対峙


 蚊の鳴き声さえも木霊しそうなくらい、静かな夜であった。

 俺は野営地で仮眠を済ませた後、人目を忍んで街の中を進んでいた。

 敢えてそうしたのは見知った顔が見えたからだ。事前に確認していた通り、この辺りに人員を割いていることが見て取れる。


 それでもここ最近は入り浸りであったが故に、地の利はこちらにあった。

 近くの柵を乗り越え、空き家から脇道へ。路地裏から下水路へと、念入りに迂回を重ねる。


 ――思えば、最初から全部が繋がってたのかもしれない。


 そうして少しづつ街の高所へと向かいながら、改めて俺は考える。

 これまでしてきたことに関してだ。俺の手柄を打ち立てようとして、ハルナは次々に胡散臭い事件を持ち込んできた。


 ――居留区で発生する神隠し。


 それは単なるガキンチョによる家出騒動。俺達の捜査で判明したのはそれだけだった。

 しかし実際に行方不明者はずっと前から出ていて、オーラムさんの証言が裏付けている。実際にいなくなった人物が居留区の亜人で、それもゴロツキであったから目立たなかっただけだ。


 ――居留区に現れる狂戦士。


 それは見栄と牽制によるものだと、ギャングの長は語っていた。

 しかし同時に彼女は、噂の元となった人物がいたことを証言している。

 俺はそれらしき人物を二度目の当たりにした。痛みを知らず、人外の力を振るっていた亜人のことを。そしてその男は、件の行方不明者でもあったそうだ。


 ――居留区に蔓延る違法薬物。


 ……現物を直接見たわけじゃない。

 しかし俺はこれまで、何度もその片鱗を感じ取っていた。キツイ香水のような、或いは熟れた果実のような甘い匂いである。それも例の人狼だけじゃなくて、度々に思わぬところでだ。


 どうしてそんな偶然が発生するのか? 

