メロン

増田朋美

メロン

その日も暑い日で、また今年も、酷暑と言われる夏がやってくるんだななんて、杉ちゃんたちは、口ぐちに言いふらしていた。その日も、日本の夏は、本当にベタッとした蒸し暑い日だねえなんて、言っていたところ。

「あの、杉ちゃんいますか?ちょっと相談に乗ってもらいたいんですが。本当に大したことのない相談事ですけれども、お願いできないかしら?」

玄関先から女性の声がした。

「はい。こんな暑い日に誰だよ?」

杉ちゃんがいうと、水穂さんもお客さんが来たと言って、布団の上におきた。その時に二三度咳をしたので、そばにいた由紀子が、水穂さん疲れるようなら、横になって休みましょうと声をかけた。

「上がってもよろしいですか?ちょっとお願いしたいんです。」

と言って、女性は、製鉄所にある部屋に上がり込んでしまった。よろしくお願いしますと言って、杉ちゃんたちの前に座った。ちゃんとビジネススーツを身に着けているから、一応正装をしようとは思ってくれているようだけど、なかにきているブラウスは、なんだかシワだらけでヨレヨレで、いかにも古着屋で買ったということがよくわかってしまう感じの服装であった。髪型もきちんとしておらず、ただ、とかしただけで縛ってもいなかった。そういうわけで、いわゆるちゃんと働いてちゃんと稼いでいるという人間ではなさそうな女性だった。でも、どこかこの女性が誰なのか、わかる顔をしている。

「お前さんは、もしかして、」

と、杉ちゃんが言った。

「ふ、藤井さん?藤井小夜子さん?」

水穂さんも言った。小夜子さんは申し訳無さそうに、頭を下げる。

「そうその小夜子です。藤井小夜子。よく覚えてくださいましたね。確か、私がこの製鉄所を利用していたのは、」

藤井さんは申し訳無さそうに言った。

「ええ確か、7,8年くらい前でしたね。」

水穂さんがそう彼女の話を続けた。

「そうなんですか。もうそんな経つんだ。何か、いろんなことが起こりすぎて、もうここを利用していたのが、8年以上前の様に見えますね。水穂さんが、あんまり変わっていなかったから、すぐわかりました。水穂さんって、思ったより美しい方なんですね。」

そういう彼女は、水穂さんに言うのであるが、

「僕をおだててもしょうがないです。」

と水穂さんに言われてしまった。

「それでは、相談の内容と言うものはどういうもの何でしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「ええ、お話というのは、実は、こういうことなんです。あの後、つまり製鉄所を結婚することになって退所したのですが、」

と、彼女は話し始めた。

「ああ、そういえばそうでしたね。確か、藤井から根岸に変わったのでしたよね。それで、自立して家を立てることができたということですごく喜んでおられましたね。」

水穂さんがそういった。

「確か、そうだったな。僕もよく覚えてる。家のこと、お母さんのことで、すごい揉めてて、お前さん早く家を出たいって騒いでたよな。ご家族が、とてもうるさい人で、成績が悪くて自殺に追い込まれたとか、お前さんよく口走ってたよな。」

と、杉ちゃんがいうと、

「でも、結婚をして、もうそういうことから解放されたのではなかったんですか?」

水穂さんも聞いた。

「そうなんですが、それは長くは続きませんでした。きっと身分が違いすぎて、神様が結婚を取り消すためにそうしたんだって、家族から嫌味を言われました。だから、あたしたちはやっぱり、いけないことだったんですね。成績が悪い人間は、結婚なんかしちゃいけないんですよ。」

そう、藤井小夜子さんは言った。彼女が主張することの真偽は不明だが、それでも彼女がそういうことは、しっかり受け止めなければならないと杉ちゃんも水穂さんも知っている。由紀子は、なんだかそれを受け入れることはできなかった。もちろん、ここにいる女性、つまり藤井小夜子さんは、重い精神疾患を患っていて、大変なことは知っている。だけど、それだけでは、由紀子は、納得することができなかった。

「つまり、誰かから邪魔が入って、別れさせられちゃったとか?」

と、杉ちゃんが言った。

「いえ、それではありません。永久に帰ってこれなくなってしまったんです。彼と幸せな生活をしていたのは、新婚3ヶ月のときだけで。」

と、小夜子さんは言った。

「三ヶ月って何で?交通事故かなんか?」

杉ちゃんはすぐ口を挟む。

「いえ、そういうことではありません。私と、結婚してすぐに、胃がんで。もう、病院に行ったときは手遅れでした。だから、結婚して一年とちょっっと程度で、亡くなってしまいました。」

