妖魔斬りの太刀


「団長!! スタンレー団長!!」


 キーンとした耳鳴りが収まった途端、誰かが俺を揺らす感触に気付く。

 瓦礫の山から半身を起こし、薄っすら目を開いた先には空が見えた。いつもの王都に、いつもの居留区に、真っ黒な異物が景観を濁している。


「ああ――分かってる」


 それで俺を状況を察した。どうやら屋敷が崩れ落ちて、意識を失っていたらしい。

 あれだけの衝撃だったのに、凡人の俺が五体満足であれたことは幸運だと思う。


「マーシー。応援は?」


 自分の足で立ち上がって、マーシーに問いかける。


「今シヴィル団長がこちらに向かってます!! けどこの状況は……」


 苦虫を潰したかのように答えに、俺はもう一度アレを見上げた。

 念のため頬も抓っておく。ちゃんと痛い。残念ながら夢の産物ではないようだ。


「ああ。アレはちょっと厄介だろうな」


 軽口を叩いて、肩を竦めざるを得なかった。

 と言うのも――星空を覆いつくさんばかりのガーゴイルだ。蝙蝠のような羽をバッサバッサとはためかせ、裂けた口から牙を覗かせ、虹彩のない単色眼が俺達を見下ろしている。


 特徴そのものはかつて任務で相対したものと同様だが、サイズが規格外にデカイ。薬で増幅させたありったけの魔力を注いで召喚したんだと思う。

 白兵戦に追い込むことは困難で、かといって普通の弓では豆鉄砲だ。騎士団の精鋭をもってしても苦戦は必至で、打つ手に困っていることが見て取れた。


「スタンレーェェェェ……!!」


 そしてその背に乗っかっているのは、全身を真っ赤にしたハイデンである。

 憤怒による比喩ではない。コイツを召喚する為にどれだけの無理をしたのか、あの人狼と同じように、自らが流した血液で血みどろになっていた。


「コロス……! キサマだけは、コロシテヤル!!」


 加えて正気すらも失っているのか、もはや目的と手段を履き違えている。

 自分の復権は何処に行ったのやら? 一周回って哀れに思えてくる。


「前団長!!」


 しかし狙いが俺であることは好都合で、不都合でもある。

 前者は無駄に建物を破壊させずに済むと言うこと。後者は俺が避けきれるかという問題だ。


「シネェ!!」


 急降下しながら、ぐわんと振り降ろされた前足。

 当たれば紙のように引き裂かれることは必然。

 だから俺は後方に飛んでやり過ごすも――圧倒的な体格から生み出される、暴力的な風圧までは殺しきれない。


「ぐあっ……!」


 成す術もなく壁に打ち付けられて、ゴキリと嫌な音が聞こえた。

 なんとか身体はくっついているようだが、左腕にまったく力が入らない。


「コロス……コロしてやる……!!」


 そんな俺にハイデンはご熱心だった。噛み殺すところを近くで見たいのか、それとも命乞いでも聞きたいのか、わざわざガーゴイルを目の前に着陸させる徹底っぷりだ。


「随分な……姿になったな?」


 しかし俺は眼前に迫った牙を見ず、殺意に染まり切ったハイデンを笑う。


「名誉学士サマが、大したもんだよ……! そんなツラしてれば、どれだけ優秀であられようと、追放も致し方なしってな……!」


「アア!?」


「歳を取った所為で、耳まで遠くなったか……? だったら、何度でも言ってやる……! っ、てめえの追放は自業自得だ!! 今となっちゃあ目標もくそもねえ、場当たり的で安っぽい犯罪者に落ちぶれてるんだよ!!」