 そこを念頭に置いて考え始めると、少しづつこの事件の背景が分かってきた。


 そして動機の裏付けも今日の調査で済ませてある。

 俺は息を潜め、ようやくたどり着いた屋敷へと潜入する。


「…………」


 鍵はかかっていない。初めて踏み入れた内装は、酷くざっくばらんなものであった。

 メイドの類を雇っていないのだろうか? 部屋は何処もかしこもが埃にまみれている。

 不摂生というよりかは、無関心という方が適切かもしれない。何処を見ても必要最低限の家具しかなく、それすらも使用した形跡が乏しい。


 が、それは同時に好都合でもある。床一面の埃の、真新しい足跡が道筋なのだから。

 その後を辿って二階へと上がり、廊下を突き進むと――すぐに目標へと辿り着く。

 ドアの隙間から中を覗きこんだ先に、フラスコを睨みつけている男がいた。

 もう迷うことはなかった。いちにのさんと心の中でカウント告げて、鍛冶屋で投げ売りされていたナマクラを手に取る。


「――動くな」


 それからの動きは久しぶりでありながら、スムーズなものであったと思う。

 音もなく忍び寄って、ちゃんと刃の切っ先を被疑者に向けられていた。


「それはなんだ? ポーションか?」


「…………」


「何を作っている? 答えろ」


「……………………」


 男は作業の手を止めつつも、何ら動揺していない。

 まるで最初から分かっていたかのように、くるりと俺に振り返り、温和な笑みを浮かべては――


「こんばんは、スタンレーさん。いや――スタンレー元騎士団長というべきでしょうか?」


 なんてことを宣った。


「…………」


「おや? 随分と意外そうな顔をしていらっしゃいますね?」


「…………いいや」


 ほんの一瞬驚いてしまったが、俺は首を横に振る。

 俺が元騎士団長だなんて、その気になればすぐに調べられることだ。

 ただよりにもよって、騎士団以外の人間で初めて気づいたのが、コイツということに皮肉を感じてしまっただけである。


「ハイデン・ウィリアムス――その薬はなんだ?」


 俺はその名を呼びながら、質問を繰り返す。

 ハイデンは笑みを張り付かせたまま、ピクリとも表情を崩さない。


「なにを……とは。ただの傷薬を煎じているだけですが?」


「それを信じるとでも思っているのか?」


「おやおや……何をどう思っていらっしゃるのかは存じませんが、酷い言いがかりですね。かつて学院で錬金術を志していた私が、薬の調合をしていて何がおかしいのです?」


 確かに研究の為と言われると妥当に感じられる。

 俺も以前までなら違和感なく受け入れただろう……少なくとも、昨日までなら。


「ヘスフェリデス学院の元教授――ハイデン・ウィリアムス」


 俺がそう言うと、ハイデンから表情が消える。

 それは今朝方過去の事件を洗っていて見つけた記録だった。


「レオナルド賞、アカデミック薬学賞、パイオーン賞……その他諸々、栄光ある賞を受賞してきた錬金学の重鎮だ」


「…………」


「だが初歩的なミスによる火災事故を起こしたことによって評価は一転。魔術委員会から見限られ、学院からも追放された」


「…………それが、どうしたというのです?」


 と、詰まりつつもハイデンは否定をしない。

『だから?』とでも言いたいのだろう。そこまでは予想通りの反応だった。


「もっともこれは表向きの理由だ。追放の最たる原因は学院で行っていた、アンタの研究テーマにあった」


 俺はあからさまに肩を竦めて続ける。


「『加齢による不可逆的なオド減少の解明と対策』」


 かつて聞いた知識を思い出す。オドは波のような曲線を描いているのだと。

 言うなれば足腰や背丈と同じなのだ。子供から大人へと成長するにつれ、その線は右肩上がりに伸びていくが――いずれは加齢と共に落ちていく。


 盛者必衰という、アズマに伝わる言葉をハルナから聞いたことがある。

 まさしくその通りなんだろう。どんな成功者であろうと、永遠の成功者とはなり得ないのだから。


「要は少なくなったオドを、薬でどうにかしようっていう研究だ」


 その衰退加減には個人差がある。

 ゆったり少しづつということもあれば、一からゼロに急転直下ということもある。

 そう……たとえば……俺やこいつのように。


「ハイデン。アンタはずっと前から減少傾向にあって、委員会からもそれを指摘されていた」


「だから研究テーマにまで定めて、どうにかしようとしてたんだが……その結果は散々だった。そうしてアンタは委員会からの信用を完全に失い、見限られてしまった」


「まったくもって実力主義な魔術学院らしいよな? そんな体質だからこそ、定期的にボヤ騒ぎが起きるとも聞いている。それも捕まる大半はアンタのような――」


 かつて在籍していた職員によるものだって、俺がそう続けようとしたところ、


「ですから、それで?」


 と、ハイデンが口を挟む。


「魔術学院が実力主義というのは百も承知。衰え、追放されたことも認めましょう。ですが、それと今の私に何の関係がありましょうか?」


 声色は学術書を読み上げるように淡々と。

 感情のない瞳で俺を見て、口角だけを歪に曲げながらだ。


「今の私は学院とは何ら関係のない、隠居を選んだ単なる教師です。今行っている調合も、愛しい子供達が怪我をした時のことを考えているだけです」


「…………」


「なのに過去を一方的に探り、鬼の首を取ったかのように訴えるのが貴方のやり方ですか? 失礼ながら、そんな不躾なやり方ばかりをしていたからこそ、貴方は騎士団長の立場を追われたのでは?」


「……………………」


 耳に痛い言葉だ。

 痛い言葉だけれど……それは発する相手にもよる。

 他でもないコイツに言われたところで、ちっともショックは受けなかった。


「ははっ……単なる教師、ね」


「何がおかしいのです?」


「いやいや――」


 俺は吹きだしそうになる気持ちを堪えて言い返す。



「単なる教師が――愛しい子供達とやらに薬を常飲させるのか?」


「っ!?」



 ぎょっとハイデンの目が大きく見開く。

 ようやく化けの皮を引き剥がせたような気がした。

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