どうでもいい事件簿


「ああっ……ひどい目に遭った……」


 俺は全身にこびりついた鱗と粘液を川水で洗い流す。水面に移る月を眺めながら、寒い季節でなくて良かったと改めて思う。

 もしも冬であれば前々団長が好んでいた悪習――寒中訓練の苦しみを三十年ぶりに味わっていたことだろう。


『ほらほら暴れろ暴れろ! 暴れれば少しは暖かくなる!! そうやって寒空の下でも生き抜ける精神を鍛えるんだ!!』


 そんなことを思ったからか、豪快に笑う男の顔を思い出した。非効率の極みのような、根性論を芯にした男だ。

 いつも真っ先に川へと叩き落とされていた俺からすれば脳筋馬鹿の極みで、何なら今でも馬鹿だと思っているし、死者が出なかったことが不思議なくらいだ。


『人生は長い。一時と一生はまるで違う。これよりもさむーいことが幾らでも待ってるんだぞ?』


 それでもこうして思い出してしまうあたり、反抗心の中に一理あると感じていた証拠だ。

 ああ……悔しいけどその通りだよオッサン。人生ってのは時として長すぎる。一番いい時に幕が下りてエンドロールとはいかず、その後も惰性みたいに延々と続いちまうもんだから。


「時代は変わったんだ。あんたの代とは違って、俺は一番いい時に死ねなくなった」


 だから俺は皮肉交じりに天へと言い返す。

 星空はきらきらと瞬くばかりで、お告げが降って来るわけでもない。

 そこに寂しさというか、無常のようなものを感じつつ――


「団長」


 程なくして声がかけられ、脳裏に蘇っていた過去が霧散する。

 俺は途中だった着替えを手早く済ませると、背後に立っていた彼女に振り返る。


「今日は大変でしたね」


 そこからのコレである。

 どの口が言ってんだと思う。


「しかしまだ初日です。千里の道も一歩からです。すぐにきっと団長に相応しい事件に出会えるかと」


「…………」


 相応しい事件ってなんやねんとか、事件を幸運の巡り合わせみたいに言うなとか、色々と突っ込みどころはあった。


「で、お前はどうしてだ?」


 しかしそれよりも聞きたいことがあって、俺はハルナを睨みつける。


「はい。あれから更に調書をまとめてきまして――」


 するとハルナはそう答えて、分厚い紙束を取り出す。

 日中見たものとはまた別の、新たに書き留めた書類のようだ。


「やけに多いな」


「ええ。この居留区における前科者のリストになりますから」


「…………」


 なんでだよ。

 そんなもんを俺に見せてどうしろと?


「これからもこの街で捜査を続ける以上、情報は必要でしょう? こやつ等が再犯を犯している可能性があり得るでしょうから」


「や……これからもってお前」


「彼を知り己を知れば百戦殆からず、です。さぁさぁまずはこの人物なんか」


「聞けよ」


 たかが騎士団ごっこに、この力の入りようよ。

 そして聞く耳も持たぬまま、ハルナはページの一枚目を俺の眼前に突き付ける。


「アンジェロ・ブルータル。かつてこの街に存在していた、反社会的なギルドの幹部であった男です。殺人四件、恐喝十件、強盗傷害七件の嫌疑がかけられています」


「…………」


「見てくださいこの人相書を!! 人を人とも思わぬような凶悪面を!!」


 いや……見ろも何も。


「なんだ、これ? 人……なのか、これは?」


 歪んだ円の上にぐちゃぐちゃと塗りつぶした黒い点が二つ。それらを両断するように楕円が引かれ、そこから更に謎の直角三角形が伸びている。

 人はおろか、そもそも生物であるかどうかさえ怪しい。見ているだけで不安になりそうな怪作だった。


「まぁ多少伝わりにくいことは認めます。だって――」


 と、ハルナは紙を手元に戻しながら続ける。


「私が想像で書いたものですから」


「ってこれお前が書いたやつかよ!? 多少どころじゃねーんだけど!?」


 そんなもん伝わるわけねーだろうが!! 

 っつーか! っつーかだよ!?


「お前想像っつった!? 想像っつったよな!? その時点で本人の特徴何一つ捉えてねーじゃねーか!!」


「まぁまぁ些細なことですよ団長。この男がストローハットを好んで身に着けていたことは確かですから」


「これストローハット!? この変な三角形ストローハットだったの!? 頭から剣の切っ先が生えてるわけじゃなくて!?」


「些末なことです!! いいから、とにかくです!!」


 と、自分でも下手なことを認めているのか、ハルナは少し頬を赤らめていた。


「んんっ! それより重要なのは、かような犯罪者がこの街に潜んでいるという事実です」


 彼女は濁った咳払いを挟んで、上擦った口調を正す。


「居留区は……認めたくはありませんが……確かにシヴィルの手腕で良くはなっている。スラムの総本山と呼ばれていた時代も過去になりつつあります」


 それはそうだと思う。

 かつてあの街では暴動やら違法取引やらの対応にしょっちゅう駆り出されてたし、只人への嫌悪から石を投げられることも珍しくはなかった。


「ですが完全な過去には至っていません。今でも種族間の歩み寄りをふいにしてしまうような、不届き者があの街には潜んでいる」


「…………」


「ですから」


「ハルナ」


 真面目に熱く語ってくれているところ悪いが、口を挟ませてもらう。

 確かに要素要素は事実だ。叩けば今日みたいな埃くらいは幾らでも出るだろう。


 でもな?