と、小夜子さんは言った。

「そうなんだねえ。でも気にすることはないよ。きっと新しい男性を見つけてだな。それで幸せになれるように、生活すればいいんだ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそういった。杉ちゃんと言う人は、何でもすぐに聞いてしまったり発言をしてしまう癖がある。それが、いいこともあれば悪いこともある。今回は、後者の方であった。

「そういうわけにはいかなかったんです。二人だけなら、そのまま別れればよかったんですけど、そういうわけにはいかなかったんです。だって、その時私、」

と、涙を出してなく小夜子さんに、

「はあ、わかった。つまり子供さんがいたというわけね。それでお前さんはシングルママで育てていたのかい?ちょっと無理があるんだじゃないかと思うけど?」

と杉ちゃんは、でかい声で言ってしまった。

「ハイ。確かに無理があるからって、息子は、妹夫婦のところに今いるんです。名前は藤井玲。もうすぐ6歳になります。玲という名前は、妹夫婦がつけました。」

と、小夜子さんは答えた。

「妹、ああ、よく口にしてたねえ。なんでもできて、成績も良くて、絵が上手で、私よりは、ずっと幸せな人生を送っているんだって、よく泣いてたじゃないか。それでも、彼と結婚して、妹さんと決別できるって、喜んでいたこともあったよねえ。僕ちゃんと覚えてるぜ。お前さんそれくらい、泣いていることの多かったから。」

杉ちゃんがいうと、

「そうかも知れませんね、でも今は、きっと妹さんに対する考えとかもまた違っているのではないですか?」

水穂さんが静かに言った。

「ええ。妹が、玲を自分の子供として育てて、一生懸命育ててくれてるんですけど、やはり、子供は自分の親といたほうがいいのではないかと、私は、思っているんです。だって私が産んだ子ですから。それは、私のそばにいさせたいと思うんです。確かに、主人が亡くなった後、私は、葬儀の手続きもできなかったし、子どものことは全部、妹に任せっきりにしちゃいましたけど、やはり責任を取って、玲を私のところにおいておきたいんです。」

と、小夜子さんは言った。水穂さんも杉ちゃんもはあという呆れた顔をして、

「はあ、そうですか。なんて身勝手な人なの。それは、もう理由がわかってるじゃないですか。子供が、幸せになれるかを考えないでどうするんです。それでは、子供さんを、幸せにすることは、大人の義務というか、しなければならないことです。きっと玲くんは、妹さんのところで、幸せに暮らしていますよ。だから、それを大人が取ってしまってどうするんですか。きっと、彰子さんといっしょに幸せに暮らしているんだって、我慢しなくちゃ。」

水穂さんが、ちょっときつい感じでそう言うと、

「でも私は、あの子を産んだ人間でもあるわけですから、私が、会ってもいいのではありませんか。妹に、全部幸せになることは盗られて、それに愛する子供まで盗られるのですか?そんなことも、できないんなんて!私は、人並みに幸せになれないんですか!」

と、小夜子さんはつらそうに言った。

「そうですか。でも、人並みに幸せになれないと言われましたが、僕も、そういうところがあります。例えば僕もずっと、布団に寝たままで申し訳ないですし。だから、ご覧の通りの有り様です。畳も何回も張替えを強いられていますし、それで叱られることもあります。」

水穂さんがそう言うと、

「でも、水穂さんは、女性がちゃんといるんじゃないですか。そこにいる、制帽をかぶった方が、世話をしてくださるんでしょう。だから、幸せなんですよ。あたしは、精神疾患というだけで、こうして、主人もなくしました。だけど、私の遺伝子は、ちゃんと残っているんだってもう立証されているんですから、それは私の手元においておきたいと思うのは、おかしなことでしょうか?」

と、小夜子さんは言った。

「うーんそういうことなら、僕じゃなくて、弁護士の小久保さんに、相談したらどうだろう?」

と、杉ちゃんがいうと、

「まあ、弁護士さんに聞けばそれなりになんとかなると思うけど、でも、玲くんの幸せを考えると、取り戻しても、それは得られないと思うんですよね。だって、少なくとも彰子さんのもとで、玲くんは幸せに暮らしているんでしょう?確か、彰子さんのご主人、蠟燭を作ってらっしゃる職人さんだと、あなた何度も言ってましたね。それは、よく話していましたので、覚えています。それのお陰で、私は妹よりも、優れている人と結婚したと、お話されていましたね。」

