第二章 囚人たち
一 乾き
息を吐き出し、アハトはゆっくりと目を開いた。痛みを覚えるほどに、ひどく喉が渇いている。
アハト自身には、自分がどれほどの間、気を失っていたのかはわからなかった。ただ、入ってきたときよりも横穴の中が暗くなっているように感じた。
目の前には、仰向けになって横になったまま動かないエイタの姿が見える。彼の胸はゆっくりと上下し息をしているので、死んでいないことはわかった。気を失う前に考えていたことを思い出して複雑な感情を覚えながら、周囲の様子を確かめるために視線を巡らす。
横になったまま最後に真上へ視線を向け、アハトは体を硬直させる。そこには、すぐそばに座り、冴え冴えとした琥珀色の瞳でこちらを見下ろしている堂島の姿があった。
「目が覚めたか」
低い声で話しかけられ、アハトはハッと我に返って体を起こす。
「あ……ああ。この横穴の中に入った途端、気を失っていたようだ。アンタはずっと起きていたのか」
「いや。私もいま目が覚めたところだ。全員が生死の境を彷徨ったようだな。酷い目にあった。まさか、星が昼を迎えただけであんな気温になるとはな」
堂島の言葉を聞きながら、アハトは近くで横になっている全員の安否を確かめる。アハトのすぐ横にいるエイタをはじめ、少し離れた位置には螺鈿と吉野の姿もあり、全員が息をしていることが確認できた。
話し声に気がついたのか、次に螺鈿がゆっくりと目を開く。
「ああ……僕たちは、生き延びたのか」
「そのようだ。エイタも、まだ気がついていないが息をしているし、全員、一応は生きている」
「よかった」
螺鈿は心底ホッとしたように息を漏らすと、軽く呻きながら起き上がった。そのまま手を喉元へとやり、軽く咳き込む。
「喉が渇いた」
「俺も同感だ。全員、持ってきた分の水は飲み干しただろ。脱水症状でどうにかなる前に、早いところ手を打とう」
アハトの言葉に、堂島が返事をする。
「ひとまずは、ポッドまで戻って物資を回収してくるしかないだろうな」
急上昇を続けた日差しと気温から避難することを最優先にしたため、ポッドに積まれていた物資は、ほとんどあの場に残したままにしてきてしまった。墜落地点に戻れば、一週間程度は食いつなげるだけの水と食料がある。
「また外に出るなんて、自殺行為じゃないかい? この洞窟は奥に続いているようだし、奥を調べたら、なにか見つからないかな」
「適当なことを言うな。この渇いている体の状態で、あるかどうかもわからんものを探しに行く余裕はない」
螺鈿が異議を唱えると、堂島は眉を寄せてさらに反論した。そんな二人の会話を聞きながら、アハトは自分たちが入ってきた洞窟の入り口へと近づき、外を様子を伺う。空はまだかろうじて明るいが、日は見えず、夕暮れ間際の雰囲気がしていた。気温はすっかり下がっている。
「夜が近いようだ。行くなら早いうちに出た方がいいだろうな」
「アハトも、物資を取りに戻った方がいいと言うのかい?」
螺鈿に問いかけられ、アハトは頷く。
「仮にこの奥に水場があったとしても、その水が人間の飲めるものである保証もないからな。確かめている余裕もない。今の俺たちの喉の渇きは深刻だ。一刻も早く飲み水を確保したい。ポッドからここまで歩いてくるのにかかった時間は、体感で二、三時間といったところだっただろう。行き帰りで、かかっても六時間。この星の夜と昼がどれくらいの時間で繰り返されているのかはわからないが、あの日差しと気温が無ければ、特に問題もなく夜の間に行って帰ってくることができるはずだ」
堂島が笑う息を漏らした。
「ほう? お前はなかなか冷静に状況判断ができるじゃないか」
「俺も、生き延びたいと思ってるから」
そう短く言葉を返すアハトの脳裏には、いまさっき夢で見たドライの顔が浮かんでいた。
墜落後、エイタは早々に探索刑に対しての絶望を口にしていたが、アハトはこの星での三年間の生存を諦める気はなかった。あれは、兄貴分であるドライからの命令なのだ。
横穴の入り口に立ったまま振り返り、改めて全員の様子を確認する。意識があるのはアハト、螺鈿、堂島の三人。吉野とエイタは生きてはいるものの、疲弊の色が濃く、気を失ったままだ。
ただ砂漠を行き来するだけとは言え、道中で未知の生物に襲われる可能性はある。また運ぶ必要のある物資の量も多いため、人手は欲しい。かといって、意識のない吉野とエイタを放り出しておくわけにもいかない。この洞窟とて、安全である保証はない。
「螺鈿はここに残って、吉野とエイタの様子を見ていてくれ。俺と堂島でポッドまで戻って、物資を取ってくる」
