オド


「んく……じゃ、じゃあスタンレー師匠」


「ああ、またな」


 それを飲み干してから彼女が帰るのも同じだった。

 取り残された俺とハイデンさんが世間話をしたり、そのまま解散したりかはまちまちだ。


「子供というのは素晴らしいですね」


 と、どうやら今日は後者であったらしい。

 心なしか普段より軽い足取りで去っていくルシアの背を見守りながら、ハイデンさんは言う。


「あの子には活力があり、展望があり、可能性がある」


「ええ。まったくもって」


 俺は頷き返す。


「私のような年寄りとは何もかもが違う」


「いえいえそんなこと、は……?」


 が、続く発言につい眉をひそめてしまったのは、彼の横顔を見てしまったから。

 謙遜も冗句の類だと思っていたのだが……?


「ほんとうに……羨ましいくらいに……」


「ハイデンさん?」


「はい、どうかなされましたか?」


「あ、ああ……いえ」


 気のせいだったのだろうか?

 次の瞬間にはもう何時も通りだった。


「オドの授業、陰ながらご清聴させていただきました」


「お恥ずかしい限りです。まさか素人の付け焼刃を、本職の御方に聞かれてしまうとは」


「いえいえ、ちゃんと子供にも分かりやすいよう噛み砕いていたと思います。素人の付け焼刃なんてとんでもない。スタンレーさんは以前に、かようなことを教えていた経験があるのですか?」


「ま、まぁ……護身術みたいなもんっつーか」


「護身術?」


「要はあれです。昔にヤンチャしてた時期があって、近所の悪ガキに喧嘩の仕方を教えてたっつーか」


 騎士団ということを伏せた曖昧な言い回し。

 我ながら適当過ぎる言い訳だとは思うが――


「ああ、深くは問いませんよ」


 有難いことにハイデンさんは追及を止めてくれる。


「誰にでも恥ずかしい過去や、言いたくないことはありますから」


 でもなんだ? そう言われると何だか、俺がどうしようもないヤクザ者であったかのように聞こえてしまう。どうしようもなかったっていうのは否定しないけどさ。


「そういえばハイデンさんは」


 と、俺は誤魔化し半分、意趣返し半分に切り返す。


「かつて総合学区でどういう学問を学んでいらっしゃったのですか?」


「学問、ですか?」


「ほら。俺は詳しくないですけど、魔術って言っても色々あるんでしょう? 天文とか変身とか、専攻してるもんによって、同じ魔術でも違うっていうか」


 俺が予想するに、ハイデンさんは召喚術の類であると踏んでいた。

 あれから何度も授業を覗かせて貰った。彼は自らの助手として、よく鬼火ウィスプを呼び出していた。


「錬金術です」


 が、返ってきた答えは予想外なものであった。


「れ、錬金術?」


「意外ですか?」


「え、いやでもだって、授業中はよく」


「ふふっ……学院の専攻というのは、何も一つとは限らないのですよ?」


 と、閉鎖的な総合学区に無知である俺に、控えめな笑み一つで教えてくれる。


「私は副専攻が召喚術でした。だからこうして――」


 ハイデンさんは指先を振るって、宙に現れたウィスプを躍動させつつ、


「召喚物を使役することも出来ますが、飽くまで本懐は錬金術――秘薬の生成にあります」


 と言った。


「秘薬というと……ポーションですか?」


 俺は少し考えて聞き返す。


「はい。歴史的にはそうではありませんが、ここ数百年という意味では、大方その認識で間違っておりません」


 と、頷き返してくれる。

 ちょっと含みはあるが、間違ってはいなかったようだ。


「だからこそです。スタンレーさんの言葉に耳が引かれたのは」


「俺の?」


 が、続けて意表を突かれた。

 一体何が本職の琴線に触れたのかと、疑問符に満たされる俺に彼は語る。

 

「オドは骨や筋肉と同じように成長していく――ええその通りです。子供が成長期を迎えるにつれ、その含有量も成長曲線を描いていき、大半の方々は二十を手前にして止まりますが、訓練をすればその限りではない」


「…………」


「しかしその後はどうでしょうか? 中年期、壮年期を迎えられた後は?」


「…………それは」


「その治療法こそが私の学問の最終地点でした。もっとも……道半ばで途絶えてはしまいましたが……」


 自嘲するようにハイデンさんは笑う。

 そんな姿に俺はちょっぴり身につまされた。


「今でもその、考えてはいるのですか?」


「まさか。ご存じの通り、今では別の夢が生まれました」


 くぐもった俺の問いかけに、ハイデンさんは首を横に振る。

 

「今はこの居留区のことです。それに比べれば私個人の意思なんて、どうでもいいことなのですよ」


 続けて、そう言ってのけた。

 今の自分よりも明日の他者だなんて、まさしく教師の鏡だと思える。


 …………思える。

 ……………………そう。

 ……………………………………なのに、どうしてだろうか? 彼の発言に空虚さを感じてしまうのは。

 

(馬鹿が。何を考えてるんだお前は)


 俺は自分に強く言い聞かす。

 自分の問題を棚上げにして、人の善意を疑うなんて馬鹿馬鹿しいと思った。 

 

「ではそろそろ」


 と、紫色に染まった空を眺めながらハイデンさんは言う。


「そうですね。ではまた」


「ええ。ではまた」


 雑談を終わらせる合図だった。

 俺は唇を噛み締め、湧き上がっていた雑念を吹き飛ばしながら、出来る限り平静に今日の別れを告げた。

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