もう俺がいなくても
「珍しいですね」
と、夜の警備をしていたロビンが苦笑する。
酒に潰れてすやすやと眠るハルナを、騎士団本部に引き渡した後のことだ。
「ハルナ副団長が人前でお酒を飲むなんて、滅多にないことなのに」
「そうなのか?」
俺の記憶してる限りでは、強くもないのにちょこちょこ付き合わされた印象だったが。
「ええ。きっと前団長が帰ってきて、安心したんだと思います。」
「安心……ね」
彼女は強いし、俺なんかがいたところで安心もクソもない。
むしろ『保護対象』を抱えているようにしか思えないもんだが。
「じゃあなロビン」
「あっ前団長、もう行かれるのですか? 少しくらいゆっくりしていかれても」
「長居する用もないからな。お前も夜勤ばかりでお袋さんを心配させるなよ?」
話半分に受け取りつつ、俺はそそくさと本部を後にする。
見た目で何かが劇的に変わっているとは思わないが、それでも『場違いさ』みたいなもんを感じてしまった。分厚くそびえる壁面が『ここはもうお前のいるべき場所ではない』って、跳ねのけるかのように。
「…………何を考えてるんだか」
いや……むしろそう感じてしまった自分に、とでも言うべきなのかもしれない。
俺は頭を叩いて、首をぶんぶんと回す。きっと酔っているに違いない。火照った身体を冷ます為に、俺はふらりふらりと回り道をした。
「あ……ひょっとして?」
そんな中の嬉しいような、そうでもないような偶然だった。
宿までの帰り道を迂回する最中、またしても見覚えのある顔が話しかけてきた。
「ルナか?」
「あっ、やっぱりそうだ!! スタンレー団長さんじゃないですかぁ!!」
ルナはそう言って、土っぽい顔をニカッと緩める。
甲冑や装備の汚れから察するに、何かしらの遠征の帰りなのだろうか? 五番隊の役割を今でも担っていることが見て取れた。
「どうしたんですかスタンレー団長さん!? 帰って来るなら帰って来るって、教えてくれてもよかったじゃないですかぁ!!」
「は、ははっ……」
すかさずバシバシと肩を叩かれるが、反応に困る。
教えるも何も強制連行だ。お前等の上司が俺の首根っこを捕まえたんだと、どう説明したものか。
「そんなことより最近はどうだ?」
だから説明は省いて、それより重要なことを尋ねる。
「騎士団は? 上手く回ってるか?」
「そりゃあもちろん!! シヴィル団長がバリバリやってて、騎士団も良い感じですから!!」
「……そっか」
ルナは良い意味でも悪い意味でも素直な団員だった。
忖度なしに、嘘をつけない性格である。
(俺がいないのに。俺がいない騎士団なのに)
と、そこで不意に黒い念が湧き上がる。
情けないことだ。魔が差したとしか言いようがない。
「そうか……だったら安心だ」
戯言を心の奥で押さえつけながら、俺は鉛のように重い口を動かす。
やっぱり下手に深酒なんてするもんじゃないと思った。俺は昔から深酒をするとロクなことをしないから。
「それはそうとスタンレー団長さん?」
そんな風に胸中で格闘している最中だった。
ルナが俺に向かって問い掛けてくる。
「団長……シヴィル団長には会いましたか?」
「シヴィル? あぁ昨日に顔を合わした」
「そうですか! だったら良かったです!!」
は? 良かった?
良かったって何が?
