居留区の魔術教師
「これはまた珍しい。私と同じ只人のお客とは」
それはこのH・W魔術研究所の主にして、先程まで魔術の手ほどきをしていた――
「ハイデン・ウィリアムスと申します。して、貴方は?」
貴族さながら優雅に腰を落とし、頭を垂れる一礼。
分かってはいたが、やはり総合学区の人間だ。元かどうかはさておいて、王家連中にも無作法と思われない礼儀が備わっている。
「失礼。スタンレー・コリンズと申します」
俺は迷ったが、簡単な会釈だけに留める。
あと偽名を吐くことにも意味を感じなかった。何せ俺の名前も苗字も、この国では大して珍しくもないことを知っている。
それに何処で聞いた言葉か、人は三年も経てば関わりのない人物の名前を忘れると聞く。だから元騎士団団長なんてことは、とうの昔に忘れ去られてるだろう。
「お初お目にかかります、スタンレーさん」
と、実際にその通りだった。
彼は俺の正体に気付く様子はなく、『どこぞのスタンレー』として扱ってくれた。
ちょっぴり複雑な気持ちはあるけど、それが好都合だった。不意打ち気味に与えられた動揺が、冷めるように収まるのを感じた。
「それで、どうしてまたこんな辺鄙なところを?」
「あぁその……何となく懐かしくなってしまって」
「懐かしい?」
「俺はメルガルドの出身なんですが、若い頃はこの王都に出稼ぎで働いてました」
「メルガルド……東側一番の港町ですか」
「辺鄙な漁港ですよ。海と魚くらいしか見るもんがない」
それから並べた簡単な経歴も嘘じゃない。ガキの時分は確かにそこで暮らしていた。
王都で騎士団に所属していた、ということだけは伏せさせてもらうが。
「でも色々とガタが来ちまって、今は山奥の農村で隠居生活をしてます」
「なるほど。山と獣は見飽きていないでしょうしね」
「そういうことです」
俺はニッと微笑み返す。感触としては悪くない。
「それで時間を持て余したもんで、久しぶりに帰ってきたんです。そしたらどうだ? 王都は大きく変わってて、中心街には亜人達が歩いてる。だったら居留区もまったく違う姿になってるんじゃないかって、興味本位で色々と見て回ってて――」
「見た目そのものは変わってなかったでしょう? なんなら睨まれてしまったのでは?」
「まぁほどほどにです。とにかく、突然覗いてしまって申し訳ありませんでした。単なる物珍しさだったんです。まさかこの居留区で、只人による学校があったものですから」
「…………ふふ」
「ハイデンさん?」
「そんなに心配せずとも、自警団に突き出したりはしませんよ、スタンレーさん? 私はただ子供達が心配なだけで、かような権限など持ち合わせていないのですから」
「そ、そう言って頂けると幸いです」
俺は心の奥でふーっと胸を撫でおろす。
一先ずは『学校を覗き込んでた不審者』という疑惑は解消出来たらしい。
「仰る通り、昔と違って亜人と只人の垣根はなくなりつつあります」
ハイデンさんはそう言いつつ、遠くを眺める。
その先は中央街――いや、それより向こうだろうか? 総合学区にそびえる大時計台を見上げていた。
「ですのでまぁ……色入りとデリケートな時期というか、ここに暮らす者として考えてしまうのですよ」
「…………」
「スタンレーさんが単に迷い込んだだけの、無垢な市民であればそれでいいのです。妙なことを企んでいなければ、それで」
「…………肝に銘じておきます」
ちょっと言い回しに引っかかるものはあったが、要は無粋な余所者であるなということだろう。
そんなことは言われずともだった。意味もなく騒ぎを起こすつもりは毛頭ない。
「ご忠告痛み入ります。では俺はこの辺りで」
もう一度会釈を挟んで、俺はその場を後にする。
そうこうしている内に彼女の背中は見えなくなっていた。とうに下校してしまったらしい。
「まぁ……また今度だな」
けれど深追いする必要はない。それこそお節介というか、犯罪者として睨まれかねない。
俺は追跡を諦めてこれからのことを考える。しつこくも財布を探すべきか、帰る分だけの路銀を稼ぐべきかだ。
或いは――
「やりたくはないけど、古い知人をツテに金の無心をするとか?」
「悪くない案です。団長にどうしてもと頼まれれば、金貨百枚、いや千枚とてポンと支払ってくれることでしょう」
「…………」
「ですが私は心を鬼にしてNOと申し上げます。何故なら使い道があり得ないからです。ギャンブルでも酒でも構いません。お小遣い方式で養って差し上げましょう。しかし他の女や家出が目的となれば、ぴえん案件です。即刻我が実家までお連れして、お金の大切さを説いて差し上げて、そのまま婿入りさせねばなりませんね」
「………………………」
「いや婿入りというのも正しくはありませんね。団長は団長であり、団長であることが何よりも団長らしい。ですから婿入りをしつつ、団長を兼任するというのはどうでしょうか? これなら実家のお金を自由に使えつつ、団長としての責務を全う出来るではありませんか!! 私も嬉しくて団長も嬉しい!! 『三方良し』ということですね、スタンレー団長!?」
三方良しじゃねーよ馬鹿。
俺の意思を慮れ馬鹿副団長。
「おいハルナ。どうしてここにいる?」
「どうして、とは?」
「あぁいい。もういい。どうせまた魔導石とか使って俺をつけてたんだろう?」
「見誤らないで頂きたい! 私はもうそのような姑息な手段を取っておりません!! 正々堂々と、団長を背後からつけておりましたが故!!」
「正々堂々の意味を辞書で引け!!」
俺はたまらず頭を抱える。頭痛がした。
尾行に気付けないくらい劣ってることもそうだが、何よりもこいつの行動力だ。
おいこいつの指導をした奴出てこい。顔が見てみたい。俺だったよごめんなさい!
「俺が悪かった……! 許してくれ……!」
「団長? どうしたのですか、突然頭を下げられて?」
「い、いや……」
自分で自分を責めた末に生まれた錯乱だった。
いやいや落ち着けスタンレー。お前の所為じゃないぞスタンレー。こいつは昔から、もともとアレだったんだから。
「それより――」
俺は気を取り直してハルナに問う。
「何の用だハルナ? 何度も言ってるが騎士団に帰るつもりはないぞ」
「そ、そ、そういうわけではありません」
嘘吐け。
そんなあからさまに詰まらせおってからに。
「た、ただ私は、事件をお伝えに来たのです!!」
「事件だと?」
「はい!! 先日は中心街ばかりでしたので、この居留区までは回りきれておりません!! ここは歴史のイザコザが原因でシヴィルでさえも手出しが難しく、犯罪の種が日々巻かれていると聞いております!!」
「まぁ…………聞こう」
俺はアイアンクローの構えを解いて、ハルナの言葉に耳を傾ける。
俺を踏みとどまらせる為の方便であろうが、全くもって嘘ではない可能性もあった。
なにせ実際にそうなのだ。歴史的なイザコザによって、騎士団が介入し難いという事実は。
さっきの自警団という組織がその証拠だ。俺の代からそうだったが……融和しつつある今でさえ難しいということか?
「き、聞いていただけますか!? 実はですね――」
されど事件の匂いなんてものは、その大半が香りだけに終わる。ましてや無理やり見つけに行ったとなればどうか?
きっと勘違いで終わるに違いないと思いつつ、俺は彼女の言葉に耳を傾けた。
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