四 仲間

 陰に足を踏み入れてすぐ、圧倒的な涼しさを感じた。空からの強烈な光が遮られると、体にかかる負担は一気に軽くなる。

 洞窟は想像以上に奥へと続いており、斜め下へ向かってなだらかな地形が続く。地面を含めた周囲のすべてが、黒曜石のような黒々として滑らかな岩であった。

 ゆっくりと奥へ歩みを進めるたびに気温はどんどんと下がっていき、ひんやりとした空気が体を包み、冷やす。ようやく喉を焼かれずにまともに呼吸ができる感覚があり、アハトは深く息を吐き出した。

 入り口からの光がまだ届くあたりで足を止めると、アハトはそのまま崩れ落ちるように膝をついた。外の砂地とは違い、ここの地面はひどく硬い岩場である。膝にそれなりの痛みを感じたが、もはやその程度のことに構っている余裕はなかった。背中からずり落とすようにエイタの体を横に下ろすと、重力に引かれるままにうつ伏せで地面へ倒れ込む。

 そのほかの囚人たちも、全員が似たり寄ったりな行動を取っていた。誰一人として言葉を発することもなく、ただただ消耗しきった体を休める。

 冷たい地面に倒れ込んだまま顔だけを横に向けたアハトは、ぼんやりと霞む視界に、自分がずっと背負ってきたエイタの姿を捉える。エイタもまた、下ろされた場所に横になったまま目を閉じて、ピクリとも動かない。しかし、その唇から微かに呼吸をしていることは見て取れた。

 ——良かった、生きてる。

 アハトがそう心の中で呟いた瞬間。

 ——こいつを助けて良かったのか?

 と、相反する感情が湧き上がる。

 ——だって、エイタは良いヤツそうだったから。

 ——本当に?

 朦朧とする意識の中で、心の中で会話のよな自問自答が続く。

 ——わからない。

 アハトは弱々しい息を吐き出すと、ついに意識を手放した。


 アハトは夢を見る。

 夢の内容は、突拍子もない空想に満ちたものではなく、三日前に実際にあったできごとだ。

 アハトが逮捕されたのは、星に飛ばされる八十五日前。五十四日前には裁判所で探索刑の判決が下されたが、刑が決まってからも引き続き裁判所内にある拘置所で拘束されていた。同じく探索刑に処される囚人が六人集まるのを待つ必要があるからだが、アハトが八十五日間を過ごした独房はとにかく狭かった。

 可能な限り使用スペースを削減するため、独房はカプセルホテルの個室のように縦にも積み上げられており、縦百センチ、幅百センチ、奥行き三百センチという狭小スペースに寝床と便器が共存している。

 高さが足りないため立ち上がることもできず、横になるか座っているかという虚無の中で、ただひたすら刑の執行を待つしかない。

 三日前のその日。強化ポリカーボネートでできている独房のドアの前に立ち止まる看守の姿を見て、アハトはついに刑の執行がされるのだろうと安堵した。

「アハト、外へ出ろ」

 ドアが開かれ、看守が厳しい声音で命じる。アハトは言われるままに独房から這い出て、脇にある梯子を使って通路に降りると、看守の横に立った。看守は強張った表情で、すぐにアハトの両手首に手錠をかける。

 アハトはてっきり、このままブリンクを埋め込むため処置室に連れて行かれるのだろうと思い込んでいた。しかしその予想に反し、看守が抑えた声で囁く。

「私が貴様を連れ出したことは、誰にも口外せぬように。まあ、話す相手などいないだろうが」

「は? どういう意味だ?」

 問いかけに返事はない。ただ看守に腕を引かれるまま、拘置所の狭くて暗い通路を歩く。

 連れて行かれたのは、拘置所内にある面会室だった。白々とした光に包まれた部屋の中央には、天井から床まで空間を完全に二分する透明な壁がある。その仕切りの向こうに、アハトには見覚えのある男が立っていた。

「ドライさん?」

 呼びかけると前髪をオールバックにしている男が振り返り、アハトを見て口角を上げて笑う。笑顔を浮かべても凄みを感じさせる程の強面の男の年齢は三十八。ドライはアハトの兄貴分だった。

