頼りになり過ぎる後人
「ぐっ!!」
が、寸前でドクンと胸が跳ねた。
心臓を締め付けられるような感覚と、それに押し出されるかのような虚脱感。
全身から決定的なものが、瞬く間に抜け落ちていく。掴むどころか地に膝をついてしまい、まともに立つことさえ出来なくなる。
「は、ははっ……!」
そんな俺の様子を見て、ハイデンが引きつった笑みを浮かべる。
「時間切れだ老いぼれめ!! 副作用を考慮して、薄めたものにしておいて良かったわ!!」
「う……ぐぅ……!」
要するにあの薬は、時限的なものであったのだ。
そして薬の効果が切れて元のひ弱な身体……どころか、それ以下に落ちぶれていた。
それが副作用に寄るものなのか、無理を押し通した代償なのかは分からない。
「UGO……A……」
そうこうしている内に、殴り飛ばした人狼も天井の穴から帰って来る。流石にダメージが積もっているのか、肩で息をしているように見えた。
そりゃそうだ。あれだけ殴ってやったんだから、ちょっとは堪えてくれないとやりがいがないってもんで――
「これを飲め」
が、ハイデンが差し出す瓶を飲んだ途端だった。
「AAAAAAAAAAAAAAA!!」
それだけでこの通り。尽きかけていたオドが補充されたんだろう。
全身に禍々しい血管を浮かべてはいるが、すっかり元気一杯だった。
「イカれてんな……ほんと」
俺はやっとの思いで半身を起こし、そんな様子を眺めながら言った。
「定期的に摂取しなけりゃオドが保てないなんて。おまけにそれが理性とトレードオフか? そうまでして何が手に入るんだか」
「少なくとも貴様の命は取れる」
「はっ、おめでたいやつ」
冷酷に言うハイデンに、今度こそ俺は失笑を隠せない。
「安いもんだなハイデン? それだけのことをしておいて、ロートル一匹を狩るのに精一杯かよ」
「…………」
「断言してやる。こんな不完全な薬で復権なんてあり得ない。若い連中を馬鹿にすんな」
「…………」
「言葉も出ないか? だったらもう一回言ってやるよ。こんなもんに縋ろうとしてる時点で、お前はもう終わってるんだ。どれだけ無駄なあがきをしたところで、付け焼刃にもなりやしない」
「…………惜しまれないと、そう宣っていたな?」
「あん?」
「追放騎士は惜しまれないで何よりだと、貴様は宣っていたな?」
ハイデンは少しの沈黙を挟んで続ける。
「だったら好都合だ。惜しまれないのであれば――墓標も必要ないのだから」
人狼が大きく拳を振り上げる。力任せに叩き潰すつもりなんだろう。
さっきまでなら容易に躱せただろうが、今はもう動けそうにない。
…………まぁ、やるだけやったんだ。今の俺にしては上出来だった。
今回の件は全部俺の我儘だったから、出来ることなら周りに迷惑をかけず、俺一人で解決したかったが……こうなってしまっては致し方ない。
あとの事は将来有望な若人達に任せて、俺はせめてもの心残りを果たすとしよう。
「ぺっ!」
「っ!?」
へへっ、ざまあみろだ。
顔までは飛ばなかったが、勝ち誇ったツラが台無しになってやがる。
「あっても誰も参りに来ない墓よりはずっとマシだってな。なぁ棺桶暮らしの学士サマ?」
「――っ! 殺せジャガーノート! そいつを粉々にしてやれ!!」
すると取り繕った余裕をかなぐり捨てて、ハイデンは感情のままに極刑を命ずる。
そこに俺は目を閉じて、最後の瞬間をじっと待った。
何も憂うことはない。ただ待っていれば良かったのだ。
暗闇の中で耳を澄まして、間もなく訪れるであろう瞬間を。
――ダッダッダッダッダッダ!!
「な、なに!?」
そしてどうやら――俺も相当に悪運が強いらしい。
間もなくとは思っていたが、まさか絶好のタイミングで来てくれるなんて。
『ベルネルト騎士団だ!! さっきから一体なんの騒ぎだ!?』
階下からそんな謳い文句と、ズカズカと雪崩れ込んで来る騒音が聞こえた。
「な、なん……だと?」
「聞いての通りだ学士サマ? 夜分遅くにどったんばったん騒ぐもんだから、お利口な騎士団連中が感づきに遊ばれたじゃないか?」
「き、貴様! まさか最初からこれを狙って!?」
別に狙ってなんかねーよ馬鹿。
これは保険みたいなもんだ。俺の良い恰好しいが失敗した時の為の。
「知らなかったのか? 昨日こいつが暴れてから、騎士団が居留区を張っていたことに」
「なっ……!」
「知らなかったなら、もっと外に目を向けることをオススメするよハイデン? 今の騎士団はお前の時とは違って、腰の重い連中じゃないんだよ」
そう言いはするが、元々頼るつもりはなかった。
騒げば気づいてはくれると信じていたが、間に合ってくれるかどうかまでは分からなかった。
まぁでも結果として、やっぱりシヴィル率いる騎士団は優秀ってことなんだろう。
無謀にも一人で突っ込んだ俺の命でさえ、救われる機会を与えてくれたんだから。
「っと……形勢逆転だな。これで騎士団が動いた」
やがて足腰にも力が戻ってくる。
俺は立ち上がってハイデンに勧告する。
「現行犯ってことだ。無駄な抵抗はやめて、大人しく投降しろ」
「っ……!」
「今からでも俺を殺すことくらいは出来るだろうが、そいつ一匹で騎士団の精鋭共を相手にできると思うか?」
シヴィルが送り込んだ七番隊は私服捜査隊であり、街中での追跡や乱戦に長けている。
それに命を守る防具を最低限しか身に着けないことからも、肝の座った優秀な団員が選ばれる。
「さっきの俺よりやれる連中だ。そこんとこは保障してやるよ」
「こ、こいつはあの副団長ですら討ち取ったんだぞ?」
「んなもん俺っていう足手まとい込みで、おまけにアイツの不意をついてようやくだろ? 嘘じゃない。もうお前は詰みに等しいんだよ」
「ほ、ほざけっ!!」
俺の言ったことは虚勢でも強がりでもないのだが――ハイデンからすれば信じたくなかったのだろう。
「蹴散らせ!! ジャガーノート!!」
「UGAAAAAAAAAAAAAA!!」
だから部屋の近くにまで至った団員を襲わせようと、人狼を廊下に突撃させるも、
――バキンッ!! ガゴンッ!