「そいつ――もう死んでるぞ?」


「え?」


 飽くまでもそれは軽犯罪の類だ。

 俺は彼女が手にする人相書を指差しながら続ける。


「っていうか俺が在籍中に、シヴィルと現場に向かって取っ捕まえた奴なんだが? 歳も歳だったから、刑期を終える前に飯を喉に詰まらせて死んだって聞いたが?」


 ちなみに辞世の句は『さかなのほね!!』だったとのこと。

 喉に刺さった骨を取ろうとして、パンを丸呑みしようとしたそうだ。八十超えてるのに無茶しやがって、と思ったことを覚えている。


「…………」


「おいハルナ」


「……次に行きましょうか!」


「おい」


 が、何事もなかったかのようにハルナは資料を捲る。

 その時点でガバガバであることは明らかであり、実際にそれから先もそうだった。


「シュナイダー・バルテム。こいつには連続放火の嫌疑がかけられていて」


「炎上屋のシュナイダーだろ? 現場は全て被疑者と因縁のある場所だった。だからシヴィルが次の放火ポイントを見出してくれてお縄になった。ムショを出た後は改心して牧師になったって聞いてる」


「テイバード・ハワード。これは」


「怪盗テッド。義賊のフリを下着ドロだ。ついでに盗んだ金品を街にバラまいてたから、そう勘違いされていた。小回りは随分利いていたようだが、流石にシヴィルの追跡までは捲けなかったらしい」


「団長! 何故他の女の話ばかりをするのです!? 今は私と話をしてるところでしょうが!!」


「そりゃお前が解決済みの事件ばかりを口にするからな!? っつーか何処にキレてんだお前は!!」


 続く候補もこんな有り様だった。

 何が何でも俺を動かしたいんだろうけど、せめてもうちょい精査してこいと思う。


「だ、だったら現在進行形の、今もあそこにいる者を――」


 しかしハルナは折れず、パラパラと忙しなく紙束を動かす。


「オーラム・マクガフィン!」


「は?」


「この街で長年自警団に属している獣人です」


 知ってる。言われずともだ。

 だけど何故、この場で彼の名前を出すのか?


「あのオーラムさんに前科が?」


「はい。それはもう、とてつもなく大きな」


「どんな?」


 半信半疑で俺は問う。

 至極真面目な表情で彼女は頷き返した。


「畏れ多くも……スタンレー団長に職務質問をするという大罪です……!!」


「よし俺は寝る。お前はもう帰れ」


 俺はそっぽを向いて横になった。


「あぁ団長!! 何故聞くのをやめるのです!?」


「聞く価値がねえからだよ!! 神妙な顔して何を言うのかと思ったら!!」


「何を仰るのです!? 団長を疑うなど、この世のありとあらゆる罪より重いものではありませんか!? やはり亜人は卑しい!! あの獣人の男といい、横から立場を掠め取った卑しきシヴィル狐といい!!」


「騎士団がヘイトスピーチしてんじゃねえよ!! あとしれっとシヴィルを巻き込むな!!」


「なっ!? な、何故そこまでシヴィルを庇うのです!? 前々からおかしいとは思っていましたが、ひょっとして団長は……!!」


「どんな発想の飛躍をしてんだお前は!! 何にもねーし、そもそもの話だけどなぁ!?」


 それにそう!

 そもそもの話だ!!(一日ぶり)


「なんでお前はここにいるんだよ!? 前と場所も変えてんのに!!」


 吐き出したそれは、水浴びを終えてすぐに思ったことだ。

 下水道を出てから別れて、ついてくるなと何度も念入りに言って振り切って、前日とキャンプ地点も変えたというのに。


「まさか、また魔導石を……!」


「いいえ、とんでもありません」


「なら別の手段で」


「もう小細工など必要ありません」


 荷物や衣服を確かめる俺に向かって、ハルナはすんすんと鼻を鳴らしながら言う。


「三年経って鈍っていましたが、ようやく匂いを覚えました」


「――――」


 そこで俺は思い出す。

 彼女は理屈では証明できない、獣のような五感を持っていることを。

 そもそも誰にも行先を伝えてなかったのに、山奥で暮らす俺を見つけたのが何よりの証拠だろう。三年経った今でさえ、その獣染みた嗅覚は変わっていないことが窺える。


「ですから、何を不思議なことがありますか?」


 それでも彼女は至極当然と言わんばかりだった。

 正直背筋がゾクリと冷えたし、こいつが一番犯罪者予備軍じゃねえのかと思いはしたが――


「……寝る」


 もう突っ込むのも疲れた。

 俺は毛布をかぶって意識を絶とうとする。


「団長?」


「…………」


「スタンレー団長? 団長?」


 毛布の上から揺さぶられるが無視だ無視。


「団長…………」


 そうこうしている内にようやく諦めてくれたのか、彼女は俺から少し離れて、やがて寝息を立て始める。

 意地でも帰るつもりはないらしい。こうも近くに陣取られては、撒くことも難しいなと思った。

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