「よう、アハト。久しぶりだな。思ったより元気そうじゃねぇか」

 いつものドライとなに一つ変わらない、軽い調子でかけられる言葉に、アハトも自然と表情が緩む。

 ドアの音がして背後を確認すると、アハトをここまで連れてきた看守はいなくなっていた。ドアの一部が磨りガラスになっているのだが、そこからドアの向こう側に立っている看守の人影が見える。部屋の中にいるのはアハトとドライの二人だけになった。

「そうでもないですよ。独房が狭くて、毎日たまったもんじゃないですね。早いところ宇宙に放り出してもらいたいものです」

 改めてドライへと視線を戻し、アハトもまた軽い調子で言葉を返す。と、ドライはそこから一気に表情を強張らせ、声を低めた。

「刑の執行は、お前の望みどおり、あと二、三日のうちにされるだろうな」

「執行日が決まったんですか?」

 アハトは目を見開き問いかける。言外には、どうしてそのようなことをドライが知っているのかという疑問が混じる。

 探索刑の執行日は極秘事項だ。いつ刑が執行されるのかと、囚人に怯える日々を送らせることも刑罰に含まれているからである。そもそも本来であれば、探索刑が確定した囚人に面会の許可など降りるはずがない。先ほどの看守の様子からしても、ドライがなんらかの裏の手を使ったのだろうということは察することができた。

「いや、執行日が正確にいつになるのかはわからん。ただ、二日前にとんでもねぇ奴が捕まったんだよ」

「とんでもねぇ奴?」

 アハトが復唱すると、ドライは神妙な表情を浮かべたまま言葉を続ける。

「わかってるだけでも、上層の市民五人を連続して拷問の末に殺し、食っちまった猟奇的殺人鬼だ。巷じゃイザナミ史上最悪の殺人鬼だって言われてる」

「五人も殺したんですか?」

 拷問に加え、食人となるとかなりの異常さだが、徹底管理がされているイザナミの上層においてはその殺人数自体も多い。だが驚くアハトに、ドライは首を振ってみせた。

「わかってるだけでも、な。下層民は何人殺したかわからねぇんだとよ」

「そんな話、俺は聞いたことがありませんでしたが」

「騒がれはじめたのは、お前が捕まってからだ。それまでの被害者はずっと下層民で、最近上層の奴に手を出しはじめたんだと。人を痛めつけて殺して食うことに快感を覚える奴で、殺人の動機として、上層市民の味も知りたくなったと証言したらしいぜ」

 それでは自分が知る術はないだろうと納得し、アハトは頷いた。だが、疑問は残る。

「その史上最悪の殺人鬼と、俺になんの関係があるんですか? まさか、一大ニュースだからって理由で教えに来てくださったわけではないですよね?」

「馬鹿野郎。お前はこれから探索刑を受けるんだろうが。そいつが探索刑になることは決まりきってる。今裁判やってるらしいが、管理部はこの犯罪者のことを公にしたくないらしい。きっと最速で判決が出るさ。そうなったら、お前と同じ発射型輸送ポッドに乗せられることになる」

 ドライの言葉に、アハトはようやく彼が言わんとしていることを理解した。

「つまり、いま探索刑の執行を待っているのは、俺を含めて五人なんですね?」

 確認のために問いかけると、ドライは渋い表情で頷く。本来はそのような情報も非公開であるが、ドライが把握しようと思えば知り得るものだった。

 ドライは、下層の半分ほどを取り仕切っている反社会的組織『プレイグ』の幹部だった。そして、そんなドライを兄貴分として慕っているアハトもまたプレイグの一員だ。

 反社会的と言っても、プレイグはただただ暴力や犯罪行為をするだけの、無法者の集まりではない。金貸しや賭博、風俗店を経営しながら、影響力を及ぼす範囲に力による恐怖でもってある種の秩序を与えている。