水穂さんが、急いでそういうことを言った。

「それが、唯一の救いだったんでしょう?あなたのご主人は会社員で、妹の彰子さんが、和蝋燭を作っている職人さんと結婚したことを、自分のほうが、優れている人と結婚したんだって、よく言っていたので、覚えています。だから、きっとあなたが病気になった原因は、妹の彰子さんといっしょにいることで、そして、妹さんとあなたを切り離す必要があるんだと、お医者さんが話しておられました。それでも、あなたは、病気の症状が出ても、妹さんを切り離すことができなかったんですね。心の病気というのは、不思議なものですよ。車椅子に乗っているのとおんなじようなものが、そういう症状なんでしょうけど。僕は、病原菌を薬で叩けばいいのかもしれません。ですが、あなたは、あなたのご家族が、生きている人間であるということで、余計に苦しいんだと思います。」

水穂さんがそう優しく言ってくれたおかげで、彼女、藤井小夜子さんは、小さくなった。

「まあ、そういうことだな。死んで解決するってことも、ないわけじゃないからね。でも、玲くんは、お前さんの手元に置くよりも、お前さんのこと知らないで、彰子さんのところにおいてあげようと言う気持ちにならないとね。それは、ちゃんと、割り切って考えるようにならないとさ。それは、ちゃんと、切り離して考えよう。きっと、蠟燭づくりと、楽しく暮らしてるよ。それでいいんだって思わないとね。」

「そうですね杉ちゃん。でも、あたしも、その気持はわからないわけではないけどね。あたしは、その大事な人を、幸せを考えてさようならしようなんてどうしてもできないのよ。それよりも、ちょっとの時間だけでもいいから、そばにいたいって思ってしまうんです。」

不意に由紀子がそういうことを言った。

「そうかも知れないけど、しっかりこういうことだって、切り離して考えることは大事なんじゃないのかな、、、。」

と杉ちゃんが腕組みをして考える。

「そうですね。なかなか、由紀子さんの言う通りに鳴ってしまうことも確かですよね。それは、煩悩といえばいいのかな。切り離すと言っても、できないですよね。だけど、玲くんは、小夜子さんの持ち物ではありません。これからを切り開いていかなくてはならない、一人の人間なんです。それを、あなたがそばに置いておきたいという思いだけで動かしてしまうのは、まずいと思います。」

水穂さんも、そういうのであるが、小夜子さんは

「そうですね、、、。」

と小さな声で言った。

「まあ、今日すぐに結論出さなくていいから、いずれにしても今なら玲くんを取り戻せるとか、そういうことは考えないほうがいい。それは、玲くんのためにもならないし、お前さんのためにもならないぜ。それは、しっかり考えておけ。いいね。」

杉ちゃんに言われて、小夜子さんはわかりましたと小さい声で言った。

「それより小夜子さん、お仕事は?」

不意に杉ちゃんは、変なことを聞く。

「はい。今は障害年金と、わずかばかりですが、布で花を作ってフリマサイトとかで販売して生活しています。」

小夜子さんが答えると、

「ほんならなおさらだ。早く玲くんのことは切り離して、花づくりに励めよ。」

と、杉ちゃんは言った。由紀子は、その言葉の意味がよくわからなかったが、いずれにしても、小夜子さんが可哀想すぎるような気がした。思わず玄関先まで送りますと言って、玄関先に、小夜子さんと一緒に行ってしまった。

「お辛いでしょうね。」

由紀子は思わず小夜子さんに、言ってみる。

「あたしはまだ出産経験とかはないですけど、きっとすごい辛いというか、苦しい思いをして玲くんを産んだんでしょうし、それをしたのだから、なかなか諦めきれないのも理解できます。」

と由紀子は言ってしまった。

「ねえ由紀子さん。」

不意に、小夜子さんが言った。

「あたしはどうしても玲に会いたいの。あなた、手伝ってくださらないかしら?特に報酬が発生するわけでもないけど、でも、ちょっと手伝ってくださらない?せめて、玲がどこに住んでいるかくらいは、調べていただけないかしら?」

