第12話 黄泉比良坂

 年の瀬の署内は見た事がないほど立て込んでいた。家の複雑な事情を担当者と話し込む女性。どこかで何かがあって電話対応している声。交通課に出入りする人々など。その慌ただしさがとても嫌な感じの焦燥感を煽った。あなたは何も悪いことをしてないし、ここに来ても迷惑をかけるので帰ろうと言った。話しは自分が聞くからと言った。息子の右腕を抱えて歩き、車に乗せたが自信と覚悟に欠けていた。息子を救えるかどうか。息子の闇は深い。黄泉比良坂に行って死人を連れ帰るようなものだ。中途半端な心積りでは自分が死人になりかねない。それだけの体力と精神力が必要だった。

 数ヶ月前の晩秋、繁茂した雑草は市の環境課が恒例の除草を下請け業者に依頼し、綺麗に切り揃えていた。その残った茂みに数匹の子猫がいつも何故か待っていた。土手の上のカーブした道の弓なりの部分に決まって彼らはいた。特に黒いその子は拾ってくれと言わんばかりに道の中央に出てくるので、車のハンドルをやや右に切らなくてはいけなかった。茂みの反対側は民家であり、そこの住民が屋外で餌やりをして飼っているのだと思うことにした。予報で明日は台風だった。沖縄はすでに被害を受けており、進路にあたる関東近辺も空気が重だるく湿っていた。風が彼らの隠れ家の草むらを不穏に揺さぶっている。最後の賭けにでたのだろう。いつも以上に道路の中央で待っていた黒猫は車が右にハンドルを切ると、途端に見限ったように反対方向に走り出した。危ない!と言って車を止め、後ろを振り向くとすごい勢いで土手の切り通しの道路を越えていく。仕事帰りの車の隙間を縫って土手の向こうにあっという間に消えた。拾われるのを待っていたのだ。強く悟って、車で土手下に降り、また切り通しの向こうの土手に上がって子猫の行方を探した。息子が餌遣りをしていた公園も探したが子猫の姿は跡形もなく消えてしまった。神に試されたのか。明日が台風だから動物的本能で安全な場を求めて移動したのか。兎に角何かに見限られたのだ。

 

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