 下層は貧しいが、プレイグの幹部ともなれば、ある程度の財力を持っている。そしてその財力があれば、裁判所のある上層においても一定の力を行使することが可能だ。

「なるほど。その殺人鬼が探索刑になれば定員の六人になるから、数日中に刑が執行されるだろうって話ですか」

 アハトにもようやく、刑の執行日は近いだろうとドライが言った理由がわかった。アハトは一度深く息を吸ってから、短く吐き出す。

「さっきも言いましたが、いよいよ独房の狭さに参ってきてたんで、執行日が近いことがわかったのは助かりました。ありがとうございます」

 どこか穏やかな表情を浮かべているアハトと対照的に、ドライの表情は硬いままだ。

「俺がお前に伝えたかったのは、刑の執行日が近いってことじゃねぇ。お前はとんでもない奴と一緒に、星の探索に送り込まれるんだぞってことだ。残念ながら、その殺人鬼の身元に関わる詳細な情報は得ることができなかった。事件の大まかな内容や逮捕後の証言なんかは出てくるのに、名前や年齢は完璧に隠されている。おそらく上層の市民なんだろう。そもそも、下層でそれだけの殺人を繰り返していながら俺たちが気づくことすらできていなかったって時点で、相当狡猾な野郎だ。頭がキレる」

「一度ポッドに乗せられて宇宙に放り出されたら、もうその瞬間に死んだも同然でしょう。死への同行者が史上最悪の殺人鬼だろうが神のような聖人だろうが、俺は気にしませんよ」

 アハトの淡々とした口調は変わらない。彼は自分が探索刑にかけられて死ぬことを、すでに真正面から受け止めていた。

 ドライはきつく眉を寄せて首を振って近づいてくると、二人の間を仕切る透明な壁にドンと音を立てて拳を当てた。

「諦めんじゃねぇアハト。送り込まれた星で三年間生き延びたら、無罪放免で帰ってこられるんだろうが」

「探索刑になって、生きて帰ってきた人間なんていません」

「お前がその最初の一人になるんだよ!」

 ドライは声を荒げ、再度壁を叩いた。握った拳に強い力がこもっていることは、拳に浮き出た血管の様子から一目瞭然だ。兄貴分から向けられる熱のこもった眼差しに、ようやくアハトの表情が揺らぐ。

「そんな無茶な」

「なにが無茶だ。ひょろっちいガキの頃から、ずっとお前の面倒を見てきたんだ。俺は、お前のことをよく知ってる。腕っぷしが強いのは当然のこととして、普段表には出さないが頭も良くて、とにかく度胸がある。お前は、他の奴とは違うんだ。お前は、こんなところで死んでいい男じゃねぇ。あんな、くだらん奴の身代わりで……っ」

「ドライさん、それは言わないでください」

 ドライの言葉を遮り、漏れ出た単語を覆い隠すように、アハトは大きい声を出した。

 いま部屋に二人だけしかいないとはいえ、場所と部屋の機能的に、隠しカメラなどがあってもおかしくはない。アハトが被った殺人の罪が、実はプレイグのボスのものであるということも、幹部であるドライがボスに不満を持っているということも、他人に知られるわけにはいかないことだ。

 ドライは硬質な音が聞こえてきそうな程に奥歯を強く噛み締め、荒ぶった衝動を抑えると、改めてアハトを見た。

「探索刑からの生還第一号だろうがなんだろうが、お前ならやれる。お前が三年後に戻ってくるって、信じて待ってるからな。プレイグにとびきりのポストを用意してやるさ。なにをしてでも、絶対に生き伸びろ」

 返事をすることができず、アハトは立ち尽くしたまま視線を落とす。しかしドライは気にせず、言い含めるように言葉を続ける。

「いいか、アハト。仲間に注意しろ。楽しみのために人間を拷問して、あまつさえその肉を食ってきたような殺人鬼の衝動が、イザナミを離れたからって治るとは思えない。誰も信じるな。仲間の中に、人間じゃねぇ魔物が一人紛れ込んでいると思え」

 ドライはそこまでを一息で告げてから、

「アハト」

 と改めてもう一度名前を呼んだ。いつもと変わらぬ声音での兄貴分からの呼びかけに、アハトは顔をあげる。ドライの熱のこもった瞳は、僅かに潤んでいた。真っ直ぐに視線が交わされる。

「必ず、生きて帰ってこい」

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