また団長が、何処かに行ってしまうから


「カニンガム・アームストロング。こやつは強盗の常習犯でして」


「空手のカニンガム。腕っぷし一本で家主を脅して、金品を奪い取ってた強盗犯だろ? 今はもうすっかり歳を食って、自慢の右腕も枯れ木みたいに萎んでる」


「エヴリン・スカーレット。結婚詐欺師です。これまで男から掠め取った額は、国家予算にも勝るとも劣らずとか」


「大風呂敷に決まってんだろ。真紅のサキュバスは話ばかりを盛ってた。留置場で聞いた罪状はなんてこともない。ケチな美人局の類だったみたいだ」


「ディアス・クレネル」


「お前は自分が関わった事件のことも忘れたか? 食い逃げのディアス。お前が検挙した犯人だろ? なぁハルナ?」


「ぐぬぬ」


「だからぐぬぬじゃねーっつーの」


 その夜。

 俺は敷いた布の上で仰向けになりながら、すっかり日課となっていたハルナによる『犯罪者予備軍』の情報を聞いていた。


 もっともそれが現実味を帯びたことは一度もない。

 大抵が過去に解決済みの、カビの生えた情報に留まっている。


「ハ、ハイデン・ウィリアムス!」


「ハイデンさん?」


 それでもたまに最新の、見知った人物の名を聞くこともある。


「か、彼はかつて所属していた学院で爆発事故を起こしたそうです。とある魔術の実験をして、失敗してしまったとか」


「ほう爆発事故。逮捕されたのか?」


「い、いえ。騎士団の要請はありましたが、不幸な事故として処理されまして」


「……はぁ」


 しかしその内容はどれもがこじつけに等しい。

 確かに爆発事故となれば大したものだが、怪しげな薬剤を日常的に扱う魔術学校ならばよくあることだ。

 少なくともそれを恣意的な、事件性があるものと結び付けるのは難しい。


「そ、それだけではないのです! この件にはまだ不審なところが――」


「ハルナ」


「最後まで聞いていただければきっと団長も、探るべき事件だと感じていただける筈で――」


「ハルナ」


「で、ですから――」


「ハルナ」


「…………はぃ」


 再三名前を呼んで、ようやく彼女はシュンとしてくれる。

 よしよしいい子だ。無駄話を何時までも続けるわけにはいかないからな。


「もういい頃合いだろ? そろそろ騎士団に帰ったらどうだ?」


「っ!?」


「このまま続けたところで事件なんて見つかりやしないし、仮に見つかったところで同じだ。それが俺の手柄になることはないし、俺だって二度と騎士団に戻るつもりはない。絶対にだ」


 俺がそう強く断言すると、ハルナはぎょっと目を見開いた。

 ぱくぱくと口を上下させ、わなわなと指先を震わせ、さーっと血の気を引かせること数瞬。

 その後に大きく息を吸い込んでは――


「何故ですか!? どうしてそのような世迷言を!?」


 耳がキーンとしそうな怒声であった。

 というか事前に予測して、耳を押さえていてもビリビリとくる。


「どうしても何もあるか」


 しかし世迷言でもなんでもない。

 そもそも今までの状況がおかしかったんだから。


「何時まで自分の仕事をサボって俺に付きまとう?」


「サ、サボってなど!! 私は部下として、団長の――」


「元団長だ。お前の今の立場は副団長で、支えるべき人間は別にいる。違うか? 違わないだろ?」


「だ、団長はすぐに団長へと返り咲きますから」


「ハルナ」


「…………っ」


 思えば俺はもっと早くに、強く言っておくべきだったのだ。

 どれだけハルナが否定したところで現実は変わらない。今の騎士団団長はシヴィルであり、その立場に相応しいのもシヴィルである。


 それを俺がずるずると、ハルナが諦めてくれないからとか何だのと、先延ばしにした結果が今に繋がっている。激務の団長を補佐すべき、副団長が不在であるという状況に陥ってしまっている。

