H・W魔術研究所
「あー……」
明くる朝。
今日も居留区のゴミ箱を漁るが、徒労に終わっていた。
「もうゴミごと持ってかれたか、そもそも別の場所だったか……?」
どちらにしてもお手上げに近い。シアトラ村に帰る為にも、こりゃ本格的に金策を考えなければと思う。
「ふぅ……」
「湿気たツラしてんじゃねえか」
と、道の端で力なく腰を下ろした時だった。
ドカッと勢いよく俺の隣に座り込んでくる。
「困りごとか? 只人のあんちゃん?」
顔を上げると老いた牛頭人。
先日俺に問い質してきた自警団の男だった。
「あ、貴方は……」
「ああそう警戒するな。オーラムってんだ。ここで長いこと……まぁパトロールの真似事をしてる」
言って、オーラムという牛頭人は懐をごそごそと漁る。
「吸うかい?」
「いえ、俺は」
差し出された煙管を俺は遠慮する。
彼は特に気にすることなく「そうか」と言うと、自分の口にそれをくわえて、ぷはっと紫煙を吐いた。
「で? 探し物は見つかったかい?」
「いいや、それがどうにも……」
「だろうな。昨日は怪しいことを企んでんじゃねえかって思ってたけど、今日も同じことをしてやがる。だから兄ちゃんは他の目的じゃなくて、マジで財布を無くしたんだなって」
「他の目的?」
「ああ、最近人さらいが横行しててな。というか神隠しってやつか? 昨日までいた奴がぱっと霧みたいに消えちまうって話だ」
だから俺を疑っていたのだと彼は言う。
物騒な話だとは思うけど――
「つっても、俺は気のせいか何かだと思ってる。なにせこの居留区の中で、それも姿をくらましたのは手に負えないゴロツキばかりだ」
「…………」
「だから消えるなんざ日常茶飯事。根無し草みたいな連中が同じ場所に留まるわけもねえし、おたくら只人もそう気にしちゃいないだろ?」
……俺も同じ考えだった。
蒸発なんて珍しくもない。誘拐と家出の境界は、第三者からすればあやふやなものだから。
「ゴロツキ限定じゃありませんよ」
しかしそれでも思うところはある。
「立場があったって姿を消す奴はいます。理由は人それぞれでしょうけど」
「兄ちゃん……やっぱ訳ありか?」
「物の例えですよ。俺のことじゃない」
不意に向けられた憐れみの視線が気まずくて、俺は目を逸らす。
そういうケースもあるって話で、気を遣われたいわけじゃなかった。
「慰めになるかは分かんねえ。余計なお世話かもしんねぇけど」
するとオーラムさんは念入りに前置きを重ねながら、
「これでも読んで元気を出しな」
と、一冊のすす切れた書籍を差し出してきた。
「これは?」
「聖書だと思う」
「だと思う?」
「俺も良く分かんねえんだ。小難しい言葉で、説法するみたいな論調でよ。意味は分かんなかったけど、そういうのってのは牧師様とかが書いたもんじゃねえかなって」
「…………」
そんな得体の知らないものを渡すなよ、と思いつつも俺は表紙を開く。
そして何枚か捲ってすぐに分かる。これは聖書ではなく学術書の類だ。きっとオーラムさんは――こう言っては失礼だが――学がないから読解することが出来ず、牧師による説法の類だと勘違いしたんだろう。
何せこの居留区に真っ当な教育機関なんてほとんど存在しない。ましてやそれが魔術に関することであるのなら。
「これを何処で?」
「向こうのお屋敷の前だよ」
聞いて、彼が指差したのは古びた屋敷。
そこもまた昨日見たばかりのものだった。
「あそこはなんなんですか?」
「なにって……学校?」
何故に疑問形なんだ?
「俺だってよく分かんねえんだよ。一二年前から只人の変な爺さんが住んでて、金も取らずに勉強を教えてる。最初は兄ちゃんと同じく、何を企んでんのかって疑ったもんだけど、何時まで経っても騒ぎを起こす様子はねえしな」
「…………」
「それに老いぼれだ。大それたことなんかできやしねえだろ」
だから気にも留めていないだとオーラムさんは言う。
厳しいのかガバガバなのか、よく分からないセキュリティだった。
「じゃあ俺はこの辺で」
「おう。あんちゃんも元気だせよ」
それから俺は財布を探す為にまたしてもゴミ捨て場へ――ではなく、彼の言っていた屋敷へと向かう。深い意図はなく、単なる興味本位だった。
なだらかな坂道を上って間もなく、建物の裏側から声が聞こえて来る。
俺はこそこそと、周囲を囲う柵から中の様子を覗き見ると、
「――以上のことから、あらゆる生物は生まれつき魔力を有しています」
一人の男を中心にした青空教室があった。
「オドは大気中のマナと比べると微細ではあるも、互いに共鳴し合っている。それによって我々が今、こうして当たり前のように動けていると言っても過言ではありません」
H・W魔術研究所の裏庭である。
先日垣間見た初老の男が、テキストを片手に、亜人の子供達へと語り掛けている。
内容は魔術の初等教育……だと思う。
何せ『オド』という概念はこの世に生きとし生けるものの源であり、それを利用した力は騎士団においても活用されている。だから魔術にはてんで疎い俺でさえも、何を話しているのかは理解出来た。
「故にそれが枯渇することは……と、今日はここまでですね」
ちらりと彼が覗き見をした瞬間、機械仕掛けの置き時計が単調な演奏を奏でる。
それが終業のチャイムなんだろう。亜人の少年少女が弾けたように立ち上がった。
「…………ん?」
柵から離れた俺は、門から駆け出していく彼等を見送る最中、ぽつんと俯きがちな少女に気付く。
ひょっとすると、なんてことは思っていたが、ここの生徒だったとは。居留区も結構広いのに、世間ってのは案外狭いらしい。
お節介かもしれないが声でもかけてやろうか? 一応あれからも気にはなってたし、また厄介事に巻き込まれてないかどうかくらいは――
「おや――貴方は?」
「っ!?」
と、次の瞬間だった。
声をかけられたのは俺の方で、びくっと肩を強張らせてしまう。
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