「で、どうなんですか? 私としても大歓迎ですし、悪い条件じゃないと思うんですけど?」
まるで企み事をするかのようにニヤニヤと、肘で俺の胸を突いてくる。
「いや……なんの話だ?」
「え?」
「シヴィルとは会って話したが……近況報告をしたくらいなんだが?」
「は?」
俺が答えると、ルナはぽかんと口を広げた。
何だか話が噛み合っていないような、そんな気がした。
「お、おかしい……何もないって……? じゃ、じゃあ私の任務は何……? 何がどうなって、こんな行き違いが……?」
「ルナ?」
「ま、まぁいいです。休暇が明けた後にでも、みんなに聞けば分かることですし」
が、それはほんの一瞬。
彼女は昔から楽天家というか、深く考えることが苦手なのだ。
それは情報収集が仕事の斥候なのにというべきか、単独行動の多い斥候だからこそというべきか…………ん? というか今更だけど、彼女は何の仕事をしてたんだ? 五番隊が遠征するだなんて、大掛かりな軍事作戦が待ってるわけでもあるまいのに。
「そういうわけでスタンレー団長さん! 私は本部で報告を済ませたら、しばらく爆睡しますので!」
「え、おいちょっと」
「またお会いしましょうね~!!」
「ルナ!?」
しかしそれを聞く前に、ルナは走り去ってしまう。掴みどころのない風のようだった。
そして長期遠征の後、丸三日くらいは普通に眠る彼女だ(その間食事を始めとした生理行動だけは無意識に行っているらしい)。おそらくここに居る間に、もう聞き出せる機会は来ないと思う。
「まぁ……いいか……」
けれどそれも先日言われたばかりだ。俺はもう騎士団の人間ではなく、余計なことに首を突っ込むべきではない。
だから彼女の背を追うことはなく、今度こそ宿に向かおうと思った。
農村の朝は早く、普段ならとっくに寝ている時間だ。明日の朝こそは帰りの便に乗ろう。
そう決心すると、疲れた身体がようやく眠気を思い出す。
しぱしぱとする瞳を擦りながら、俺は古く寂れた通りを抜けようとして――
「あ……? てめぇは……!!」
「…………」
失敗したと悟る。
俺の姿を見た途端、睨みつけてきたのはさっきの酔っ払いだ。
同じ日に鉢合わせになるとは……俺もツイてない。酔い冷ましの散歩のつもりが、元来た場所まで戻っていたこともそうなんだけど。
「さっきのおんなは……いねえな?」
「…………」
人狼の目は怒りに満ちていて、さっきよりも赤く染まっていた。
加えて熟れた果実のような甘い香りがする。まとわりつくような甘さで、相対しているだけでも鼻が曲がりそうだ。
口端から垂らした液体は酒なのか、それとも別のナニカか、いずれにしても呂律が回っていない。
逃げることは……出来そうもない。壁際に追い込まれている。
助けを求めようにも人通りそのものが乏しく、僅かな通行人も巻き込まれないようにと目を逸らしている。
「さっきはなめやがって……! おんなのせなかにかくれて、えらそうにして……わかってんだろうな……!?」
「はぁ……」
せめて武器を持っていないことが幸いと言うべきか?
俺は盛大に溜息を吐くと、両拳を構えて人狼へと向き直る。
「御託はいい。来るならとっとと来い」
俺がそう言ったのを境に、相手が殴り掛かって来る。素人らしい大振りなパンチだった。
それに合わせて、俺も右手を前へと突き出した。
…………
………………………………
…………………………………………………………………………
ガキの頃、俺は負け知らずだった。
ゴロツキにまみれたダウンタウンで育ち、文句のある奴は誰であろうと実力で黙らせてた。
やがてそんな俺は腕っぷし一つを頼りに、騎士団の門を叩いた。
国の精鋭達が集まる中心部だ。流石に一筋縄ではいかなかったが、頭角を現すのも早かったと思う。
『流石ですね団長! スタンレー団長が姿を見せた途端、賊共が散り散りですよ!?』
『団長がいてくれてよかった! もう駄目かと思いましたよ!!』
『スタンレー団長! 陛下がまた勲章を授けてくださるとのことです!!』
そうして気づいた時には、全てを統括する立場に収まっていた。
自分のことを団長と呼んでくれて、慕ってくれて、それが嬉しくて――単なる喧嘩好きの悪ガキは、何時しかそれに応えることを知った。
ここが俺の居場所だ。
騎士団は俺の家族だ。民は守るべき存在だ。
彼等を永遠に守護し続けることが、俺という人間に託された使命だったのだと、そんなことを信じていた。
しかしだ。
永遠なんてものはありはしない。そんなものがあるなら、神話時代の英雄は今でもこの世に君臨している。
そうじゃなかったからこそ――
「つつっ……!」
俺は朝日の下、ゴミ捨て場で目を覚ます。
口の中は鉄の味で一杯。錯乱した生ごみに鼻が曲がりそうになる。
何処もかしこもがアザだらけで、身じろぎするだけでも全身が痛みを訴える。
かつての騎士団団長サマが――凄い凄いと持て囃されてた俺が――今では名前も知らないチンピラ程度にこの有り様である。
「ったく、あの馬鹿野郎……しこたま殴りやがって……」
ふんっと息を吐くと、鼻から赤い塊が飛び出る。乾いて剥がれた血の塊だった。
擦って確かめると、炎症を起こしてはいるが、骨は折れていないことが分かる。どうやら頑丈さだけは昔の名残が残ってるらしい。
「宿に帰る前に……医者だな……。ははっ、一日分の旅費が浮いちまった……」
それからすんと鼻を啜って歩き出す。
何故だか、本当に何故だか。懐かしい鉄の味が、今日は酷くしょっぱく感じた。
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