「アアアアアアアアア!! シネシネシネシネシネシネシネエエエエエエエエ!!」


 意識を失っていても罵倒は分かるのか、それに応えるガーゴイルが俺を噛み砕こうとする。

 が、餌になるつもりはない。俺は身をよじって、どうにか逃れようとして――


「団長!!」


 ふわっと身体が羽のように軽くなった。

 これも比喩じゃない。実際に浮いていたのだ。

 聞き覚えのある誰かに抱き抱えられて、俺は宙を舞っている。


「ハ、ハルナ!?」


「はい! 団長の忠実な部下のハルナでございます! お待たせして申し訳ありま……ぐっ!」 


 言って、ハルナは俺を両手に抱えたまま着地する。

 それが折れたアバラに響いたに違いない。ほんの一瞬、顔をしかめているのを俺は見過ごさなかった。


「ば、馬鹿野郎! どうしてここまで来た!? 休んでろって、ちゃんとメモで伝えておいたろう!?」


 だから今の状況も厭わず怒鳴りつける。

 俺はコレア先生に渡した財布にメモを残しておいたのだ。これから何があろうと、傷が癒えるまでは大人しくしてろと。

 そうしないとお前のことを二度と部下とは思わないし、口も聞かないって――子供みたいな脅し文句かつ――彼女が一番堪えてくれるであろうことを期待しながら。


「それでも――」


 されどハルナは真っ直ぐに、俺の目を見て言った。


「私は貴方に忠を誓ったのです。貴方であれば忠を誓っていいと、心から思えた方なのです」


「そのように誓った方の危機に、駆け付けぬ配下が何処に居ましょうか?」


「団長……今も昔も、貴方の傷は私の傷でございます。その傷を少しでも、このちっぽけな身で肩代わり出来ることが、私にとっては何よりの誉なのですよ?」


 鼻を啜るので精一杯で、それ以上は何も言えなかった。


 彼女は昔から思い込みが激しくて頑固者だった。決して折れないし、決して意見を曲げず、決して逃げようとしない。

 そんな姿にかつて――いや今だって――心を動かされた自分がいるからこそ、


「……ハルナ、状況は聞いてるな?」


「はい団長! ようやく大捕物となりましたね!」


 俺はハルナの手を取って立ち上がり、天を指差した。


「ハルナ、あの化け物を切れ」


「っ!?」


 俺の発言に、誰かが息を飲んだような気がした。

 少なくともハルナではない。それは弓をつがえたり非難を誘導したりで忙しい騎士団連中の誰かか、或いは……と、どうやら学士サマであられるようだ。


「出来るか?」


 が、そんなことはどうでもいい。

 俺はまっすぐハルナの目を見て問い掛ける。


「アレを……でしょうか? あのガーゴイルを?」


 それにハルナは聞き返し、俺は頷き返す。


「ああ。上に乗ってる奴は捕縛する。召喚士ではなく、下の奴だけを切り捨てろ」


 召喚士を切れば召喚物も消える。そんなことは魔術に疎い俺でも知ってる。

 ましてや相手は正真正銘の怪物だ。なのに本丸を無視して、敢えてソレを相手にしろなど、酷く馬鹿げた指示である。


「…………それは」


 しかし俺は知っていた。

 それが馬鹿げていても、彼女にとっては無謀ではないことを。


「それは、一個人としてのお願いでしょうか?」


 故にだ。そこからの反応は肯か否かではない。

 彼女は俺に向かっておずおずと、言葉を引き出そうとしている。


「いいや、違う」


 だから俺も彼女の望む言葉を言ってやる。

 気持ちを利用してるみたいで、少々気が引けてしまうけれど。


「団長命令だ」


 それでもこの事態を収拾する為ならば、だ。

 俺は背筋をピンと伸ばし、両手を背中に組んで、大層な口調で彼女に告げた。


「ハルナ。騎士団団長として命を下す――あのガーゴイルを切れ」


「は……はい!!」


 するとハルナはくしゃりと顔を崩し、潤んだ目で姿勢を正した。


「団長である、貴方の前に首を持ち帰ることを約束致しましょう……! どうぞご覧になってください……!!」


 それから彼女はくるりと踵を返し、敵に向かって一人で歩き出す。

 その姿に気付いた他の団員達は即座に攻撃の手を止め、黙って道を開く。


 みな下手な応援は無用だと知っているのだ。

 騎士団副団長ハルナ・ホールデンが、その太刀を抜くのであれば。


「バ、バカに……! バカにしているノカ!?」


 と、そこで上空から怒鳴り声が割り込んで来る。青筋を立てるどころか、立てた青筋から血を吹かせた学士サマだ。

 一体何が出来るのかと言わんばかりの形相だった。自らが生み出した圧倒的な怪物を前に、手負いの女一人を寄越して。


「馬鹿になんかしちゃいねーよ。それよかお前も、その汚い目を引ん剥いてよく見てろ」


 しかし俺からすればそんな気は毛頭ない。


「――ハルナの太刀筋をな」


 斬妖刀、と呼ぶそうだ。

 東国アズマの優れた刀工によって生み出されたもので、彼女の家系に古くから伝わっているとか。かつてアズマに蔓延っていた、妖魔という存在を絶つために生み出されたものだとか……何にせよ人づてに聞いた話であり、得物の背景はその程度しか知らない。