――ドカアアアアァァァァァァン!!
「GOAAAAAAAAAAA!?」
「なにぃぃぃィィィィィィィ!?」
秒で壁を突き破っての返品だった
人狼はぶっ飛ばされた勢いを殺せず長机に激突すると、崩れる雑多な実験道具の山に埋もれてしまう。そこから突き出した腕をピクピクと痙攣させ、二度と立ち上がることはなかった。
ハイデン曰く『ジャガーノート』とやらの、大層な名に似合わぬあっけない終焉である。
まったくもって見事な瞬殺っぷりであり、薬を飲んでようやく善戦していた自分が嘘みたいだ。
「だから言ったろ? お前はもう詰んでるって」
しかし俺に悔しいとか、情けないとかって気持ちはなかった。
いやまぁほんのちょっぴりは否定出来ないけれど、それより誇らしい気持ちが上回ってくれる。
「無駄な抵抗は……ってあれ? 誰かと思えばスタンレー団長じゃないですか!? どうしてこんなところに!?」
「成り行きだよ。それよりもほら、あいつだ」
程なくして先陣を切って飛び込んできた七番隊隊長――マーシーの疑問を俺ははぐらかす。
事の経緯を説明するのは後だと思った。
「なるほど。また厄介事に首を突っ込んだってことっすね?」
が、マーシーはこの態度である。
相槌一つで納得されてしまった。
「まだ何も説明してないんだが?」
「スタンレー団長が事件現場にいるってだけで分かりますよ。だって昔からアンタって男は筋金入りです。事件を前にしたら、勤務時間外だろうが黙っちゃいられない。だからこのあいだ顔を合わせたときに、薄々感じてはいたんすよ。『あぁまた厄介事に首を突っ込むかも』って」
「…………」
「要はアンタは今も昔と変わらずアンタってことっす。まぁそれが逆に安心出来ますけどね?」
なんでもないことを言うかのようなマーシーの発言は、自分のことを自分のこと以上に理解されてるみたいで複雑だった。
俺ってそんなに分かりやすいんだろうか? 今もこうして酒臭さの漂う、結局勤務中に飲んでる奴にも気付かれてしまうくらいに。
「こ、こんなこと……!」
だが自分のことで嘆くのも後だ。
引き攣った声に振り返ると、ハイデンがその場に蹲っていた。
ようやく諦めてくれたんだろうが? 俯いた表情こそ見えないが、亀のように丸まった姿勢から抵抗の意思は感じなくて…………なくて?
「詳しい話は留置所で聞く」
そんな彼に向かって、取り囲んだ団員の一人が近寄ろうとする。
抜いていた剣を鞘に納め、何も掴んでいない無防備な右手を伸ばそうとして――
「ま、待て!」
「え、スタンレー団長?」
「不用意に近づくな! なにかおかしい!」
俺はその団員の手を掴んで、後ろに下がらせる。
次の瞬間だった。
「まだ……まだ終わりでは、ない……!!」
丸まった姿勢からばっと顔を起こしたハイデンは――その据わり切った両眼から――ダラダラと真っ赤な鮮血を流していた。
「私は、偉大なる魔術師なのだ……! これまでも、今も、これから先も……称えられて然るべきなのだ……! あるべき場所に、あれないという過ちを、私は正さなければいけない……!!」
その手に握り締められているフラスコ。口端から流れる紫色の液体。
ここ数日ですっかり覚えてしまった甘い匂いは、記憶よりも遥かに強烈だった。
「そう……! そうだ……!! ふふっ! あの愚か共に、ふはっ、私は思い知らせて、やらなければならない……!! 厚顔無恥にも、ひひっ、私という絶対的な存在を、きひっ、追放した者どもを、後悔さぜでやらなげればひひひひひひきききききききききき――」
すなわち彼自信が口にしてしまったのだ。
かつて数多の勲章を得ていた大魔術師が、自らの手で生み出した実験薬を。
その中でも恐らくは何の調整もしていないであろう、後先のことなど何一つ考えていない、剥き出しの劇薬を。
「伏せろ――!!」
だからこそ、叫んで伝えるのがやっとのことだった。
具現化する巨体の重量と質量によって、崩れ落ちる衝撃をやり過ごす為に。
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