 それは直ちに更生せねばならぬことだ。

 たとえ部外者としても――いや、今や部外者であるからこそ。


「ハルナ、もう一度言う。騎士団に帰れ」


「…………」


「お前が宣う事件なんて何処にもない。何時までも過去に囚われて、今いる民草を蔑ろにすることが、お前にとっての正義なのか?」


「っ……!」


「だからハルナ――」


 何時までも俺に付きまとうな。もう俺のことは忘れてくれ。

 俺がそう続けようとした時だった。


「絶対に――」


 ばっと腰に回される両腕。腹に埋められる顔。


「嫌、です……絶対に……!」


 背に感じる指先はふるふると、引き剥がそうとすれば容易に剥がせそうで、それでいて何処までも放し難い。


「ハルナ、手を離せ」


「いや、です……」


「ハルナ」


「いやです……!」


「ハルナ!」


 それでも心を鬼にして、その手を振り払おうとして、



「だって離せば――また団長が、何処かに行ってしまうから」


 その慟哭に、打ち砕かれてしまった。



「団長……どうして、どうして何も言わずに去ってしまわれたのですか?」


「…………」


「誰にも行先を告げずに、たったお一人で……!」


 俺は自分をぶん殴りたくなった。

 ああそうだ。元を正せば身から出た錆だったんだ。彼女がずっと俺にこだわり続けた理由もそう。


 だって彼女の言う通り――俺はそうやって騎士団を去っていったのだから。


「ハルナ」


 自らの不甲斐なさを感じた俺は、今度は口調を柔らかくして、もう一度彼女の名を呼んだ。


「分かった。もう今すぐに帰れとは言わない」


「…………」


「でもよく考えてくれ。今のお互いがいるべき場所ってのを」


 結局俺は優柔不断で度胸もなく、それだけを告げると横になる。

 程なくしてゴソゴソと、すぐ後ろに気配を感じた。ハルナが同じように寝転がったのだ。


 そんな湿った空気で眠るのも中々難しい。

 俺はもちろんのこと、隣の息遣いも眠りには程遠い。


「…………団長」


 やがてハルナは鼻をすするのを止め、蚊の鳴くような声で切り出した。


「始めて私達が出会った時のことを覚えていますか? 入団試験の時の」


「あぁ――」


 ゴロンと寝返りを打って、夜空を見上げながら思う。

 よく覚えてる。なにせ得物を一切抜かず、教官を背負いで投げ飛ばした衝撃デビューだ。むしろ忘れる方が難しい。


「あの頃の私は井の中の蛙でした。この身一つで天下に太平をもたらせると信じて疑わなかった…………貴方と剣を合わせるまでは」


 その時のこともよく覚えている。

 結局は刀を鞘に納めたままだったから、俺も木刀で応戦したことも。


「あの時はとんでもない新人が入ってきたと思ったもんだよ。お前も、シヴィルも」


 そうしてあの日の光景が昨日のことのように蘇った。

 異国の型破りな剣を見せたハルナに対し、教科書のように正道の剣だったシヴィル。

 どちらも試験教官を返り討ちにしたもんだから、俺が相手をせざるを得なかったのだ。 


「恐れ多い言葉です。私もシヴィルも、貴方にはまったく手も足も出なかったのですから」


 手も足も出ないなんてとんでもない。

 下への示しの為に余裕そうに見せてたけど、実は結構しんどかったんだぞ?

 お前等二人を同時に相手するだなんて、今では到底考えられないことだ。


「本気を出せば、スタンレー団長は今でも……」


「…………」


 しかしハルナはそう思っていない。

 今でも俺がその気になれば、自分など相手にならないと信じている。

 それか、或いは――


「買い被り過ぎだ。お前達はとっくに俺なんか追い越していて」


「嘘です」


「嘘じゃない」


「ならどうして私達に行き先を告げず、お姿をくらませたと?」


「…………」


 が、それを言われてしまえば……俺は何も言えなくなる。

 そうするべきだったという、あの時の気持ちが揺らいでしまうくらいに。


「お言葉ですが……追放される前の、あの頃の団長は、まるで何かに追い詰められているかのようだった」


「…………」


「私達にも話せない、何か深い事情があったのではないですか?」


「……………………」


「だから貴方はシヴィルにわざと負けて、自ら騎士団を去って――」


「……考え過ぎだ馬鹿」


 しかしそこからの結論は当てが外れている。

 らしいと言うか、本当に思い込みが過ぎると思った。


「決闘の儀は騎士団団長を決める通過儀礼だが、あれは出来レースなんかじゃない。俺は真剣にやって、それでシヴィルに負けたんだ」


 それはまごうことない事実。

 俺は全力だったし、それでも一方的にやられた。


「それだけお前達が成長したってことなんだよ」


「…………」


「お前達はよくやってる。俺を肯定する為に、今の自分達を貶める必要なんてない」


 それもまた事実。

 今のみんなは俺が想像していた以上に、ずっと大きくなってる。

 だったら老兵なんて必要ない。伝えるべきことの全てを伝え終えれば、後は黙って消えるべきだって。あの日からずっと、ずっと。


「…………」


「…………」


「……………………」


「……………………」


 五分か十分、とにかく長い無言だった。

 沈黙が痛く突き刺さるも、彼女にそうさせているのは俺の所為に他ならない。


 だから……今なら話してもいいかもしれないと思った。

 あの頃の俺にはその勇気が出なかったが、全てが終わった今なら吐き出してしまっても。


「なぁハルナ。実はな――」


「…………すぅ」


「ハルナ?」


 返事がない。

 不審に思って顔を覗き込むと、彼女は目を閉じていた。

 穏やかな寝息を立てる一方で、俺の衣服を掴んで離さぬまま。


「……ったく」


 その頭をくしゃりと撫でてやると、酷く気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 ドキドキはしない。むしろ手のかかる赤ん坊か子猫みたいだと、俺は彼女の寝顔を見つつ、そんなことを思った。

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