亜人居留区
「まったく……貴方って人は」
と、昔馴染みのかかりつけ医が呆れたように目を細めている。
「すいません、コレア先生」
「いいです。昔から無茶をする人ですしね、貴方は。医者の言うことを気にも留めずに」
いいと言いつつも、若干棘があるのは気のせいじゃないんだろう。
そりゃそうだ。いい歳こいて喧嘩で医者の世話になるだなんて、俺が向こう側なら匙を投げたくなる。
「先生」
だからというか、これ以上悪くなりもしない。
そんな気持ちで俺は――苦い薬草まみれの口を動かして――先生に質問を投げかける。
「俺のオドはどうですか?」
「最後に診た時と何一つ変わりません。以前より緩やかですが、減少傾向のままです」
ギロリと睨まれながらの即答だった。
そして聞く前から分かっていたことでもある。変わってないからこそ、今のこのザマなんだから。
「また性懲りもなく首を突っ込んでるのですか?」
「まさか」
「貴方の言うことは信用なりません」
そう言って先生はゆったりとした動作で眼鏡を外し、くたびれた息を吐いた。
彼は俺よりも一回りは年上だから、もう六十に近い筈だ。なのに朝っぱらからボコボコに顔を腫らした中年の手当てに駆り出されるとくれば……まぁそうしたい気持ちも理解出来る。
しかしだ。にしたって、歳の所為で少々疑い深くなっちゃいないだろうか?
今回は本当に事件じゃなくて、単なる個人的な喧嘩なんだ。これまでのやらかしがあるにせよ、もうちょい患者のことを信じてくれたって――
「スタンレーさん。貴方はもう無茶をしていい身体じゃない」
「…………」
「それは三年前からお分かりでしょう?」
「……………………」
そう言われて、続けようとした邪推が引っ込んだ。
時間感覚の乏しい村だから、あらためて正確に時間を告げられると、一気に自分も老けたように感じてしまった。
「もちろん分かってますよ、先生」
俺は少ない手荷物をまとめて席を立つ。
「俺は何も見ていないし、聞いてもいない」
「ではもし何かを見たら?」
「すぐに騎士団に通報します」
「その時、貴方は何処で何をしていますか?」
「安全な場所まで離れます」
「はい……そうしてくれることを祈っていますよ」
そこまで言ってようやくだった。
こんちくしょうめ。どんだけ向こう見ずな人間だと思われてるんだか。
「ではスタンレーさん」
と、それから先生は掌を向けて来る。
「あぁ、はいはい」
俺は頷き返して懐を探る。
治療費を払う為に財布を取り出そうとして――
「あれ?」
「スタンレーさん?」
「あれ……え? あれ?」
ない。何処にもない。
サーっと血の気が引く。少なくない旅費が詰まったものだ。
何処に落としてきたかなんて、考えるまでもなかった。
「あの……先生?」
だから俺は多分、引きつっているであろう笑顔を先生に向ける。
「診療費にツケってききますかね?」
ベルネルト王都亜人居留区。
数多くの亜人が暮らすその場所は、元は前大戦の折に生まれた難民を保護する為の特別区画だった。
しかし戦火の発端となった、とある国の指導者も亜人であったという事実から、たとえその国とは無関係であろうと、世界中で亜人そのものが疎まれるようになった。
そう言った背景もあって、ベルネルト人との溝も深い。
偏見と差別。文化の違いによる軋轢。報復に対する報復等々――血なまぐさい悲劇は幾度となく繰り返された。
が、今ではそれも過去になりつつもある。
俺が居た頃でさえ、その傾向はあったんだ。今は更に改善されていることだろう。
以前に見た長耳族の親子のことを思うと、人の行き交いも珍しくない筈だ。
「おいアンタ? そこで何をしてる?」
もっとも――それは不審者以外に限る。
ゴミ捨て場をごそごそと漁っている俺なんかが分かりやすい例で、そう言う相手には自警団が声をかけてくる。
「い、いやその……ちょっと財布を落としてしまいまして」
「財布? この街で、只人がか?」
当然疑われた。くすんだ毛並みをした牛頭人であり、老いてはいるものの肩幅は大きく、捕食者のような目で俺を睨みつけていた。
彼等は自分達亜人種以外のことを、只人と呼んで区別する傾向にある。差別意識というよりかは、便宜上の意趣返しみたいなものだ。只人も亜人も厳密に言うなら、そこから広く細分されるのだから。
「本当です。俺は怪しいもんじゃなくて――」
結局俺は身包みの全て――手荷物からポケットの中までを裏返して――ようやく信じて貰える始末になった。
「はぁ……もういい」
「はい! ご苦労さまです!」
男は呆れたように息を吐いて解放してくれる。ぺこぺこと頭を下げる俺が脅威ではないと分かってくれたのだろう。
プライドというものは時として便利だ。完全に捨て去ることが出来れば、かくように無用な争いごとを回避できる。
「ええ……っと」
更にプライドは生活をも下回る。
俺は昨日気を失っていた辺りを中心に、周囲のゴミ捨て場を手当たり次第に探し続けた。
『え、なにあれ?』
『あんまり見ちゃ駄目だよ。きっとアレな人だから』
『最近は少なくなってきたと思ってたのに』
突き刺さる近隣住民方からの冷たい声だって無視だ無視。
っておい。俺を指差すな。可哀想な目で見るんじゃない。
好きでこんなことしてるわけじゃないんだ。天下り先がない騎士団の老後ってのは、お前等が思ってるより楽じゃないんだぞ?
「おわったおわった!」
「さようなら先生!」
「また明日、ハイデン先生!」
そんな風に惨めさと引き換えに、プライドを切り売りしている最中だった。
ばっと目の前の門から人混みが飛び出して来た。彼等は羽や鱗に尻尾と、多種多様でありつつも、その全てが小さい。
みんな子供だったのだ。
亜人の子供達が、弾けるようにあちこちへと。
「はいはい。転ばないよう気を付けてくださいね」
そしてそんな子供達を見送る初老の男性。
彼だけは亜人ではない。頭髪はあれども大半が白く染まっていて、腰は曲がらずとも頬は皺に満ちていて、声量はあれども掠れていると言った、日の下の枯れ木のような印象を感じさせる。
「…………学校?」
呟きつつ、俺は周囲を改める。
そこは学校らしき正門はない。散って行った子供たちの服装もバラバラだ。
ただ建物には『H・W魔術研究所』と、見覚えのある表札だけが記されていた。
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