 だがそれを携える彼女の覚悟はよく知っている。   

 彼女は決してそれを人に向けないのだ。どれだけ苦戦しても、どんな窮地に陥っても、相手が人である限りは鞘に収まったままだった。

 その頑固さは筋金入りであり、だと言うのに事件となればすぐに突っ込むものだから、どれだけ手を焼かされたかなんて、両手の指じゃあ到底追いつかない。


「ふぅ……」


 しかし今、相対しているのは人ではない。

 人工的に生み出された召喚物であり、執着の果てに転化した悪鬼である。

 息を吐いて構えるハルナは、自分の何倍もの大きな怪物を前にしようと身震い一つなく、それどころか眠っているのかと思わんばかりに静かで、集中しきっていた。


「あぁ――」


 そんな姿に俺も息を吐いて、そして思い出す。

 かつては俺も自らの減退に悩まされていた。手足に等しかった剣に重みを感じ、ちょっとしたことで息切れを起こし、現場でふらつくことだって何度もあった。


 それでも俺は誰にも相談しなかった。信じようとしなかった。

 医者の正論から耳を閉ざし、部下の前では何でもないように振舞い、それでも日に日に衰えていく自らの身体を、苛む焦燥感を酒で誤魔化していた。


 俺がこんな有り様ではいけない。

 俺がいなくなったら騎士団はどうなる? 誰が市井の安全を保障してくれる?

 俺がやらなきゃ誰がやるんだ――なんて、今になって思えば一人相撲もいいところだ。


 そんな大馬鹿者の目を覚ましてくれたのがハルナだった。

 酒を買いたそうと執務室を後にして、通りがかった訓練所で彼女は素振りをしていた。たった一人で残ってどれだけ続けていたのか、滝のような汗を散らしていた。


 その時の一挙一動を、俺は今も忘れちゃいない。

 強い西日によって刀身が煌めいていて、息も忘れるほどに美しい一閃だった。

 

 その時のことは……集中していたから、ハルナも気づいてなかっただろう。

 でも確かに彼女は切っていたのだ。それを遠くから眺めていた俺のことを。 


「――参る」


 と、その一言で過去あのひ現在いまがリンクする。


 悪鬼を捉えるハルナは半身の中腰姿勢から、左手は腰に括りつけた鞘を、右手はその柄を握っている。

 それはベルネルト騎士団の技ではなく、彼女が幼き頃より続けてきたという抜刀術である。入団当初は粗削りだったから、色々と言うこともあったけれど、洗練された今となっては小言の一つも出てこない。


「ふ、ふざ! ふざケルなあああああアアアアアア!!」


 吠えるハイデン。

 食らい付こうと飛び掛かるガーゴイル。


 そこにふわっと、波のような静けさで踏み込むハルナ。

 そして俺は確信した。またあの日の光景が見られると。 



「――はあああああ!!」



 だって――そう。

 その迷いのない一刀をもってして、彼女が切ってくれたから。

 俺の心に蔓延ろうとしていた魔を――執着心という名の妖魔を。



「あ……あっ……」


 両断された巨体がズシンと落ちて、光の粒子となって還っていく。

 その行方を見上げた先の空は星々を蒼に飲み込み、ほのかな朝日を放ち始めている。

 まるで迎え入れてるかのように、或いは祝福しているかのようだった。


「そ、そんな……そんな……」


 一方で地べたに取り残されたハイデンは、今度こそ戦意が完全に喪失していた。

 腰が抜けたように崩れ落ち、地面に向かって弱々しく呟くばかりで、程なくして駆け付けた団員にも無抵抗に取り押さえられる。

 そんな光景を見ながら、またしても切ってくれたんだろうと思った。


「流石だよ、ハルナ」


 が、それをやってのけたハルナは抜き身の刀を手にしたまま佇んでいる。

 トランス状態が抜けきっていないんだろう。無表情な彼女の頭をくしゃりと撫で、俺は笑いながら言った。


「お前も俺の誇りだよ。お前がいてくれるから、俺はこれからもずっと安心できるんだ」


「…………」


 そこではっと正気に返ったかのように、ハルナが俺に向き直る。

 瞳が物語る感情は灰色。歓喜と悲観が入り混じっていて、何かを言わんと口を開いては、発することなく閉ざす。


 でも俺は敢えて、それを尋ねることはしなかった。

 もう間もなく、この長い夜も明けるんだから。

 

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