匂い
「俺はハイデンさんの御高名を知らなかったことを恥ずかしく思います」
だから俺は心からの賞賛を送ろうとした。
表向きは根無し草として。裏向きは同じ国の騎士団に属していながら、このような男を知らなかったことを恥じて。
「ハイデンさんほどの御方であれば、その名を広く知らしめているだろうに」
「…………」
「ハイデンさん?」
が、ハイデンさんはそこで黙ってしまう。
どうしたのだろうか? そんなつもりは毛頭なかったけど、ちょっと嫌味っぽく聞こえてしまったとか?
「そんなことより」
ただしそれは一瞬であった。
間をおいて続けるハイデンさんは、今しがた気付いたかのように俺の背後へと視線を寄せる。
「そこのお嬢さんは?」
疑問も当然だろう。ハルナは変装しているのだ。
それも一見するとだるっとしたローブを来て、顔を覆い隠した不審者である。
「彼女は俺の……」
さてどうするか?
何処から何処までかはさておいて、やり取りの一旦は見られていた筈だ。
今更他人のフリは出来ない。かと言って騎士団という身分を明かすわけにはいかない。
なら適当な知人をでっち上げるのが最適だろうと、俺は疑われるよりも前に口を開いた。
「旅の助手みたいなもんです」
「許嫁です」
「ただの助手です」
「新婚ホヤホヤです」
「仕事上だけの付き合いです」
「十年以上共にしている伴侶です」
「捏造すんな!! あとしれっと徐々にランクアップさせてんじゃねーよ!!」
おいこらハルナ!!
せっかく人が誤魔化そうとしてるのに、何を余計なこと抜かしてんだ!?
「え、ええと?」
それを聞かされたハイデンさんからすれば何がなにやらだろう。
疑問一杯に顔を首を傾げ、力ない手で俺達を指しては――
「その、以前は隠居生活と聞いていましたが……大道芸人をなされているのですか?」
「ボケてるわけじゃないです。決して」
どうやらコント集団だと思われてしまったらしい。酷い誤解だと思う。
「夫婦漫才師です」
「違うし乗っかるな!!」
すかさず答えるハルナに、秒で俺は否定する。
「夜はあれだけ乗っかってるのに?」
「したことねーよ!! いやほんと違いますからねハイデンさん!! こいつの世迷言で誤解しないで下さいね!?」
「昨晩は六回でしたけどね」
「どんな絶倫性獣だ俺は!? ってそうじゃなくて、あぁもうだから――」
もう何から否定して何から突っ込めばいいのか分からなくなり、俺はハルナの手を掴んで走り出す。
これ以上続けたところで泥沼以外の未来が見えない。言い訳はまたコイツがいない時にしようと思う。
「では失礼します!! ハイデンさん!!」
くるりと振り返ると彼は――さっきまで引きつっていた表情も何処へやら――今や温和な笑みを浮かべて、小さく手を振っていた。
脈絡もなく突然逃げ出した俺に対してだ。肝が据わっているというかマイペースというか、まぁいずれにしても助かることではあるけれど。
「おいハルナ! また妙なことを言いやがって!!」
「ん……?」
そうして十分距離が離れた後だった。
説教をしようと向き直ったところ、何故だかハルナはすんすんと鼻を動かしていた。
「花の匂い……ではなかったのですか?」
「あ?」
「うむ、やはり違います。では一体どこから?」
「何をしてるんだハルナ?」
屋敷の外の柵から中の花壇へと鼻を鳴らし、首を傾けるハルナに俺は問う。
「匂いですよ」
「匂い?」
「感じませんでしたか? 独特な花の香りというか、香水のような甘い匂いを」
「いや……感じなかったが?」
むしろ何を一番感じるのかと言えば、半日歩き回っていた自分の不快な汗だ。
全身がべた付いているから、出来るだけ早くに水浴びがしたい。
「団長は関係ありません。逆にそれは私にとってご褒美なので、どんどん漂わせてください」
しかしハルナは俺の感じたものを汲み取って、かなり気持ち悪い発言で否定してくれる。
野営地に帰ったら即刻水浴びだ。なんなら湯を沸かして徹底的に洗おうと思った。
「とまぁそれは置いといて――察するにどちらかであったと思うのですが」
「どちらか?」
「あのルシアという少女からか、ハイデンという教師からかです」
「……どちらも香水をするなんて歳でもないように思えるが?」
「はい。だからこそちょっとだけ気になったのです」
些細なことでしょうが、とハルナは締める。
それは鼻の効く彼女だからこそ気づけたものなのかもしれない。
「ま、でもないとは言い切れないだろ」
だが幼くとも体臭を気にする少女はいるだろうし、加齢臭を気にする老人だっているかもしれない。
彼女の感じたことは否定すまいが、それがどうしたという話でもあった。
「そんなことより――」
まずは説教だ。
俺は地べたにハルナを正座させ、小一時間ほどの説教へと移ることにした。
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