「僕はそれで良いが、君たちは、本当に大丈夫なのかい」
「まあ、適材適所を考えればそうなるだろうな。さっさと行くぞ」
螺鈿が意思を再確認するが、堂島は特に不満を持った様子もなく立ち上がると、出入り口で待つアハトの横をすり抜け歩いていく。
アハトは不安そうな眼差しを向けてくる螺鈿へしっかりと頷いて見せてから、堂島の後を追って外へ出た。
オーブンのようだった日光と熱がなくなると、砂漠はまったく別の姿を見せていた。大地を覆う砂より立ち上る熱気はあるが、歩き続けているといずれ感じなくなる。
うっすらと明るかった空も時間の経過と共に完全に暗くなり、昨夜と同じ、明るく美しい星空が広がる。徒歩で二時間ほどかけて移動してきたにもかかわらず、辺りは墜落した時に見ていた光景とほとんど変わらない。
気を失い、合わせて睡眠をとったことである程度の休息は取れたものの、それでも体にはどうにもし難い疲労を感じた。歩くことで呼吸は上がり、その呼吸を繰り返すことで、必然的によりいっそう喉の渇きを強く覚える。
アハトは歩き続けながら、つなぎのポケットに入れていた小さなレーションを引っ張り出す。ポッドからアハトがいくつか持ってきていた食料の一つだ。いっさいの空気や雑菌が入り込まないように、無機質なグレーのフィルムでピッチリと包装されている。
パウチについている切り口に力を込めて開封すると、出てきたのは長方形に固められた、原材料のよくわからない加工食品だ。実際、それは人間の食用にイザナミ内で培養された、プランクトンの塊である。
アハトは慣れた様子でそれをパウチから半分ほど取り出すと、パウチ部分を持ち手にして齧り始めた。外側は濡れて半分ほどまでは湿っているが、内側はボソボソとしており、元より乾いている口の中の水分を奪っていく。ほのかな塩味と甘味を感じるだけの、簡素なビスケットのようだ。その味に、アハトは内心で呟く。
——プレーンか。ハズレだな。
このレーションは、探索刑だから特別に支給された物というわけではなく、下層民にとっては馴染み深い日常的な食料だった。イザナミ内で食用に飼育されている肉、魚、野菜などの新鮮な食材は、下層民にとってはあまりにも遠い存在なのだ。
「こんなところで、うちの商品を目にすることになるとはな。なんとも皮肉な話だ」
アハトが黙々とレーションを食べ進めていると、一歩ほど斜め前を歩く堂島が唐突に話し始めた。
「うちの商品?」
「パウチの表面を見てみろ。堂島の名が入っているだろう」
アハトは言われるままに、持ち手にしていたパウチの表面を確認する。よく見ると、グレーのフィルムの表面にエンボス加工で『DOJIMA』の刻印がある。
「あ。エイタが言ってた堂島グループってどっかで聞いたことがあるような気がしてたが、これで見てたのか」
馴染んでいたものとの繋がりを知ってアハトが素直に驚くと、堂島はまた小馬鹿にするように笑った。
「下層で流通するレーションの八十パーセントのシェアがあるからな。それだけ日常的に口にしているものを作っている会社の名も知らんというのは、下層民という生き物は、本当になにも考えずに生きているのだな」
「作ってるやつのことなんてどうでもいい。どうしたら食いもんにありつけるかを考えることだけで手いっぱいだ」
特に言い返す意図もなく、アハトはただ淡々と事実を述べる。
「つまり私は正しかったというわけだ」
「意味がわからん」
会話として繋がらない堂島の言葉にアハトが短く返事をすると、堂島は一度軽く肩をすくめて見せてから、彼の抱えていた事情について、独白のように語り出す。
「先ほどあの無能が言っていたことを覚えているか。私があいつの知人だった『ジャーナリスト』を殺したとか」
ジャーナリストと口にするとき、堂島は軽く嘲笑を含ませていた。彼が指す無能というのは、エイタのことだ。
「そのジャーナリストというやつは、我が社がレーションを製造する際に、食品への使用が認可されていない細胞増殖剤を使用しているのではないかと疑っていた。まあ、実際に使っていたさ。ただ、それが何だと言うんだ? その細胞増殖剤は、私がグループを継いだ翌年からすでに使いはじめていた。六年間そのレーションを日常的に食い続けて、お前は体になにか異常を感じたか? 味に問題があったか? レーションなど、ほとんど下層民しか食わない。そしてその下層民は、自分が食べている物が、どこから来てどのように作られている物であるかすら考えないと言う。ならば、その食品の製造効率を重視し、安く量産することのなにが悪い。むしろ良いことだろう。私は正しかった、と言っているんだ」
