独自調査の終焉


「さぁ団長! 今日も張り切って事件を探しに行きましょう!!」


 少し寝過ごしてしまって、遅い朝食を済ませた後の居留区。

 昨日のしおらしさが嘘のように、ふんすふんすとハルナはイキりたっていた。


「お前な……」


 小言の一つでもぶつけてやりたくなったが、彼女の目には腫れた後が残っている。


「団長?」


「いや……なんでもない」


 それだけで何も言えなくなって、結局今日もありもしない事件探しだ。

 我ながら甘いというか、ほんといい加減踏ん切りをつけなければと思う。村へ帰る為の路銀くらいは、とっくのとうに溜まってるんだから。


「ん?」


 と、そんなモヤモヤを抱いて、パトロールを続ける最中だった。

 挙動不審にきょろきょろと顔を動かす男の姿が視界に映る。


「オーラムさん?」


「お、おおっ? だ、誰かと思ったら、あんちゃんかよ」


 まるで話しかけられるまで、俺の存在にまったく気づきもしなかったかのよう。

 一体どうしたんだろうか?


「ん、そのお嬢さんは?」


「えぇとこいつはその、ちょっとした」


「内縁の――あいたたたたたたた!」


「ツレです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 またしても事実無根をナチュラルに並べようとするハルナの頬を、思いっきり抓ることによってインターセプトした。

 やっぱり気を遣うなんて間違いだった。油断も隙もあったもんじゃない。


「そ、そうか。まぁ何でもいいんだけど」


 しかしながらオーラムさんの反応も不自然だった。

 このふざけたやり取りに関心を抱かず、しきりに周囲を気にしている。


「なにかあったんですか?」


「あ、ああいや、大したことじゃねえんだけどよ……見つかったそうなんだ」


「見つかった? 何がですか?」


「ほら、前にちょろっと言ったろ? 最近人さらいっつーか、神隠しが横行してるって話を」


「あぁ――」


 そう言えば、以前にそんな話がされたような気がする。

 けれど消えたのはゴロツキばかりで、大して気にはしていないとも。


「その行方不明者が見つかったんだ」


「え?」


「ギリアムっていう札付きのロクデナシだ。ひでぇ酒癖をしてて、しょちゅう飲み街で喧嘩をやらかしてた。いなくなったのは半年ほど前で、でも一、二週間くらい前から似たような奴を見かけたとか見てないとかって話が出始めて、そんでもって今日はハッキリと断言されちまった」


「そのギリアムって男を、この辺りで見かけたと?」


「ああ」


 オーラムさんは頷く。

 聞いただけでは何てこともない話だ。蒸発していたゴロツキがふと帰ってきただけのこと。


 でも何故だろう? そこに俺は妙な胸騒ぎを感じてしまった。

 喉に刺さった小骨のような、拭い様のない違和感がまとわりつく。


「――居留区の神隠し」


 と、そんな小骨の正体をハルナが代弁する。


「行きましょう団長!! 早く!!」


「お、おいハルナ!?」


 すかさずハルナが俺の手を取って駆け出す。

 引き摺られるかのようだった。俺は転びそうになりながら、必死に足を動かして体勢を立て直す。


「いきなりどうした!? 一体何処に向かってるんだ!?」


「匂いがするのです!!」


「匂いだって!?」


「妙な匂いですよ!! 団長は分からないのですか!?」


 そんなもん走ってる所為もあるが、まったくもって感じ取れない。

 掴まれた手を右へ左へ、左へ右へと振り回される。迷路のように入り組んだ路地裏の暗がりだ。先日下水路へ入った時のことを思い出す。

 しかし辿り着いた袋小路で待っていたのは、硬い鉄の蓋ではなく――


「っ!? 人だ!! 人が倒れてる!!」


 そしてここまで来てようやく、ハルナの言っている意味も理解出来た。

 確かに妙な匂いだ。香水にしたって、見るも大柄な男が嗜むようには思えない。


「おい! あんた大丈夫か!?」


「ア、アァ……」


「おい! しっかりしろ!!」


 俺は咄嗟に駆け寄って、抱え起こそうとする。

 呼吸はしている。意識もある。外傷らしきものは見当たらない。

 が、そんな事実にほっとしたのも束の間だった。

 やがてうつ伏せになっていた男が、くるりとこちらに振り返ると――


「ア”?」


「――――」


 露わになった顔に言葉を失った。

 赤だ。真っ赤だった。

 狂気を感じる程に充血しきった目に、体毛越しでも見て取れるほど血管が浮き上がっている。


 ――おい。さっき俺のこと睨みつけてたろ? そうだよな?


 そして何より、俺はその顔に見覚えがあったのだ。

 この街に帰って来て間もない夜のことで、長期滞在を余儀なくされた切っ掛けだ。


 ――さっきのおんなは……いねえな?


