、囚人たちと今後のことについて話し合い、次にどう行動するかまで決める必要があると考えていたアハトであったが、抗うことのできない強烈な眠気を感じていた。
現時点ではこの洞窟が安全に思えることに加え、昨晩から活動をし続け、幾度も命の危機に晒されて限界を迎えていたアハトの肉体は、横になった途端に泥のように深い眠りに引き摺り込まれていく。夢さえも見ない、完全なる休息。
しかし、アハトの安息が一晩続くことはなかった。彼は洞窟の外がとっぷりと暗くなる頃に、不審な物音で目がさめることになる。
サク。サク。という砂の軽い音が混じる物音に、アハトは強い馴染みがあった。それは自分の足音に似ていて、外を移動している間中、ずっと聞いていたものだからだ。
砂地を歩く以上、砂が立てる音を出さずに移動することはできない。しかし、洞窟の地面は硬い岩盤になっているため、洞窟内部を歩いているときは別の足音がする。つまり、この砂の足音がするということは、洞窟の入り口近くを移動する何者かがいるということである。
——誰かが。否、なにかが砂地を近づいてきている。
寝ぼけてぼんやりとした意識の中でその考えに至った瞬間、アハトは飛び起きた。白ヒルと巨大ムカデに続き、未知なる星棲生物の新たな登場の予感に上体を起こし、息を殺して洞窟の入り口を凝視する。
外はすっかり夜になっていて、外から差し込む光に頼っていた洞窟内部は、よりいっそう暗い。
砂を蹴る足音はどんどん近くなる。星明かりの中に目を凝らしていると、人のような形をした影が見えた。影はどんどんと近づいてくると、ついに洞窟の中へと入ってきて、足音が変わる。星明かりが逆光になっているためにその詳細を視認することは難しいが、頭部と体の形状や全体の大きさ、どれをとっても人間に見える。違和感を覚えたそのとき。
「アハト?」
影から名前を呼ばれた。その覚えのある声に目を見開く。
アハトはすぐさま立ち上がると、影へと駆け寄った。亜麻色の髪、白いつなぎ姿。至近距離で見れば、薄暗がりの中であっても、彼は間違いなくシュウだということがわかる。
「シュウ!」
自分で名付けた名前を呼び返しながら、アハトは衝動のままにシュウの体を抱き寄せた。強く抱擁すると、細身ながらも成人男性特有のしっかりとした体つきを腕の中で覚える。彼との再会を実感すると共に、彼の体がひどく冷たくなっていることに気がついた。
「アンタ、生きてたのか」
様々な疑問が浮かんだが、真っ先に口から出たのはその一言だった。
「巨大ムカデをまいてから、発信機の光を見て、追いかけてきた。アハトが生きてて、良かった」
「それは俺のセリフだろ」
己の身を案じてくれていたシュウに、アハトは軽く笑いながら言葉を返す。シュウも微笑みを返したが、ようやく目的地に到着した安心感からか、彼の体から一気に力が抜けていく。
「おい、どうした。なんでこんなに体が冷えてるんだ」
ずるずるとその場に座り込んでしまいそうなシュウの体を支えながら彼の顔を覗き込むと、唇は青ざめ、もともと白い肌がいっそう白くなっているように見えた。アハトはシュウの体を支えたまま慌てて振り向き、螺鈿を呼ぶ。
「螺鈿! さっき話したシュウが逃げきってきた。様子がおかしい、診てやってくれ」
洞窟内で寝ていた囚人たちはすでに全員が目を覚まし、各々起き上がってアハトの様子を何事かと見ていた。呼ばれた螺鈿が急いでアハトの元までやってくる。
だが、シュウはアハトを振り向かせるように肩を掴み、首を振った。
「シュウはダイジョーブ。それより、はやく洞窟の奥に行った方がいいよ。外がどんどん寒くなってってる」
「寒い?」
シュウからもたらされた新たな情報に、アハトは眉を寄せる。昨日の昼間は急激な気温の上昇を味わったが、いままで夜間にそこまでの気温の低下は感じられなかった。
「シュウを頼む」
「わかった」
側にやってきた螺鈿にシュウを託し、アハトは様子を確かめるために、洞窟の外へと向かった。途端、一歩足を踏み出すごとに気温の低下を感じることになる。
洞窟を抜け、満天の星空の下に立つ頃には、体が震えはじめるほどの明確な気温の低下を実感した。高い空を見上げれば、吐き出す息が白く立ち上って消えていった。シュウの体が冷え切っていたわけを知る。
アハトはすぐさま踵を返すと、洞窟の中へと引き返す。今度は一歩進むごとに気温が戻っていくさまを体感すれば、いかに自分たちがこの洞窟に守られていたかを思い知った。
「外の気温は人体に危険な下がり方をしている。どうやらこの星は、一日ごとの気温差が激しいみたいだ。ただ、洞窟の中にいれば問題ないだろう。ここは暑さ寒さがかなり凌げるみたいだからな」
戻ってきたアハトはそう報告したが、シュウがまた首を振る。
「さっきから、寒くなってる一方だよ。そのうち、きっとここもスグ冷えてくる。もっと奥に行こう」
「昨日の昼間の気温上昇は、常識はずれのものだっただろう。だったら気温下降も同じように劇的なものになる可能性が高いんじゃないか」
続いて螺鈿が言い添える。
アハトは頷いた。
「わかった。全員で移動しよう。ただ、この洞窟の奥は、アンタたちもまだ行ってないんだよな?」
問いかけられ、螺鈿はばつが悪そうな表情を浮かべて頷く。
昨日の夜から今日の昼にかけて、アハトと堂島は食糧を取りに戻るため外に出ていた。洞窟の中を調べられたのは、この場に残っていた者たちだ。
「外からの光が届かない奥は暗いし、なにか危険な生き物がいたり、地形があったりしたらと思うと怖くて、調べられなかったんだ。すまない」
螺鈿はごく素直に謝った。アハトは軽く肩をすくめる。
「まあ、わざわざ危険を犯すこともないからな。暗くて視界が確保できないのは今も変わらないから、足元に注意していくぞ。シュウ、歩けるか」
「うん。急ごう」
アハトも手を貸そうとしたが、シュウはしっかり自分の足で立ち上がり、一人で歩きはじめた。
そんなシュウの姿に安堵の息を漏らし、アハトは食糧が入ったコンテナの元へと向かう。この水と食糧は、現時点で囚人たちの生命線である。移動するのならば、多少無理をしてでも持って行った方が良いということをアハトは学んだ。
「エイタ、吉野。聞いてたな? ひとまず奥に行くぞ」
「今度は寒さかよ、なんちゅう星だ。おい、誰か肩貸してくれ」
愚痴を漏らしながらのエイタの言葉に、螺鈿と吉野が彼の両側から体を支えて立ち上がらせた。エイタの体は一人で歩けるような状態ではない。
「行くぞ」
全員の様子を確認してから、アハトはコンテナを引きずりはじめる。
洞窟の奥がどうなっているのか、なにがあるのか。囚人たちがそれを知るには、危険を承知で実際に行ってみる他ないのだ。
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