久しぶりの指導


「まずは急所を覚えろ。みぞおち、顎、こめかみ……適当に殴ればいいもんじゃない」


 俺はボードに書いた人体の絵図を交えながら解説する。

 我ながら絵心がない所為で、ふにゃふにゃとしたデフォルメになっているが、語る内容に不備はない筈だ。


「クリーンヒットすれば大男でも引っくり返る。逆に間違えればどれだけ鍛えていても拳を痛めるだけだ」


 素手による格闘は騎士団においても必修項目だった。

 何せ何時だってご丁寧な立ち合いとはならない。むしろ戦場では乱戦状態が当たり前で、武器をまともに使えない状況だってあり得る。

 だからと言って閉所で剣が振れなかったから負けました、槍で突けなかったから犯人を取り逃しました、なんて言い訳は通用しない。


「でも必要以上の暴力はなしだ。降参してる相手を殴ることは、虐めるよりも遥かに恰好悪いことだからな? 『うごくいね』を念頭にいれろ」


 野暮ったい座学をその言葉で締めて、俺は練習台を指差す。


「というわけだ。とりあえず一回、そこの木偶で試してみろ」


「は、はい! お師匠!!」


 それからルシアは大きく頷き、手ぬぐいでぐるぐる巻きにした拳を突き出した。


 それからぺちん、ぱこんと、迫力のない音が繰り返される。

 立てた木偶はこれっぽっちも揺れず、円で記したポイントにも正確に叩けちゃいない。大人どころか幼児を倒すことすら難しそうな猫パンチだ。

  

 でも最初はそんなもので、俺だってそうだったんだ。

 最初から上手くいく奴なんてそうはいまい。


「突然空き地で何を始めるのかと思えば……まさか喧嘩の授業とは」


「意外か?」


 俺は何時の間にか背後に立っていた彼女に言い返す。

 もう今更驚きはすまい。突っ込んだら負けだとすら思っている。


「いいえ、団長らしいです。やはり団長は人に何かをご教授されている時が一番似合っております」


「偉そうにしてるのがお似合いってことか?」


「偉そうではありません。団長は偉いのです。偉いからこそ人を正しき方向へと導ける。あの幼子への指導を見ていると、私は昔を思い出します。団長に手取り足取り教えていただいた時のことを」


「言ってろ」


 皮肉っぽく返すが、ハルナは微笑ましそうに笑う。

 ほのかにドヤっぽいところが微妙にむかつく。


「しかしどうして?」


「言質を取られまったんだよ」


「言質?」


「ああ」


 俺はルシアの悲鳴染みた訴えを思い出す。


『む、無抵抗は何も解決しないんですよね!? だ、だから私に抵抗する手段を教えてください!!』


 一本取られたというか、我ながら失言だったと思う。

 しかし吐いた唾を飲み込むことは出来ないし、それにまぁ……なんだ?

 今の俺程度でも教えられる護身術なら、喜んで教えてやるっつーか……いやまて。喜んでって何だ? 何を喜ぶ必要があるんだスタンレー? お前はとっくの昔に教える立場から退いてるだろうに。


「ふふふっ、団長ぉ?」


「ニヤニヤするな気持ち悪い」


「最近の新人は剣を振り回すばかりで、実戦経験に欠けています。戦場を誰よりも良く知っている、ベテランの騎士がいてくださったら、大変助かるんですけどねえ? ねえ?」


「肘でつつくな鬱陶しい。実戦経験ならお前が教えろ副団長」


 ったく、下手に隙を見せたらすぐにこれだ。

 こいつの前で『ワンチャン』なんて考えは思うだけでも禁句だと悟る。


「それにしても――筋はいいかと」


「ん」


 しかしだ。そこで初めて意見があったような気がする。

 突いて来る彼女を引き剥がした後のことだ。一応は副団長というべきか、冷静に見極めるような色へと変わっていた。


「基本的な運動能力や筋力が備わっていない。呼吸が合っていない。体幹も弱く、重心がブレている」


 酷い言い様だけど、俺もそうだと思う。

 ルシアの見せるパンチは、喧嘩はおろか何かを叩いたことすらなさそうなものだ。


「しかしオドは素晴らしい。あの年頃であれだけハッキリと感じ取れる子供は、早々お目に掛かれません」


 が、続く言葉にも同感であった。

 俺は頷き返して補足する。


「どうやら魔術を嗜んでいるらしい。そういう学校があってな」


「魔術を? この居留区でですか?」


「珍しいだろ?」


「なるほど……道理で」


 気質はアレでも武芸に関してハルナは達人だ。

 今の俺なんかより、ルシアの状態が手に取るように分かっていることだろう。


「しかし……それにしては少々」


 だからだろうか?

 何かに気付いたかのように、眉を潜めてみせたのは。


「何かおかしなことでもあるのか?」


「いえ、大したことではありません。ただ心なしですが、ほんのちょっと出来過ぎているというか」


「出来過ぎてる?」


「本人に使い方が分かっていない所為で見えづらいですが、あの歳にしては少々オドの総量が多過ぎるような……?」


 そう言われて、改めてルシアの様子を見つめるも――


「えいっ! やぁっ!!」


 相変わらずだった。

 ぺちぺちと撫でるように、猫の手で木偶を叩いていた。


 素質と裏腹に上手く操作出来ていないことは分かる。しかし多過ぎるかどうかは、なんとも同意しかねる。

 今となっては医者の手を借りなければ、自らの力量(オド)を正しく測定出来ない俺が言うのもなんだが。


「今時出来のいい子供なんて珍しくないだろ」


 だから俺は言い返す。


「お前と初めて会った時だって、俺も含めてみんなおったまげてたぞ」


「か、買い被り過ぎです!」


 一方で彼女は顔赤くして叫び返す。


「あの時の私はもう十五になってました!! それを言うなら団長は、十三の時にはもう大任を任されていたと聞いてます! 私なんかよりもずっと凄い!!」


 突然叫ぶな鬱陶しい。耳がキンキンするっつーの。

 それになんだ? お前と俺とじゃ時代が違ったっつーか、とにかく即戦力が求められてたからそうなっただけの話であってだな?

 だから素質って意味で言えば、最初からお前達は俺を――


「おやおや……こんなところにいらっしゃいましたか」


 と、次の瞬間だった。

 言い合う俺達の間に割って入ったのはルシアではない。

 初老の温和そうな男がコツンと杖をつき、自らの存在をアピールする。


「あ……貴方は」


「ハ、ハイデン先生!?」


 俺より先にその名を呼び、驚きに声を上げたのはルシアだった。

 この居留区唯一の魔術教師が、ニコニコと俺達の様子を窺っていた。

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