第3話 G氏と愛猫

 G氏は高校時代の2年先輩で新設校の第1期生であり、荒れた校庭の石拾いをして創立期を支えた学年である。理数クラスに在籍し、卒業後すぐに身一つで上京し、働きながらW大学の夜間部に通った。G氏の妹とは同級で親友であったので、自分が美大に進学してから都心で一度、3人で食事をしたことがある。昼間の仕事は牛乳パックの組み立て工員で、G氏が担当になってから検査で漏れがなくなったことが誇りだった。バイト先で歳上のパートの女性と知り合い、世話好きで社交的な彼女と結婚した。卒業後は丸の内近辺で本社勤務をしていたが、その後、子会社で経理や人事を担当するようになった。交通事故や傷病、特にメンタルケアが必要な社員に手厚く対応していたが、管理職からのパワハラで自らもクリニックにかかるようになった。

 お互い埼玉と茨城のほぼ同じところを転々とし、私たち夫婦が戸建てを建てた埼玉のB市に隣接するA市にG氏ご夫妻はマンションを購入し、 猫と御夫婦で暮らしていた。しかし、数年前、手厚い治療の甲斐もなく奥様を癌で亡くした。遺品整理の手伝いで度々上京していた友人とG氏のマンションで40年ぶりに会った。飲みながら高校時代の思い出話で盛り上がり、その中に校長名がついた校門脇の池で近所の幼児が溺死した話があった。池底がすり鉢状になっていて脱出しずらい構造になっていたらしい。この悲惨な事故が何の変哲もない小さな池とぬるま湯に浸かったようなハイスクール時代の記憶に急には結びつかなかった。その池端に立って中を覗き込んだことがある。緑の藻の中に、赤い金魚の背びれが薄ら見えた。縁には豪快に大小の石が並べられて天光池と皆は呼んでいた。それが創立当初の校長名だったと知ったが、とんだ曰く付きの池になってしまった。

 K氏は文化祭の大看板を描いてグランドに設置するなど友人と活発に過ごしていたらしい。それでも昼休みは孤独を好みベランダから見える西側の風景を眺め、ぼっち弁当を食していた。ベランダ違いで同じ風景を油絵で描いていた。3階の美術室から部活の時間に毎日キノコみたいな形状の落葉樹と民家がある風景を加筆してはナイフで削ることを延々繰り返していた。季節が変わるまでの数ヶ月、そうやって無駄に絵の具を重ね続けた。

 そのあと何度かマンションへ傷心見舞いに行って話をした。K氏は猫が道路で死んでいると必ず車を停めて拾い弔うという。怪我をしていれば、病院に連れて行き治療を受けさせた。通りすぎることができないので仕事に遅れる。愛猫が病気になると通院や介護で欠勤する。奥様が亡くなって間もなく、長年飼っていた愛猫が天に召された。火葬場で単体で焼いてもらい、遺骨を奥さんと並べて弔った。次に動物愛護の自助団体を通して同じアメショを譲り受けた。その猫も持病が悪化し、数年後には弱ってやがて立てなくなる。いよいよ瀕死になるとG氏は猫の顔を口に加えて息を吹き込み蘇生を図った。しかし、引き止めることは叶わず猫は絶命した。

 

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