 思えばあの時も今と同じだった。

 コイツは同じような匂いを漂わせていた。


 ――さっきはなめやがって……! おんなのせなかにかくれて、えらそうにして……わかってんだろうな……!?


 そして本能が訴える。

 避けろ。死にたくなければとにかく避けろと。


「KHAAAAAAABAAAAAAAAA!!」


 次の瞬間、人狼は奇声を上げながら拳を振るった。

 俺は本能に従って後ろに跳躍していたが――間に合わない。


 何もかもがスローモーションに感じているのがその証拠だ。俺はいま限りなく死に近い。

 向かって来る拳は握り方一つで素人だと分かるが、漂うオドの量が俺とは桁違いだった。


 死ぬ。間違いなく死ぬ。

 頭部が割れた果実のように四散するか、或いは拉げて中身が押し出されるか。

 いずれにしても原型が残らないことは確実だ。じわじわと近づく暴力を前に、俺はもう目を閉じて待つしかなく――


「――団長!!」


 衝突して、爆ぜて、砕け散る。

 そうなる筈だった――そうなるべきだった。


「あ……あぁ……」


 が、俺は五体満足のまま、間抜けな音を喉から溢れさせる。

 押されたのだ。間に入って、突き飛ばされたのだ。


 誰が? なんて愚問は考えるまでもない。

 コロコロと散らばる瓦礫は白く、じわじわと広がる水は赤い。

 やがて風に流れ去っていく粉塵の向こうで、力なく横たわる四肢が露わになった。


「ハ、ハ……ハルナ!?」


 そこでようやく俺は正気を取り戻す。


「ハルナ! ハルナ!!」


 どれだけ呼びかけてもピクリとも動かなかった。半分だけ開いた目に光はなく、口端から泡の混じった血を吐いている。

 あれだけのオドが込められた拳を、防御も出来ずに喰らってしまったのだ。弱々しい呼吸は今にも途切れそうで、一刻も早くにどうにかしなきゃいけないのに――ノシノシと近づいて来る足音が――考える暇を与えてくれない。


「よ、よせ! やめろ!!」

 

 俺は振り返って人狼に立ち向かう。


「来るな!! ハルナをこれ以上傷つけるな!!」


 しかし今の俺の何が出来る?

 近くのゴミを拾って投げつけるのが関の山だ。

 小石、紙切れ、空のガラス瓶と――攻撃とも呼べぬ行動である。


「あぁ――くそっ」


 とどのつまり、結局俺はこうなんだ。

 騎士としてとうの昔に終わってる。部下一人守ることすら出来ないどころか、その部下に守られる始末だ。


「こいつのことは勘弁してやってくれ」


 だから全部俺が悪い。


「俺が気に食わないなら、俺を好きにしろ。」


「AU? EIU……?」


「逃げも隠れもしない! だから……頼む!」


 無抵抗の意を示すつもりで、俺は両手を上げた。

 命を奪わんとする敵を前にして、それは酷く馬鹿げた行為であろう。

 そんなことは自分でも分かってるが、もうそれ以外の手段が思い浮かばなかった。

 そんな役立たずの為にハルナを――この国の未来を奪ってほしくなかった。


「A……OG!?」


「えっ?」


 が、次の瞬間だった。

 不意に男は前進をやめる。言葉が通じたとは思えない。


「GO……AAAA!?」


 そして自らの頭を抱え、苦悶に満ちた唸り声を上げ始めた。

 ガリガリと掻いた爪が膨れ上がった血管を突き破り、びゅっと勢い鮮血が飛び散っては、顔を一層赤黒く染め上げる。


 それだけおびただしい出血でありながら、生臭さは感じなかった。

 妙な匂いの方がより一層濃さを増していたからだ。鼻が曲がりそうなくらいに、もう二度と忘れられないほどに。


「GRAAAA!!」


 そして人狼は目の前から消失する。

 右を追っても左を追ってもいない。が、ぽつぽつと雨のように赤い斑点が落ちていることに気づき、俺は上空を見上げる。


 高く高く跳躍するソレは、視界の中で月と重なっていた。

 まるで御伽噺の狼男であるかのような躍動感だ。獣そのものと言ってもいい。

 そこからさらに窓枠を蹴って、屋根から屋根へと飛び移り――目にも追えぬ速度で何処かへと走り去って行った。


「なん、だよ……?」


 やがてその気配が完全に消えてから、俺は一人呟く。

 騒ぎを聞きつけたであろう野次馬の喧騒が遠くに感じられる。現実感のない足取りで踵を返し、ふらふらとハルナの下に近づく。


「なんなんだよ、これ……!」


 背に抱えてズシリと、弛緩した身体の重みが伝わる。

 俺は自らの唇を噛み締め、じくじくと湧き出る生暖かさを感じながら駆け出した。

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