堂島の言葉に、アハトは一瞬だけレーションを咀嚼する顎の動きを止めた。だがすぐに気を取り直して、新たにもう一口齧る。
「アンタは、自分が作ってた物を食えるのか」
素朴な疑問として問いかけると、堂島はアハトに向けて無言で手を突き出してきた。その意図を理解して、アハトはポケットからもう一つレーションを取り出すと、堂島の手の上に乗せる。
堂島はパウチを開いて中身を取り出すと、躊躇することなく大口で齧った。咀嚼している堂島の眉はぎゅっと強く寄せられているが、その渋い表情は口にしている食品の安全性に疑問を抱いているわけではなく、食べ慣れないレーションの味に対する不快感からきているものだ。
「ひどい味だ。人間の食い物ではないな」
「アンタが作ったんだろう」
堂島は鼻で笑うと話を続ける。
「細胞増殖剤を使って製造されたレーションを食べて人体が受ける影響など、たかが知れている。長期的に高濃度で摂取しつづけた場合でも、出産時に双子や三つ子が増えたり、その子供が奇形になる確率がほんの僅かに増える程度のものだ。それで食品の製造量が常時三倍になるなら安いものだろう」
「製造方針にそれだけ確たる持論があったのなら、なぜその事実を知ろうとしたジャーナリストを殺す必要があったんだ」
自信満々の堂島に対して批判をするわけでもなく、アハトは純粋な疑問を投げかける。
「あの男が、非正規な手段を使って自分から私の元へと押しかけてきたのだよ。しかし私は、そんな礼儀知らずな下層民も丁重にもてなしてやった。その上、あの男が所属していた『アンダータイムズ』とかいう下層の新聞社で暴露記事を書きたいのなら、いくらでも好きにしていいと許可までしてやったんだ」
アハトは特に相槌を打たなかったが、堂島は話し続ける。
「しかしあいつの要求は、堂島のレーション製造において細胞増殖剤の使用を即刻やめることだった。記事を書くのではなく、自分の思うように他人を操作しようと実力行使をしようとする人間は、本当にジャーナリストと呼べるのかね? テロリストとなにが違う」
「実力行使って、そのジャーナリストはアンタに何をしたんだ」
「細胞増殖剤の使用をやめなければ、私の秘密を警察に通報すると脅してきた」
「使っちゃいけない薬品を使っていた以上に、警察にバレたら困る後ろ暗い秘密がアンタにはあるってことか」
アハトのした質問は至極当然なものだが、堂島は会話の内容には不釣り合いなほどに軽く笑った。
「そんなもの、ありはしないさ。あの男がなにを知った気になっていたのかは知らん。そこまで話を聞いて面倒になって、首を締めて殺した。下層の人間が一人くらい死んだところで、どうってこともないからな」
人間の命をなんとも思っていないことがありありと伝わってくる言い草だが、実際、下層民を一人殺したところで、高い地位にいた堂島へ探索刑が下されることはないはずだ。
「アンタが殺したのは、そのジャーナリストだけじゃないんだろ」
アハトが確信を持って尋ねると、堂島は話し続けた高揚のまま口を滑らせる。
「男の死体を片付けるために秘書を呼んだら、あろうことか私のことを通報しようとしたんだ。当然止めたさ。運が悪いことに、続けて父が騒ぎを聞きつけてやってきたんだが、口汚く罵られたので、うっかり全員殺してしまった。どうやら私も興奮していたらしい」
つまり、下層民一名、上層市民二名、計三人の殺人だ。中でも、堂島グループ会長である父親殺害の罪が重かった。
そこまで話を聞き、アハトはため息という訳でもなく、浅く息を吐き出した。
——正直、コイツが一番怪しいと思ってたが。いまの話によると、堂島は、ドライさんが言っていた殺人鬼ではないのか。
そう、心の中で呟きを漏らす。実際のところ、堂島が語った内容が真実かどうかはわからない。もしかすると、殺されたジャーナリストが握っていた堂島の秘密の内容が、彼の猟奇的な殺人癖だった可能性もある。しかし、アハトは堂島の語り口調から、彼が嘘を言っているようには感じられなかった。
アハトは、自衛のために堂島へと漲らせていた緊張を僅かに解く。堂島が話したことがすべて真実だとしても、堂島が三人の命を軽々しく奪った冷徹な殺人犯だということには変わりない。しかし、無差別に殺しを楽しむ性分ではないというだけで、危険性は下がる。
「全部あいつらが悪い。正義の味方ぶっただけの邪魔な無能がしゃしゃり出てきたせいだ。
堂島の言葉はぶつぶつと続けられ、いつの間にか、やたらと大きな独り言になっていた。
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