「ええ、わかりました。確か、杉ちゃんの話では、蠟燭を作っている職人さんだったと言ってましたね。そういうことなら、もしかしたらすぐに出てくるかもしれません。」

由紀子は、小夜子さんの話に答えてしまった。小夜子さんは、本当にありがとうと言って、製鉄所を出ていった。由紀子はすぐにタブレットを取り出して、蠟燭を作っている藤井と言う家を調べてしまう。最近は本当に調べやすくなったものだ。スマートフォンであれば、すぐに航空写真も入手できる。そんな便利な世の中なので、すぐに分かってしまった。それによると、富士市内の天間と言うところに住んでいるようで、今の日本ではめったに見られないやり方で蠟燭を作っているところが高く評価されていて、表彰までされているような立派な家だった。そんな家に、玲くんを入れても良いものかどうか、由紀子は迷った。仮にその家で生活していると言っても、養子という形であるわけだし、それで本当にシアワセなのだろうか。由紀子は考えてしまうのであった。そのうち、水穂さんがまた咳き込み始めたので、由紀子は急いで部屋に戻らなければならなかった。

それから数日後のことであった。由紀子は、藤井小夜子さんにラインで呼び出され、富士駅へ向かった。なんだろうと思ったら、小夜子さんは、由紀子が調べてくれた結果をもとに玲くんに会いに行くという。その顔はもう我慢できないと言う顔で、由紀子はそれを止めることがどうしてもできなかった。

二人は、由紀子が調べてくれた、その蠟燭の工房に行った。確かに、そのあたりではちょっと有名な人物のようで、どこに住んでいるかを、近所の人たちはすぐ教えてくれた。その家は大した豪邸でもなく、ごく普通の一軒家と言う感じの家であったが、家の外から見える部屋が工房になっており、そこに一人の男性と、一人の女性が、なにか作業をしているのが見える。では玲くんはどこに?と思ったら、工房の中で、一人で絵を描いて遊んでいた。でも、その顔は寂しそうな顔ではなく、きちんとされているんだなということがわかる顔つきでもあった。やがて、工房に設置されている鳩時計が三時を打った。それと同時に、女性が立ち上がり、優しい声で玲くんに、

「おやつを作るから食べにいらっしゃい。」

と、行っているのが聞こえてきた。そして青い声で、

「今日のおやつ何?」

と言っているのも聞こえてくる。それに応答する声は、メロンであると答えていた。それを聞いた小夜子さんが、

「メロンなんて、、、。」

と、言っているのを由紀子は聞いてしまった。つまりそんなものは、うちでは絶対買えないということだ。メロンというものは昔から知られている高級食材でもある。

「そうなのね。」

由紀子はそう言って、小夜子さんにもう帰りましょうと言った。小夜子さんは玲くんの写真をとりたいと言ったが、由紀子はそれはさせなかった。そんな事したら不法侵入でも疑われてしまうからだ。とりあえず、小夜子さんの体を無理やり動かして、自分の車に乗せた。小夜子さんは、涙をこぼして泣いたが由紀子は彼女と同じような気持ちにはなれなかった。

「これから私はどうしたらいいの、、、。」

なんだか有名な映画にあるようなセリフを、小夜子さんは言っている。由紀子はその答えを知っているが、それを言うのは、ちょっとこの場面には合わないのではないかと思ってやめておいた。そのかわりに、

「忘れていくことよ。」

と、小夜子さんに言うしかなかった。

「由紀子さん。どうすればそれができるの?」

小夜子さんはそう言っている。

「どうすればできるのよ!そんな無責任な事言わないでよ!」

小夜子さんは由紀子に詰め寄った。思わず車のクラクションが鳴ってしまいそうであったが、由紀子はそれをうまくすり抜けて、

「忘れるしかないのよ。」

と、だけしか言うことができなかった。

「そんな無責任な!あなたまで私にひどいことを言うのね。」

小夜子さんはそう言うが、

「いいえ、そうするしかないのよ。人はどこかで、事実に対して決着をつけなければならないときもある。諦めなければ行けないこともある。だから、忘れるしかないのよ。それしかないのよ。」

由紀子はそれしか言えなかった。

「仮に、それができたらどうなるの。なにか利益でもあるの?」

小夜子さんがまたそう聞いてきたので、由紀子はちょっと答えに迷ったが、彼女の疑念を解くためには、それをしなければならないなと思ったので、こう答えたのであった。それが小夜子さんに届くかわからないけど、でも、これだけは事実として確かなのだ。それを彼女に伝えたかった。

「いいえ、忘れていくことは、シアワセなのよ。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メロン 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る